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バウンダリー : 心の境界線

最近「エンパス」という言葉を耳に(目に)する。

英:Empathy(共感)が語源だと思うが、それは、限界に満ちた身体を持ち、御しがたい心とつきあいながら、社会の中で生きるわたしたち、ほとんど皆が持っている心の機能。不機嫌や悪意を垂れ流す人が近くにいると、誰だって気分が悪くなるよね。

しかし、自称「エンパス」の人は特にその傾向が強く、他者の感情に影響され、エネルギーをもっていかれるらしい。程度の個人差はあるだろうし、敏感で繊細であるのはそれはそれは辛いよね。

でも、心理職を名乗る人が「私はエンパスだから人の心がわかる」と安易に言うのは、ダウトだと思う。

他者のそもそもの感受性や直観が自分のそれと比較してどの程度かなんて、どうして断言できるの?

昔は「強いあなたには分からない」と言われるたびに、内心「わたしが強くあるためにどれだけ努力しているかも、あなたには分からないでしょう」と思っていた。

色々な方と言語・非言語の対話を重ねる中で、その確信はより一層、揺るがぬものになってきた。

向かい合った人の奥行きが「分かる」って、どの程度深いところまで分かるの。自分が感じて察するそれが相手の全部だ本質だなんて言えるの。

来談者に対して、揺るがず有益であるための、適切なBoundary(心の境界線)を設ける意思があったら、そんなこと、とても言えない。

以上、新しい(?)言葉に触れて昔からもやっとしてたことが言語化できるようになったので、記しておく。

わたしは、他者の心は測れないという前提で生きている。

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