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痛覚のリセット

最近は「ワーカホリック」って流行らないのかもしれませんが

わたしのまわりには、時代の流れはどうあれ、仕事が好きでブンブン働く人たちが結構います。そしてそういう人たちは一方で「頭を空っぽにする時間」を必要として、それぞれに自分のやり方を持っているように思います。

それは「愛する酒に沈溺すること」だったり「パチスロでチェリーにカッとなること」だったり「全身が攣るまでテニスすること」だったり。仕事が激しい人に限って(全員がとは言いませんが傾向として)、オフも、それオフって言っていいのかわかんないどころか、ちょっとやりすぎってところまでいっちゃってバランスとってるイメージ。インスタ映えとかSNS受け的な要素とか who knows 的な。

そういえば最近、SNSに無防備な酔いどれ顔を晒す人すくなくなりましたね。

わたしの場合、いちばん忙しくしてた時期のオフは「登山で空気の薄いところを歩くこと」でした。2006年のキリマンジャロが、自分の足で行った一番高い場所なのですが、その時、準備運動としてやっていたヨガが有効だったから、興味が嵩じてUnder the Light Yoga Schoolでティーチャーズ・トレーニングのコースを受講しました。

そして、そこで馴染んだサンスクリット哲学や呼吸法や瞑想によって開いた扉が、人の心に関わる資格をとることにつながってたのかもしれません。

今も時々、山に登りたくてたまらなくなります。だけど、妊活に続く2人の子供の出産で、もう5年以上、本格的な山登りに行けていません。

子供産むと、しょうもない風邪でも薬が飲めずに長引いたり、子供経由で聞いたこともないようなウイルスに感染したり、自分は元気でも子供がぐんにゃりしていると何もできなかったり、無力感満載の出来事に連続的に晒されて焦燥に駆られながらも、ある意味否応なく、激しい仕事や激しいオフから引き離されることになります。

それで、ハッと気がつくとある種の繊細さがリセットされた感じがあります。常に激しさに晒されていると麻痺してしまっていた痛覚を取り戻して、ああ、あれを平気でやってたのって実は自分を削ってたのかと気がつく。

先日、そろそろ仕事でかっこつける必要が出てきたから靴を新調しようと思ってお店で試着したら、以前は余裕で履いてた7センチヒール、もうどう考えても1日履いて歩ける気がしなくて、4センチ半のにしてしまいました。以前の自分はこんなに無理してたんか、と、呆れました。

え?体重が増えたからではないかって?このコラム自体がそこから目をそらすための長々とした言い訳なんだから、それは、きーかーなーいーでー。

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