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愛するとは待つということ


昔から待つという行為が本当に苦手だ。ラーメンを作る三分間が待てないので、いつもかろうじて待てた歯にくっつくラーメンを食べている。ライブが始まるまでのあの待ち時間も苦手なのでいつもギリギリを攻めてしまう。埼玉に行った時は何故か入場できず、開演三分前まで外にいた。YouTubeの広告ももちろん待てないので、一回動画を消してしまう。もう一度再生したら30秒の広告が流れ始めて、腹が立ってまた消して、つけて、また広告。黙って見ていれば15秒で終わるところを、待てないせいで一分近くかかったりする。

もちろん人を待つという行為も苦手だ。だから十分前についたりはしない。私は定刻通りに現れる。けど、遅刻されるのはいい。むしろ好きなまである。一番嬉しいのは家を出る直前の「ごめん、ちょっと遅れる」。いつも秒で「ぜんっぜんいいよ!!!」と喜んで返してしまう。別に予定時間の直前に言われても構わない。20分くらいからはグレーゾーンだが、全然いいよと思う。理屈はわからないけれど、自分も遅刻してもいい券をゲットしたような気になるのかもしれない。さっき定刻通りに現れるといったものの、ギリギリで生きているので、まあ二、三分の遅れが生じることもある。なんというか人が遅刻しているのを見ると、この人も自分と同じ生き方をしていると感じるし、自分の心に余裕ができる。


20分くらいがグレーゾーンと言ったが、過去に三時間半 人を待ったことがある。中学二年生の頃、当時の彼氏と花火大会に行く約束をしていた。付き合って七ヶ月は経つのにろくにデートをしたこともないから、それが恋人らしい最初のデートだった。彼氏と塾が同じ友達に明日の17時、駅前のたぬきで集合と伝言してもらったことも覚えている。けど、彼氏は来なかった。部活が長引いたのかもしれないと思って、三十分待ってみた。汗をかいたからシャワーをしているのかもしれないと思って一時間待ってみた。知らないお兄さんに「待った?」と遊びで声をかけられた。浴衣姿の女の子が一人でタヌキの横にずっと立っているのも滑稽だっただろう。足が限界になって、駅前のスターバックスに入った。将来バイト先になる店舗だ。ちゃんと彼氏が来たら見えるような席に座って読書して待った。花火大会に行くのに、巾着の中には有川浩の『阪急電車』しか入っていなかった。もし来ていたらいつ読むつもりだったんだよ、と今考えると思う。結局三時間半待っても来なかった。当時は携帯なんて持っていなかったから、ただひたすら待つことしかできなかった。今は来なければ連絡が取れて、暇つぶしに周りの店にも行けて、本当に便利な時代だよ。祖母に着付けてもらった浴衣は誰にも見せることなく、出番は終わった。私は家族にすら弱音を吐けないタイプなので、その日も「あら、早いね」と言われたのに対して「友達が早く帰らないといけないって」と返したのを覚えている。格好悪いところを見せたくなくて、何万回と嘘をついてきたけど、いつもそれが一番ダサい。

何回思い返しても待つ行為そのものを真剣にしたのはあれが最初で最後だった。



愛するというとは待つということ。

愛だの恋だの語るときに、愛がなんだと考えると、私は何故か待つことだと、思っている。そこに自分の考えはなくて、ただそういうことを考えたら、自然と待つことが一番に思い浮かぶ。誰の考えが影響しているのか、全くわからないが、この考えしか私の中にはないので、愛するとは待つことだと思う。

中学三年生の私は完全にただの盲目な恋だったけれど。

まあでも、愛していないとできない行為だよなとは思うし、待つことが愛の証明に繋がりもすると思う。


今の彼氏が別れを切り出した時、私は「いつまでかかってもいいよ。私が東京で一人で暮らすことになっても、周りがみんな結婚しても、私がおばあちゃんになっても全然いいよ。ずっと待ってるから、また成長したときに、迎えに来てね」と言ったのを思い出した。それに対して「待たせてるって負担に思うからやめて、他の人と幸せになって」と返されたけど、私は「絶対に迎えに来るとだけ言え」と。ここ三ヶ月くらいの話だけど、まだただの盲目少女だな。中学生の頃から何も変わっていない。


待つことが愛だ、と謳っているけど、待たれる方はどうなんだと。多分、お互いが了承を得た上で待っている恋人たちはみんな信じることや、想い合うことが愛だと言うはずだ。

正直、愛とは待つことだ、という考えがカッコイイと思っていた。なかなか彼氏のことを老けるまで待てる人なんていないと思うし、気合いあるし。けど結局待つと、待たせている側ができてしまうわけで、待たせていることがカッコイイと感じる人は少ない。待つ私ってすごいでしょ、根性あるし、いい恋愛してるでしょと思っていたけれどそんなことなさそうだ。ただただ待つに値する人に恋しているだけだったね。

それでも愛するということは待つことだという、どこから吹き込まれたかわからない考えを謳っていこうと思う。この気持ちの方向がお互いを向いた時、私が待たせる側になった時、考えが変わるかもしれない。


ただ今の私は100年待てる自信のある、恋する乙女だ!


うーん、恋ってなんか子どもっぽいな。若いうちに愛をして、大人になった頃に恋がしたい。


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