見えているもの

こんにちは。ゆりりうすです。
やっと梅雨明けしました。前回、もう梅雨明けですね、なんて書いてしまったのにまだ開けていませんでした。すみません。
今年は本当に色々なことがありますね。でも、どうだろう?そう思っているだけかもしれない。本当は常に色々なことが起こっているのかもしれませんね。
また、夢の話(飽きちゃった?)から始めたいと思います。
高校生の頃に一組の芸人さんが現れて、あっという間に人気者になった人達がいます。私にとって、少しお兄さん格の「とんねるず」の石橋貴明さんと木梨憲武さんです。本当に人気があって、特に当時の若い人から絶大な支持がありました。きっと私世代の人は「たかさーん」と言われたら「チェーック!」と答えることが出来ます。
そのうちの1人の石橋貴明さんが高校生ぐらいから、しょっちゅう夢の中に表れるのです。
大抵、石橋さんが夢に出てくると真っ直ぐ私の所にやって来て、「ゆりりうすちゃん、もっとこうした方がいいんじゃない?」とダメ出しをするのです。初めの頃はびっくりしたけど、何度も出てくるうちに「これは何かのメタファーだな。」と思うようになりました。石橋さんはテレビで見ていると割りと本人にとってキツイことを目の前で言ってしまう人に思えました。もちろん、本当のところなんて分かりません。芸能人ですから、あくまでそのキャラクターを演じている部分もあると思います。
で、私の中での石橋さんも「あっ、それは今言われたくないな。」ということを言うので。つまり夢を見ているのは私である。だから、私の中からその発言が出ている。要は、本当はその時私が自分のダメな所に対して何もアクションを起こさない自分にイラついて、メタファーである石橋さんを出していたのではないかと思うのです。いつもキツイことを言われていました。最近まで。
ところが、この春に出てきた石橋さんが私に言うのです。「ゆりりうすちゃん、もう卒業なんだね。」と。「えっ?」と私は思い、そういえば、私は夢の中で桜を見ながら、もうそろそろ卒業だから木梨さんに借りていた自転車を返さないといけないな、と思っていました。ご存知の通り木梨さんの実家は自転車屋さんですから。それきり、石橋さんは夢の中に出て来なくなりました。ずーっと、見ていたんですけど。私の中で何か解決が出来たのかも知れません。
今日は「見えているもの」のお話です。
私は、見えているものが全てだとは考えない方です。中には、見えているものしか信じない、という人もいますが、それはなかなかどうでしょうか?な案件です。
突然、極端で申し訳ないのですが、神様や、天使や、悪魔や、死神が、それらしい格好で現れると思いますか?
色んな例を出しますね。
もう亡くなりましたが、淀川長治さんという大変有名な映画評論家の方がいらっしゃいました。皆さんが仰っていた「映画に愛された」希有な人です。その淀川さんと黒柳徹子さんの対談を昔読んでいて、すごいなと思ったことがありました。
淀川さんは大変お母さん思いな人でした。そのお母さんが、病院でいよいよ危ないという時に病室にいた淀川さんは、部屋の隅におじいさんを見ます。そのおじいさんは、ネズミ色の背広の上下を着ていて、手にステッキか帽子を、とにかくどちらかを持っているおじいさんが現れたそうです。でも淀川さんは、すぐにその人が死神だと分かって「あっ、ダメです。連れて行かないで下さい。僕の寿命を3年分(だったかな?)あげますから!」と叫んだそうです。そうしたら、おじいさんはフッと消えていなくなり、お母さんが急に元気になったんだとか。そして3年後に約束通り今度こそ、お母さんを連れて行かれたのだとか。
ここからまたすごいんです。その話を聞いていた黒柳徹子さんが「あっ!」と言ったんです。そして「私、そのおじいさんを見たことがある。」と言いました。本当にどこにでもいる普通のおじいさんで、やっぱりネズミ色の背広を着ていて、黒柳さんの楽屋(だったかな?)に現れたそうです。
でも、淀川さんも長生き(3年分は短かったのかもしれないけれど)でした。黒柳さんも今も元気にお仕事をなさっています。恐いのは、死神が死神らしい格好をしていなくて、ごく普通のおじいさんだということです。
世界の昔話にも、こんな話があります。
あるところに、ボロボロの服を着たおじいさんがいました。おじいさんはヨロヨロと歩きながら、大きな屋敷のお金持ちの家の扉を叩きます。中から主人が出て来て「何だ。」と言うと、おじいさんは「一晩泊めてくれませんか?それからお腹がペコペコなんです。」と答えました。ところが、主人は嫌な顔をして「お前みたいなみすぼらしいやつに用はない。シッシッ、あっちへ行け!」と言うと扉を閉めてしまいます。そこで、おじいさんは隣のみすぼらしい家の扉を叩いて、主人が出てくると同じことを言います。この主人は自分も貧乏なのに、おじいさんを泊めて、家族の食事を少しずつ分けて、おじいさんに食事をさせてあげます。すると次の日、貧乏だった家は大きな立派なお屋敷になり、家の中にはお金と食べ物が沢山ありました。主人はびっくりしてしまいます。そのおじいさんを探したけどもういませんでした。実は、おじいさんは神様で、親切にした主人一家を大変優しい人達だと考えてお金持ちにしてくれたのです。隣のお金持ちはせっかく神様がやって来たのに、追い払ったので落ちぶれてしまいます。
ね、神様も神様らしい格好はして出て来ないのです。
「素晴らしき哉、人生!」という古い映画の中でも、2級天使が出て来ますが、その天使は酔っ払いのおっさんです。
じゃあ、悪魔は?悪魔は逆に困っている人のところへ、いかにも親切なふりをして近付いて来て、とても良いことをその人に言って、それを信じた人をもっと不幸のドン底に落とします。悪魔だって、悪魔らしい格好なんかして出て来ませんよ。それじゃあ、すぐに怪しまれますから。
ここまで読んで、お話じゃないか!と思った人はもしかして見えているものだけを、その姿だけを見て人を判断していませんか?
少し前に、1人のカナリアが亡くなりました。何の話だか皆さんお分かりだと思いますが、そのカナリアはみんなに一生懸命、辛く生きている人の代わりに人々に「どうか、辛く生きている人のことを苛めないで。」とずっと言っていました。でもみんなは、そのカナリアがおかしな格好をしていたから、そのカナリアがいい加減に見えたから、カナリアは悲しくなって死んでしまいました。カナリアは最後に何を思ったでしょうね。誰も分かりませんよね。だってカナリアは辛い様に見えませんでしたから。
「炭鉱のカナリア」という言葉をご存知ですよね。そのカナリアが幸せに生きられる世界が良い社会なんだと思います。
Who killed Cock Robin? 
誰が殺した駒鳥を
そーれは私とすずめが言った
私の弓と私の矢羽で
私が殺した駒鳥を
(マザーグースより)
誰が殺したカナリアを
そーれは私と誰かが言った
私の言葉とため息で
誰かが殺したカナリアを
自戒の意味も込めてこの詩を作りました。
でも、「見えているもの」だけが全てではないんですよ。見えていなかったものに大事なことがあるのではないですか?
分かりやすいものに人は飛び付きがちです。でも、気を付けて。分かりやすいはいかにも乱暴です。とても分かりにくく、複雑でもいいから自分の頭で考え判断をする訓練をしましょうか。
私達は何を見て、何を信じるかを、それぞれの頭でよーく考えなければ、きっといけないんですよね。
じゃないと、ある日、国会でトップの人がなんでもないネズミ色の背広を着て、何かを言うのを見てしまうかも知れませんよ。
本日のゆりりうすはちょっと深刻でした。
でも村上春樹さんの本の中でも、こういう言葉がありますよ。
「本当に大切なニュースは小さな言葉で語られる。」って。

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