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4年間通った大学を辞めた結果

1年のまとめの記事や振り返りの記事も書けていないし(というか書くつもりなかったのだが)、ずっと放ったらかしになっていた「現状報告」をこのタイミングでしてみます。

まあなんかだんだん春が近づいてきているし、ちょうどいいよね。大学辞めたあとどうなったの?って思っている方も一定数いるかもしれないし。いないかもしれないけれど。

この記事は↓の記事の続きになります。


大学を辞めた2023年1月。
ちょうど1年ほど前。私は自分の"行きたかった大学であり受かっていた大学"ではない大学であり親に無理やり入れられた大学を4年間通って辞めた。

辞めたのは1月入ってすぐで、あと2週間実習に行って授業を受けて試験を受けたら5年生になれるところだった。

もちろんその試験(CBT)の勉強も休学中からしていたので、受ければよかったなぁ〜、もったいなかったなぁ〜と思う反面、その試験までの2週間ですら耐えられないくらい苦痛だったので辞めた。

当時の私の心境は、大学を辞めることができてスッキリ!!という感じではなくむしろそこそこに絶望していた。

その理由は明確で、私は今までの人生、
「何かを途中でやめる人間は何も続けられない人間になる。」
という祖母や母親の教えに従い、どんなに嫌なことがあっても自ら何かを辞めたことがなかった。

毎日辞めたいと思っていた中学高校(私立なので辞められる)も気合いと根性だけでなんとか通ったし、中学3年間は1日も休まなかった。

無理やり始めさせられた習い事も「嫌だなぁ」と思っていても自らやめることを切り出したことはなかった。
(親が私の才能を見切って辞めさせるのをずっと待っていた。)

なので「何かを辞める」ということが死ぬほど怖かった。

一度学校を辞めてしまうと、今まで気合いと根性だけでなんとかしてきた日々の裏付けがあったとしても、
「自分は嫌なことがあればすぐに辞めてしまう人間になる。」
と思ってしまうようになった。

みんながみんなそうではないと思うけれど少なくとも私はそうだった。

それ故に2023年の1月、2月の私は自分に対する絶望に満ちていた。
自分は何もできない人間だ、と。
何も達成することができない人間だ、と。

その上、病気由来の精神の落ち込みが激しく、首を吊って失敗し泣きながら余っていた抗不安薬をのみ、死んだように眠る日々であった。

そんな私をみた訪問看護師さんが私にもともと入院していた大学病院の精神科への入院を勧めてきたのでそれに従って、3月の半ばから6月の半ばまで入院した。

入院中、退院後の生活をどうするかという話し合いをよく先生や看護師さんとしており、その中でも度々話題に上がった『働く』ということをしてみようかなぁと思った。

ただ、今まで大学生だったこともありアルバイトもそこそこしかやっておらず「働く」ということが一体どういうことなのか想像できず、私には可能なのだろうか?と思いつつも、退院したその日にノリと勢いだけでバイトの面接に向かった。

まさか「閉鎖病棟を退院して3日も経っていない人間」が面接に受かると思っていなかった私は受からないつもりでいたので、退院してすぐには働く気もなく、ただ「働く姿勢だけ見せておけばいいかぁ」なんて甘ったれでクソみたいなことを考えていたのだが、予想に反してあっさりと受かってしまい7月から2ヶ月間短期のアルバイト(とは言ってもパートくらいの労働時間だった)を始めることとなった。

今まで歯を削ったり、石膏やアルジネートを練ったり、人間や蛙の解剖(実習)をしたりなど、世間一般的な労働とは異なることをずっとしていたため、
「私って使い物にならないんじゃないだろうか」という不安が蠢いて仕方がなかったが、受かってしまった以上バックれるわけにもいかないので大人しく働き始めた。

そうしたら私の想像とは違い、私の職場は頭脳よりも体力勝負で、難しいことは求められずとにかく身体を動かせばいいだけだった。

身体を動かすのもそれはそれで大変だったが、体力はまあ多分それなりにあるはずだし、何より一歩間違えれば即留年してしまう大学時代より、日常生活において頭や神経を使うことがだいぶ減ったので気持ち的にも楽だった。

それに何より救いだったのが「お金がもらえる」ということだった。これはでかい。
何を今更という感じだがまじででかい。

今までアルバイトはしていたが所詮アルバイトだし大学も忙しかったのでなかなかシフトに入れず、お給料はお小遣い程度だったし、大学からお金をもらっていたがそれなりの額をもらっていたわけでもないし......。(貰えるだけ感謝しないといけないが。)

なのでアルバイトというかほぼパートくらい働けばこんなにお金が貰えるのか!?と驚いた。

し、何より嫌なことをしていてもその時間ですらお給料が発生するのが最高だった。

今までは殴られて、怒鳴られて、虐待を受けて嫌な思いをしてもお給料や慰謝料がもらえるわけでもないし、
朝9時前から夕方の5時6時まである実習をこなしたとてお金を貰えるわけではないし、というかむしろお金は減るし(学んでいるので当たり前だが金欲し〜!って思っていました。)、
嫌なことを必死で耐えても特に何にもならないという経験が蓄積されていた私としては、我慢料が貰えるということがすごく新鮮だった。

客に嫌なことを言われてもお金のことを考えたら耐えられる。本当に。

仕事が嫌な日があっても今まで働いた分のお金を計算すれば明日もまた頑張ろうかなぁ〜となる。
そしてもう辞めてやる!という頃になると給料日がやってくるので給料をもらったその足で焼肉を食べに行き、酒を飲み、貯金に回さない分のお金で好きな服を買えばだいたい満たされて、来月もまた頑張るかぁ〜!となる。

自分の人生が「生きる方のサイクル」に入ったということを確かに実感していた。

大学を辞めて、
「私はもう何もできない人間なのだ」
と悲観していたが普通に働けたし、普通に生きていけた。

大学を辞める前、私より先に大学を辞めた人が「大学辞めても意外となんとかなるよ!」
と言っていた。
当時はその言葉の持つ意味をあまり理解していなかったが、今ならその言葉の意味がよくわかるような気がした。

大学にいたら人生のレールに「大学」が入った人としか出会わないため、大学が全てで大学を辞めたらレールから外れるんだ!と思っていたが、意外とそうではなく、というか決められたレールなど人生にないのだなと思った。
多分みんなが見ているレールらしきやつは知らないどこかの誰かの凝り固まった価値観の具現化的なものだと思う。知らんけど。

人生何が起こるかわからないから、この先どうなるかなんて誰にもわからない。
だから何度も言うが、決められたレールなど存在せず、自分の未来は自分で切り開いていくしかないのだな、と思った。

のだが、9月ごろ働いていたのに何故か突発的に死にたくなった私は短期のアルバイトを完遂したあと、本気の自殺企図をしてたくさんの方に迷惑をかけてしまい、苦しい気持ちの中、再度自分の人生を見つめ直すことを決意した。(ここまで書いていてすごく恥ずかしい。本当に恥ずかしい人間だなぁと思う。申し訳ない気持ちでいっぱいになるし、本当に死にたくなる。)

以前の入院生活で自分の病気に向き合うためのノートを作り、
①自分の病気について自分が思うこと 
②病気への対処法 
③客観的にみた(先生や看護師さんからみた)私と、主観的にみた私との違い
などをまとめて自己理解を深めていたが、もっともっと色々なことを掘り下げていかなければいけないのだな、と改めて思った。

9月の自殺企図で入院した時に看護師さんに
「ゆっくりでいいんだよ、ゆっくりで。焦る必要はないよ。ゆっくり自分のできる範囲で生活していって体調を整えていってね。」
と言われたことを忘れずに、私の病気を特に専門的に診ている先生と治していこうと決意した。


そして治療を進めていく中で私は徐々に精神的な安定を取り戻し、10月の半ばごろに再び働くことを決意した。
しかし、9月のことがあったのでちょっとペースダウンして様子を見ながら働いていた。

ちょうどそのあたりに「パニック障害」を発症するなどの困難はあったが、薬を飲めばかなり制御できるので、薬を飲み始めてからは苦しいけれどそこまで働くことに支障をきたさなかった。
バイト先の雰囲気もいい感じでメンタル的にも落ち着いていた。

ただペースダウンをしてしまったが故にお金がなくなってしまった。
これでは困る、と思い仕事を掛け持ちしようと目論んでいたのだが9月の件もあり(しつこい)、長い時間の労働に耐えられる自信はなく、でもお金は欲しいので夜の仕事を始めることにした。

それもそれで初めての経験だったので自信はなかったが、お客さんの話をニコニコしながら聞いて適当に盛り上げて、酒飲んでるふりしてお茶を飲んでニコニコしてたまにセクハラやパワハラに耐えるだけでお金が貰えるので楽だな〜と思ったし、
「私、昼も夜も行けるんじゃん!」
という変な自信がついた。

そして、ついこの間銀座や六本木にある会員制のなんかよくわからないけれど有名なお店の方から働いてみないか?と言われ、上京を決意し夜職一本で生活することになった。

などというオチはなく(銀座や六本木で働かないかと言われた話は本当だが)、夜職を始めて1ヶ月、
「こんな仕事何年もやってられるか馬鹿野郎!!!目標金額が貯まったその日に辞めてやるわ!!」
という気持ちになったし、前々から欲しかった「大卒」という肩書きが再び欲しくなった。

例えば、私が銀座か六本木でめちゃくちゃ仕事を頑張り30歳になる頃には夢のような貯金や収入が得られていたとしてもそれはやはり永遠ではない。なぜなら若さは永遠ではないからだ。

若さや、顔、経験、トークを売りにしたとして、若さは次第に失われてゆくし、顔だって老いる、経験も夜職一本だと夜職の経験しかなく、話せる内容もだんだん減っていく、と私は考えた。(みんなもそう考えるよね。)

若さが減って老いた私が次に行く先はどこなのか?と想像するととんでもない恐怖が襲ってきたし、何よりお金だけでは私の心が満たされないということを私は知っている。

だからなんとしてでも大学を卒業したい、というか大学で何かをもう一度学びたいな、と思ったし、何より私は歳をとった。

昔(20歳くらいの時)なら、30歳まで夜の仕事をして辞めてお金使いまくって死ねばいいや〜!
くらいに考えていたが、どうやら人間は簡単に死なせては貰えないらしい。
しかも私のような日常がうまくいっていない人間なら尚更、死ぬことにおいてもうまくいくわけがない。

ということを24歳になって気がついてしまったため、死ぬことを諦めてとりあえず生きていくことを考えないといけないなと思った。

ただ生きていくこともまた諦めで。
私は私に何度も裏切られてきたので、私に対して何の希望も抱いていない。
私が何かすごいことを成し遂げるとか、何者かになれるとか、そんなことは思っていないしというかむしろ逆に何者かになりたくないと思っている。

自分は「他の誰でもいい人間」であることを受け入れて(自分という存在を潜在的に特別視して生きることを諦めて)生きていくことが楽だし、それでいいやと思った。


これが大学を辞めた先の未来です。

読む人によっては「私はこうはなりたくない!」と思うだろうし、もちろんそれはオッケー。

むしろ現役の大学生には何がなんでも大学を卒業して欲しいと思うし、逆に「もう限界!大学辞めたい!!無理!!」と思っている人には(大学に未練がないなら)スパッと辞めて欲しいと思っている。

どっちを選ぶにしろなるようにしかならないというか、なんというか、それなりに頑張ってなんとかしなきゃいけない。(死ねないならば。)
なら自分の好きな方を選ぶべきだしその方が絶対人生に対する満足度が高いと思う。

好きな方を選んだとてうまくいくかどうかはわからないけれど、人にはその人それぞれの適性があると思うし、他人の数だけそれぞれの環境がある。
大学を辞めていない立場の私だったらきっとこんなことは言えなかったと思うけれど今なら言える、「環境を変えてみるのもあり」だと思います。

環境を変えるのがしんどくてだるくて、何よりも死んでしまいたいならば、それはそれでいいと思います。無責任だけど。

私は死ねなかった側の人間なので人生が続いてしまっているだけだし、仕方なくどうにかしなきゃいけなかっただけで、あの時死ねていたらめちゃ楽だっただろうなぁ〜とかやっぱり今でも考えてしまうし、「何より環境を変えて生きること」を肯定しまくっていたら環境を変えられずに亡くなっていってしまった方に失礼だと思う。


「生きてりゃなんとかなる!」は生きている人間だけが出来る励ましだし、「死ねば終わる!」は死者だけが出来る励ましでどちらも正しいし、どちらを選ぶかも個人の自由。

それでも私は死ねなくてどうしようもなく生きている方に少しでも希望、は与えられないか。
まあこんなやつもいるんだし気楽に生きればいいかぁ!と思ってもらいたくてこの文章を書きました。

なので、皆さまの未来に幸あれ!です。ではまた。


(余談ですが、3月から私はまた別の道に進むので一旦ここで一年をまとめました。私も3月からまた頑張ります!)

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