陰謀論陰謀論

記事から科学的にコロナが他の如何なる病よりどれほど恐ろしい病であるのかを説く攻めた寄稿かと期待した俺が馬鹿だった。


結局言ってることは、

ワクチンに否定的な奴等は皆陰謀論者であり、科学が全く理解できない奴等で、彼等が分断を生んでいる。我々はそんな分断とは違う分かってる賢い者である


と言う、陰謀論者による陰謀と戦えー!みたいな馬鹿の極致の話だった。

それで終わらせるのもいいが、少しは掘り下げて馬鹿にしてみよう。


筆者は、ワクチンは基本的に信頼できるものであり、多くの人が接種した方が全体の利益は大きくなると考えている。

信仰告白以外の何物でもない。こう提示したのなら、やるべきことはその基本的に信頼できる根拠だろ。

そうではなく、即反ワクチン批判に移るのは結局自身の信仰にしか根拠がないからに他ならない。

一応、ワクチンについては反ワクチン、反コロナ側の常識的な考え方として、次のものを挙げておく。

1.自分は突貫工事で作られたワクチンなんてコロナより恐ろしいものはいらない

2.馬鹿がおとなしくなるのなら、ワクチンと称して生理食塩水でもさっさと打っておくべきだった

3.収束目前の今打つのは本来の感染症予防措置としては無駄以外の何物でもない

ワクチンは信頼できる!反ワクチン派は分かってない!陰謀論者だ!

なるホワ〜ンとした抽象論より遥かに科学的、合理的な意見だ。


こうした拒否感に対して「正しさ」を伝えるアプローチには限界がある。言葉にすると当たり前のようだが、信頼や不安などの心情もまた重要だからだ。


せめて一言でもその「正しさ」を"伝えてから"言ってくれ。言ってもいないのに伝わらないのは、言っていないから、若しくは伝えられる程の正しさを持たないから、若しくはその両方のどれかだろう。


陰謀論を信じる人々と、反ワクチン論者。それぞれ違いはあり、一緒くたに語ることはできないものの、事実だけでは動かされない人々と向き合う方法を模索することが、これからの社会のあり方を考えるきっかけになると思っている。


寝言は寝て言え。事実を事実と認識していないのは「ワクチンを信頼する側」だろ。

事実とは、

1.日本は欧米諸国と比較して感染者数、死者数共に桁違いに被害が少ない

2.欧米諸国でもロックダウンした国(英仏等)としていない国(スウェーデン)の増減傾向は変わらない、即ちロックダウンに効果はない

3.死者は世界中どこでも基本的に基礎疾患のある高齢者に限られている

4.子供の死者、重症者は極めて少ない

5.季節性インフルより感染者数も死者数も少ない

6.コロナ対策と称してマスクその他を強制しだす前からインフルエンザは減少し、コロナは増加したのであり、ウイルス干渉と考える方が妥当

7.経済を不当に痛めつけたせいで自殺者が、特に女性や子供と言った本当の弱者において、しかもコロナで死なない層で増えた

8.経済の不当で過剰な抑圧はそもそも人々の健康を損なうし、健康の為に可能な投資力を不当に損なう

9.必要もなく経済を痛めつけた上で財政上の負担まで若者に押し付けて高齢者の人権のみ過剰に守ると言う姿勢が国全体で示された

10.医療関係者のリソース配分すらまともにできない医師会、政府、自治体と言う悲しい事実だけが明らかになった


ワクチン教徒はこの事実を徹底して無視する。

彼を始めとしたコロナ脳馬鹿は、実際の声より自分が作り上げた架空のカカシを叩くことで悦に入るのが目的のダッチワイフオナニー野郎でしかない。独りよがりで甚だ恥ずかしい。

先日、『ビハインド・ザ・カーブ』という「地球平面説」を信じる人々を描いたドキュメンタリーをNetflixで観た。地球は丸くないと主張する人々はYouTubeなどで繋がり合い、明るく歌などを作っていた。どことなく滑稽でもあり、実に哀しい気持ちになる映画だった。


反ワクチン派を揶揄するべくクソつまらない最近の思い出を入れ込んだのだろうが、自分達こそ非科学的で地球平面説レベルの代物信仰を唱えているのか想像もできないのだろう。憐れ過ぎてこちらが恥ずかしくなる。

架空の陰謀論者を吊し上げて悦に入る彼より、彼のような馬鹿の発言かをファクトを以て揶揄しているのが我々だ。俺は既に太字で事実、妥当な仮説を挙げているが、彼の無駄に長いだけの駄文には何一つファクトはない。

地球は平面だ、天体が地球の周りをまわっていると言っているのは彼等だ。

まあ、その天動説が覆された時、訳知り顔で地動説論者だったと嘯けるのも彼等だろうが。

この問題系は18世紀には既にあった。あまりにも論理的にガチガチで隙がなく、道徳的な要求をしてくるカントの哲学・倫理学に対して、シラーという劇作家・美学者は、理性だけじゃダメで、感性に訴えかけなければいけないと主張した。彼の作品はフランス革命に影響を与えたという。


カントにもシラーにもなれない幼稚な感情論者が何を言っているのやらと溜息しか出ない。

カントは常に論理的に正しいことを要求したのではない。

あくまで人間の思考には理性と悟性があること、理性的に考えると言ってもその理性には限界があり、限界を知ろう、その中で道徳的に正しいとはどう言う形式なのかを哲学せよと言っているだけだ。

またシラーの言う感性と言うのも、大衆の幼稚な情緒のことを言ってるのではない。それこそ経験や歴史、文化によって培われた感性と言うものを讃えているに過ぎない。

大衆の恣意的で感情的な屁理屈を肯定する為に持ち出すのは、露出狂が己の行為を正当化すべくダビデ像を持ち出すようなものだ。

彼らの主張にもまた批判はあるのだが、ホルクハイマーらの『啓蒙の弁証法』を読むと、「理性の暴力性を理性によってどう制御するのか」という問題に整理されていると言っていい。その問題意識は、現在でも重要性を失っていない。

理性の暴力。

それは「ワクチンを強制せよ、歯向かうものにもどんな詭弁や違憲立法行為を働いても構わない」と言った彼等特有の思想のことを言う。


現代に生きる大衆は常識を余りに失い過ぎた。

常識を取り戻せ。

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