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社会人前夜:(前編) 1999年の就職活動

わたしが東京大学経済学部を卒業して社会に出たのは、2000年の春です。就職活動は1999年。俗に就職氷河期のどん底と言われる時でした。

1998年に長銀が破綻してメガバンクの統廃合が進み、日本全体に先行き不透明感が漂いはじめた時期でした。従来、官僚・金融・商社その他が1/3づつという構成だった経済学部生の進路先も潮目で、それまで異端だった外資金融やコンサルに行く学生が増えていました。

若い世代にとっては、なにそれ?って感じだと思いますが、当時、誰もがネタとして知っていたのが、1999年人類最後の日という「ノストラダムスの大予言」。信じないにしても、それは時代の価値観にちょっと刹那的な色をつけるのに、一役買っていたんじゃないかと思います。

人のつながりが鍵になるのは転職活動でも同じことですが、東大生の就職活動は、OB訪問からして優遇されていました。「ゼミ枠」という不文律もありました。だいたいの一流企業には誰かしらOBが行っていて、先方から集団の食事会や説明会を設けてくれることもあれば、個別に連絡を取って親身なアドバイスを仰ぐこともできる。周りと同じ動きをしていれば門は開かれ、それが第一希望かどうかは別として、どこかしらの内定が出る。なので、そこに、氷河期と言うほどの切迫感はありませんでした。

そんななかでわたしは。振り返ると笑っちゃうのですが、根拠のない自信で受けた在京キー局のアナウンサー受験に落ちたら、あとは特にやりたいことはなくて、でも岡山の実家には帰りたくないから「適当に就職して、2〜3年で寿退社して、30歳までに子供3人」とか考えていました。

学業の意味も、卒業の意味も、働く意味もわかっていないのに、リクルートスーツ着用をはじめとする「型」に従って、実は自分でも所在のわからない「やる気」をアピールするという要領の良さだけはありました。それでいくつかの企業から内定をいただいたものの、自分にやりたいことが明確にないだけに全方位に煮えきらずにいました。

悩みがなかったわけではありません。わたしは就職活動の時期に軽いアトピーを発症し、その後数年間、肌荒れに悩まされました。当時、同級生の女子の多くが同じような肌トラブルを発症していたので、本郷界隈になにかよくない物質でも流れているのかとも疑っていたのですが、思い返すと、あれはそれまで自由に生きてきた者が、本音のところではバカみたいと思ってる「型」に自分をあわせなければ先に進めない際のストレスの発露だったのかもしれないと思います。

そこでストレス因子の「型」を疑い、自分を正面から見つめ直すことができれば良かったのかもしれません。そうすれば、今、自分が向かいあっているテーマにたどり着くのももっと早かったかもしれません。

本当に優秀な人は、年齢や経験に関係なくそういう思考ができるのでしょう。大学を中退したり、起業したりという選択も含め。でも、わたしはそこまで優秀ではありませんでした。ある意味、運の良さに甘やかされて、自分を直視するタイミングを逸しました。

最強の学歴カードをもっていて、何がストレスだったのか?

幅広くいろいろな業界のOB訪問や説明会に参加していたなかで、わたしが特に「うわぁ」と感じたのは、こんな話です。

「女性社員は朝すこし早く出社して、皆のデスクを拭くのが日課よ」

「女性は、総合職でも制服があるから楽よ」

「女性は転勤のない(出世もない)部署に配属してもらえるよ」

「女性の枠は、今年の採用は300人中5人ってきまっているんだよね」

全て、当時のOB訪問で、わたしが本当に言われた言葉です。この種の発言への遭遇率が異常に高かった。仕事について話をききにきた後輩に、2〜3年前まで自分も同じ最高学府の学生だった先輩がこんな話をするのです。

女性だから。

ごく自然に、時にはそれがまるでいいことみたいに。裏で何を思おうと「わたしは凄い機会をいただいてるというわけですね」と流していれば、よっしゃ、欲しいタイプの素直な子だというわけで面接の道が開けます。実際、それで内定までいただいた会社もありました。

でも、心の中では「うわ〜、ないわ!」と思ってました。だって、今は対等な立場で一緒に勉強したり遊んだりしているのに、会社に入った途端に、なぜわたしだけ制服着させられ、同じ条件で採用されたはずのとなりの男の机を拭かなきゃいけないのか。任せてもらえる仕事も違って、給与も変わってくるというわけ?正式な面接に進む前にそれに合意しろとな。それをまるで当然のことかのように後輩に言っちゃうのって、先輩、それ、洗脳されてませんか〜?!(※女子学生には女性の先輩が対応することが多かったです)

今、IT外資というダイバーシティを尊重する風土の中で仕事をしてきた自分が振り返ると、我が身に起きたことながら信じられないってかんじ。でも1999年の当時ドメスティックな「一流企業」を覗いた女子学生は、やっぱりみんな多かれ少なかれ、そういうことを言われていました。多分、それを聞くところまで無条件でたどり着けるだけ、東大女子はまし。

こんな、ジェンダー・バイアスばりばりの慣習や、それをOB経由で女学生に聞かせるという非公式な踏み絵は、さすがに15年以上経った今の世では滅びていて欲しいと願います。

でも、もしかしたら、ひょっとしたら、いまだに彼らは似たようなことをやっているのかもしれないという疑いもぬぐいきれません。

これを読む今時の就職活動生は、どう思うのかな。‘’一流‘’企業の中の人たちは、どう感じるのかな。

その種の大きな社会前提を受け入れることによって享受できる恩恵、また、背をむけることによって求められる代償は、いかにも無視できないものがあります。(その話は別途、続編で触れます)

本当にそこが「行きたい会社」なら、それを呑んで進むのもまたひとつの賢さといわれるかもしれません。でも、その種の賢さを持ち合わせた女性というのは、そもそも東大なんかにいないと思うのです。本気で企業に勤めたいと考えないと思うのです。それに、そんな社会の実態を身を以て知っている親も、娘に東大に行けとは言わないでしょう。「仕事で輝け」とか w 言えないよね。

最近の、東京大学が女子学生にだけ家賃補助を出すという話も、他の先進国に比べて未熟なステージでのろのろしている日本のダイバーシティ課題に対する、一種の治療的介入です。逆差別と憤る向きが多数だと思うけど、入試の門戸は既に平等に開かれているので、そこが本質ではないのです。変わるべきはその先の企業社会です。「東大が、就職に強い世界の大学TOP10」にはいったとのニュースが出てたけど、東大の男女比率の偏り凄いからね。こんな日本の就職市場なら、そりゃあ最強でしょうよ。

で、就職活動にうんざりしかけていたところで、わたしは降って湧いたようなApple(当時、アップルコンピュータ株式会社)に内定をもらい、そこに就職することに決めました。

担当教授には「おまえは、そこには先輩が誰もいなくて、物珍しいから行ってみたいだけだろう?」と見抜かれていました。(いかにも!)

社会に出ることが腹落ちしていなかったから。やりたいことが特になかったから。ロゴが可愛いかったから。オフィスの眺めが良かったから。いろんな理由がありますが、一番は、そこの採用プロセスには、歴代の先輩方の間で脈々と引き継がれてきたバイアスがなかったから。

結果論ですが、当時の自分は志のない出来の悪い学生でも、動物的勘は鋭かったと思います。

(後編に続きます)

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