梅田うめすけ

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  • 落語と広重で歳時記もどき

    季節の噺と名所江戸百景に手伝ってもらいながら二十四節気を辿ります。旧暦の正月に合わせ大寒より始まる一年です。

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千葉県生まれ。県立匝瑳高校卒業後、ツアコンになり全国を廻る。 1985年~オーストラリア・カナダに遊学。アルバータ州で就労査証を取得。     カナディアンロッキーの観光ガイドとなる。 1989年 ケンタッキーダービーにて、サンデーサイレンスの単勝をゲット。 1990年 帰国し、株式会社 H.I.S 入社(当時は違う社名でした)。 1993年 骨髄バンクにドナー登録する。 1995年 英国ウェンブリーで、イギータのスコーピオンキックを目撃。 2000年 葬儀社勤務を経て、八代

    • 笑顔二つ PartⅠ

       昨年大晦日の記事、木更津請西小学校の二年生とあった。  請西は「兎をめぐる冒険」なんて訪ねた土地だなぁ、そう気づいたら違うことを思い出した。  1993年、私は京都にいた。前年に旅行代理店から葬祭業に転身すると彼女が離れていってしまい、友人が一人もいない街で夜中も働いていた。  その年7月の選挙で、岸田首相や安倍元首相や野田元首相などが初当選する。会社の前に掲示板があり、前原誠司31歳と書いてあった。同い年だが、片や京都大学卒で府議会議員で国政に行こうとしている。こなた高卒

      • 笑顔二つ PartⅡ

         自分じゃそんなつもりはないのだけれど、Wikipediaに「異色の経歴の持ち主」などと書かれてしまう。たまには「自由に生きていていいですねぇ」と社交辞令を言われる。   食べていくのに転々としているだけであって、早い話がずっと自分のために生きてきたわけだ。此の頃それが恥ずかしい。  そんなことを考えつつ、一人でクリスマスや年越しや初詣や護摩修行等を過ごしていた。で、松が取れる7日の新聞に掲載されたのが、↑ の写真。誇りを持って働く人の顔だ。  この店は知っていた。ただコロナ

        • 三大無茶

           日本人は3つ選ぶのが好きだと言われる。御三家に日本三景、そして数多ある『三大○○』。数ええてみると4つあったりしてね。それに倣えば、私にも人生三大無茶がある。   第一は、英語もできず地縁血縁もなく単身オーストラリアへ渡ったこと。有り金を全部現金にして束のまんまポケットに入れていたから、無茶というより馬鹿である。  第二は、37歳で噺家に転身したこと。それまで生で落語を聴いたことすらなかったから、無茶というより無謀である。  第三が市議選になろうか。国政選挙の落下傘はいても

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          王子の装束ゑの木 大みそかの狐火

          王子の装束ゑの木 大みそかの狐火

          湯島天神坂上眺望

          湯島天神坂上眺望

          質屋庫

             ― 大寒の頃 ― 若い人の間で着物が流行っているらしい。アンティークを新しい感性で自由に、または逆に古式ゆかしく、と楽しんでいらっしゃるようだ。また、外国の方々も興味を持って下さっているやに聞く。誠に喜ばしい。そこで、そんな皆様(とりあえず女性)に、最もコストパフォーマンスが優秀なものを紹介しよう。外国からの旅行者の場合、お土産としても相当に点数が高いと自負している。 それは、男物の紋付の羽織である。     エンブレム付きシルクガウン 着物のリサイクルショップを覗

          川口のわたし善光寺

          川口のわたし善光寺

          お血脈

          ― 立春の頃 ― 節分は季節の分かれ目だから、春夏秋冬すべてにある。その中で立春の前だけ残っているのは、おそらく昔の人が一年の初めと捉えていたせいだろう。当時の正月はみんなで一斉に歳をとる節目であって、不定期な陰暦ではしっくりしなかったのではあるまいか。そうなれば前日の節分は大晦日と同じ意味を持ってくる。 一年の禍を消して新しい年を迎えたいのは人情だ。豆をぶつけて歳の変り目に入り込む魔(ま)を滅(め)っし、歳の数だけ食べてその一年をマメに暮らす。いずれにしても、その禍や魔を

          紋三郎稲荷

             ― 雨水の頃 ―  気になり引っ掛かっていても、今さら人には訊きにくいことがある。私の場合は干支だった。十干と十二支の組み合わせだとは知っていたものの、なぜ干支を「えと」と読むのだろう? なぜ十と十二の組み合わせが百二十ではなく六十なのだろう? と文理両面(たんに国語と算数ですね)に渡って我が身の浅学を象徴していたのである。それが最近になってやっと分かった。干支は本来「かんし」と読み、「えと」は十干十二支を二分し、兄組「え」と弟組「と」を併せた呼び方だったのだ。奇数番

          雛鍔

             ― 啓蟄の頃 ― 初めて寄席や落語会に行った方がよく仰るのは、「なぜ噺家さんはキョロキョロするんですか? 」だ。なかには明らかに怪しんでいて、「……ついハンドバッグを隠しました」などと言う方もある。挙動不審な人が多いのは否定できないものの、物色しているとしたらハンドバッグより持っている女性本体のほうだと思うし、それ以前に左右を見ているのは上手と下手にいる人を演じ分けているのだ。ご安心いただきたい……いただけないですよね。 落語は一人の人間が座ったままでやる話芸だから、

          鴻の台とね川風景

          鴻の台とね川風景

          青菜

             ― 春分の頃 ― 落語界に入門が許されると、師匠が名前を付けてくれる。前座名という奴で、私は「勝好」をいただいた。やがて二ッ目となり、師匠が名前は自分で考えるようにと言ってくださったので、三升家伝統の「勝」の字に菜を添えて「勝菜」とした(その後、前述の「う勝」に変更)。 郷里千葉県の花でずっと身近にあり、素朴な明るさが好きだったからだ。 菜の花は一冬越して董が立ってから花を咲かすというので、元将棋連盟会長の故米長邦雄さんが庭に植え、最年長で名人位を奪取したと聞いたから

          長屋の花見

             ― 清明の頃 ― 角界と落語界は、歴史と身体の重みはとても比べ様がないけれど、興行形態が整ってからの在り様は似ている。師弟関係、一門の括り、階級による序列、伝統と興行の相克、等々で親近感を覚えるのか、相撲好きの噺家は多い。 一方、角界と大きく違う点といえば、落語界は階級が下がらないこと、そして協会から支給される給料に階級差がないこと(0円)、であろうか。稀に真打昇進問題への批判で、「真打は相撲でいえば横綱、それが大勢いるのはいかがなものか」、と仰る方がいる。ぜんぜん的