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ウルトラマンオタクが「ウルトラマンが泣いている――円谷プロの失敗」を読んだ

僕はウルトラマンが大好きだ。
子供の頃から、なぜかウルトラマングレートという作品のVHSが家にあった。
ウルトラマングレートは、オーストラリアで制作されたウルトラシリーズである。
子供の時は食い入るように何度も何度もみ直して、一度も足を踏み入れたことのない、オーストラリアの大地を夢見た。

ウルトラマングレート(1990)

1996年にはTBS系列でウルトラマンティガが毎週土曜日に放映された。
完成度の高いストーリー性に夢中になった。

そんな幼少期を歩んでいた。
一度はどこかでウルトラマンを卒業するはずなのだが、
残念ながら、未だに卒業できずにいる。

大学時代になると、自身で特撮サークルを作り特撮が好きな仲間を募ることもした。
社会人になってからは、東京都世田谷区祖師ヶ谷大蔵のウルトラマン商店街に10年近く住み、
特撮の神様円谷英二監督の地元である福島県須賀川市を訪れ、
天才脚本家金城哲夫氏の実家のすき焼き屋さんにも赴くなど、
ウルトラ好きとしては筋金入りだと自負している。

須賀川の円谷英二監督生家前のモニュメント
金城哲夫氏の書斎(沖縄県)

ウルトラマンは非常に完成度が高い。
ウルトラマンが作られた当時の経緯など、さまざまな書籍が出版されている。
今回読んだ本である「ウルトラマンは泣いている」はそんな書籍の一冊である。

 技術大国日本に生まれた特撮技術

筆者はITエンジニアである。
プログラミングなどの専門技術を生業にしている。
技術大国日本に生まれたこともあり、技術者であることが少し誇らしい。

日本の特撮技術も、そんな技術大国日本で生まれた技術の一つであろう。
特に特撮の神様と言われた「円谷英二」の名前は世界に轟いている。
第二次世界大戦中に円谷英二が特技監督(当時はまだ特技監督という役職はない)として、
担当した「ハワイ・マレー沖海戦」では、見事な特撮技術を用いて、真珠湾攻撃を事細かに特撮技術で描写した。
戦後GHQから、「特殊技術で撮影した」ということを信じてもらえなかったという逸話もある。

戦後10年経たないうちに制作された映画「ゴジラ」も円谷英二が特技監督を受け持った。
ゴジラは令和の今の時代でも最新作が日本および、ハリウッドでも作成される大人気のキャラクターコンテンツである。

ゴジラ(1954)


ゴジラ制作後、円谷英二は世田谷区祖師ヶ谷に円谷プロダクション(当時円谷特技プロダクション)を立ち上げる。
また映画の時代から、テレビの時代に娯楽が移る時代には、ウルトラQなどのテレビにおける怪獣作品の監修も受け持った。
その結果制作されたテレビシリーズが、令和の時代にもさまざまな人を熱狂させるウルトラシリーズである。
2022年に制作された劇場用作品「シン・ウルトラマン」を見た人も多いのではないだろうか。

今回読んだ本を書いた方は、そんな技術大国日本で特撮技術の発展に大いに寄与した、
円谷英二氏のお孫さんであり、自身も円谷プロダクションの社長を務めたことがある円谷英明氏の本である。

 ウルトラマンを作ったのは神ではなく人である

「光の国から僕らのために、きたぞ我らのウルトラマン」

初代ウルトラマンのOPである「ウルトラマンのうた」の歌詞の一部である。
ウルトラマンは作中では宇宙人という設定である。
そのウルトラマンの見た目は、神を思わせるような神聖な印象を与える。
元々ウルトラマンのデザインにはいくつか元があるが、
そのうちの一つに仏像(観音様)がある。
仏像をもとにデザインされているのだから、神々しさを感じるのも当然である。

しかし、そんな神々しいウルトラマンを作ったのは人であった。
本著に書かれていた、過去の円谷プロダクションの運営状況は非常に人間臭い、生々しい出来事の数々であった。
私も社会人生活を10年近くやっていて、決して身に覚えがないわけではない、円谷プロダクション内で起こった出来事の数々。
特に近年は同族経営による弊害で、自浄作業が働いていなかった某車販売企業のニュースが世間を騒がせていた。
僕が大好きなウルトラマンを作っていた円谷プロダクションも同族経営が続き、某企業と同じような状況に陥っていたのは、少々ショックでもあった。
やはり常に自信の行いを見直し、改める態度というのは重要なのだと学ぶ。

また企業として作品に賭ける情熱も熱すぎるのも問題であった。
企業としての財務状況のチェック、監査が全く機能しておらず企業としての財政状況は常に切迫をしていた。
自分が大好きだったウルトラマンティガやダイナ、コスモスなどの世代ど真ん中の作品たちが、
完成度を追求するあまり制作費が嵩み、円谷プロダクションの経営にヒビを入れていたことを改めて知った。

やはり少々複雑になる記載が、本の中では続いていく。
特に海外のウルトラ作品の売り上げを、自身が海外で豪遊するためだけに使われていたという、
企業の金を用いた豪遊というのが、なんともショックである。
会社の金の横領である。
特撮作品が好きな人は、変な「正義感」を持っている人が多いと考えている。
例えば「転売屋」などの、本来は正しくない稼ぎ方に嫌悪感を抱く特撮ファンは多く、SNS上で妙な団結力は見ていておもしろい。
そんな変な「正義感」を持っている一人の特撮オタクとして、自身が大好きなウルトラマンを作っている会社による「会社のお金の横領」は信じ難い状況であった。
ウルトラマンが教えてくれた正しさとは何だったのだろう?と、考え込む年齢はとっくに過ぎてはいるので、別に思い悩むことはなかったが、どこまで行っても人間的な経営体制が続いていたのだと、知ることに変な汗が出る。

作品に罪はない。
読むタイミングを誤れば、作品自体にケチをつけてしまいそうなショッキング内容であることは間違いなかった。

今の円谷プロダクションの経営手腕は素晴らしい

近年の円谷プロダクションの経営手腕は素晴らしい。
2007年に経営破綻を起こしてから、大手グループの子会社になってから、
同族経営ではなくなり、外部から優秀な”社会人”がトップにつき、一つの企業として復活を果たし始めている。

特にこの10年での躍進は素晴らしい。
毎年新しいウルトラマンを提供できるようになり、新しいファンを確実に増やしている。
海外における裁判沙汰を収めて、海外展開にも躍起である。
中国や東南アジアにおけるウルトラマンは、とても大きな市場になっており、
日本では考えられない規模のウルトラマンのアミューズメント施設や、
日本未発売の玩具も中国で売られている。
中国だけでなく、ウルトラマンがなかなか踏み出すことができない、ヒーロー映画の本拠地北米にも進出しようとしている。

また、近年では円谷プロダクションが持っているコンテンツは、
ウルトラマンだけではなく、グリッドマンなどの新しいコンテンツの開拓もできている。

来月に開催予定のTSUBURAYA CONVENTIONも、とても楽しみである。
2019年におけるTSUBURYA CONVENTION では海外進出が一つのテーマであった。
また当時はシン・ウルトラマンのビジュアルが初公開されたのも2019年のTSUBURAYA CONVENTIONであった。

2019年のTSUBURAYA CONVENTIONで初公開されたシン・ウルトラマンのビジュアル

このシン・ウルトラマンの配給会社が、ゴジラでも有名な「東宝」であったことは一つ驚くポイントであった。
円谷プロダクションと東宝は昔は非常に関係の深い企業であった。
円谷プロダクションが資金に困ったときでも、東宝の後ろ盾があり銀行からの融資も比較的に楽であったようである。
特撮作品を撮影する場所としても、歴代ウルトラマンも東宝のスタジオを借りて撮影されることがとても多かった。
ウルトラマンメビウス(2006)まで撮影された東宝ビルドという施設の名前はファンの間では有名である。
しかし、強力な後ろ盾であった東宝との決裂も同著の中で記載があった。

またウルトラマンの作成に寄与した企業は東宝だけではない。
放送局となったテレビ局であるTBSの存在も大きい。
TBSはウルトラマン80における騒動のなかで円谷プロダクションとは非常に仲が悪くなった。
毎年夏に開催されるウルトラマンフェスティバルで協賛であったり、
ウルトラマンティガ〜ウルトラマンメビウスまではTBS系列の放送局ということもあったが、
TBSと仲が良いとはとても言えない状況であった。

しかし今年の4月に円谷プロダクションとTBSの共同コンテンツの制作という一大ニュースが飛び出てきた。
TSUBURAYA CONVENTIONで最も注目すべき、ニュースの一つである。

このように同著で仲が悪くなった東宝、TBSとも関係を修復しているのが近年の円谷プロダクションである。
ウルトラマンが泣いている――円谷プロの失敗」は2013年の本である。
2013年から、10年経過した円谷プロダクションの躍起は素晴らしいと、1ファンとしては考える。

11月のTSUBURAYA CONVENTIONを一人のファンとして、楽しみにしたい。




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