保育の世界考

ヨーヨーが認可保育園に通い始めたばかりの頃の、1歳の春。会議で1時間ほど席を外している間に、保育園がなんども職場に電話をかけてきたことがあった。

当時、わたしの直通電話が鳴るということは、銀行やお役所からの嬉しくない事案であることが多かったので、同僚に心配された。折り返したら「飛び火を発症しているので、本日中に病院に連れて行ってください」と。会議をキャンセルして迎えに行った。

それにしても、連絡先は4箇所「わたしの携帯→パパの携帯→わたし職場→パパ職場」の順に登録してるのに、わたしの職場にだけ何度もかかってくるのはおかしいと思い「主人にはつながらなかったですか」と訊ねたら、こういわれた。

「お父様のお仕事を邪魔するほどではないと思って」

実はその瞬間、わたしの怒りは沸点に達した。その、自分でも予想外の激しさにヤバイ!と表情を殺したついでに言葉も詰まって「そ...うですか」としか言えなかった。

本当はこう言いたかった。「わたしの仕事と夫の仕事は、同等に大切なんです。自分がいないと進まない大事な会議をキャンセルしてきたんです。母親の仕事を妨げるハードルは父親のそれより低いという偏見で、お願いしていた手順を勝手に変えないでください。何度もかけるなら携帯にかけてください。」

冷静に言えるなら言っていた。でも、うっかり口を開けば、その場にいた他の先生や子供達も振り向くほどの激しい言葉になってしまいそうだった。

先生はちょっとアセアセしていたので、もしかしたら、無表情の一言にも、怒りのオーラが滲み出ていたのかも。

翌日、それを職場の先輩ママンに話したら「そういうのは保育園ではなくて区役所の管轄部門にクレームするのよ!」とアドバイスされた。「そしたら、保育園が恐縮して次からそういうことなくなるから」と。

そういう強いママンが多い職場だった。というか、強くないとワーママなんてやってられない。そして、当時のわたしも、とっさに声が出なかっただけで、間違いなくそういう苛烈な女たちの一人であった。

うちら的常識に照らしてみれば「お父様のお仕事を邪魔するほどではない」ことのために「お母様の職場だけに何度も電話をかけてくる」なんていうのは喧嘩を売っているとしか思えなかったのだが、

怒るタイミングを逃したおかげで、ちょっと待て、なんでこうなったか考えろ。わかんなすぎるから考えろ。という自分の奥底の囁きに気づき、1年以上このネタを寝かしてきた。そうこうしているうちに会社辞め、第二子のあーちゃんが生まれた。今や、巷で呼び声の高い?「新しい働き方」を模索しているわたし。会社員時代よりも制約も多くて違う忙しさはあるけれど、通勤に縛られず好きなことやってるぶん、心の余裕ができた。

どこかのタイミングで、保育園の先生にしてみればその対応はおもいやりだったのかということを思い付いた。(こちらからしたら見当違いも甚だしいが、多分)我と彼とは異国人同士かというほどにプロトコルが違うのが、外資系勤務のママンと公立の保育園の(年配の一部の)先生というものなのである。

その先生は普段は子供をとてもかわいがってくれていたし、早めに連絡をくれて、すぐお医者さんに連れて行った結果、重篤化もなかった。子供のことだけを考えれば、感謝しかないのだ。時々チラチラ思い出す彼女に何を言いたいかと聞かれたら「ありがとうございました」だな、と、今は思う。

肝心なときに言えなかったけれど。

あーちゃんがうまれて、同じ園のママ友(だいたいみんな「お父様」と同等に重要な仕事をしている)と話しをするようになったら、やはりみんな多かれ少なかれ、園とのコミュニケーションで「おっとっと」という経験をしていることがわかった。

そのギャップはもう構造的な問題なので、オペレーションまで保育のプロの先生方に兼任させるんじゃなくて両国の通訳のできる事務方を一人置けばいいのに。なんて話している。

堀江某氏が「保育士は誰でもできる仕事」と言ったらしいけれど、彼は、まあ、保育士だけでなく、ほとんどの人の仕事についてそう思ってそうだから放っておくとしてだな。

価値観も背景も違うからこそ、自分の持たぬスキルを惜しみ無く提供してれる保育園の先生に対して、企業勤めの親たちは、ほんとはもっと素直に感謝したいんだよなあと、思うのである。

終日エネルギーのかたまりのような子どもたちと向かい合う保育園の先生の仕事は、誰もができる仕事などではない。

子どもと遊ぶ仕事なんだから楽しいでしょっていうなら、あなたの仕事だって、色んな人と飲んで喋って楽しいでしょ。好きなお絵描きして楽しいでしょ。会社のお金で海外飛び回って、楽しいでしょ?

今、うちの近所ではあっちもこっちも新しい保育園が増えて、保育士パート募集の張り紙が町に溢れているのだが、一方で、子どもが好きな人がせっかく保育士の資格をとっても、生活や先々のことを考えて普通の事務職に就職してしまうケースも多いと聞く。

オンラインの発達でこれだけいろんなP2Pサービスの業者が進出してきても、確実に需要が増えていても、ベビーシッターの相場は家事代行のそれよりも安い。張り紙で見る保育園の先生の時給は、それよりまたさらに安い。

待機児童解消の旗印のもと、箱がガンガン増えているけれど、古い仕組みをアップデートする議論が置いてきぼりになってることに、昭和の公共事業的なあやうさを感じる。これから先、人口は減少に転じていくというのに。そのなかで働く人たちの待遇がかわらないのは、これもひとつの搾取であり、コミュニケーションを難しくしている要因じゃないかと思うのである。

ワーママが本来味方であるはずの保育園にブチ切れるのは「弱いものが夕暮れさらに弱いものを叩く」ブルーハーツ的なものなのである。というと、お前のどこが弱いんだと総ツッコミされそうだけれど、女で企業勤めしてて出産後すぐに復帰すると、のんきで悪気のない同僚に「可愛い我が子を置いてなんでそんなことできるんだ」って裏で言われたりするわけなので、もうマイノリティ度が極まって滑稽なほどに怒りがたまりやすくなるのである。そういうネタ、めちゃくちゃいっぱい思い出したわ。

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