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他人の期待を裏切るもの

裏切りは許さない、などという人は苦手だ。
期待に応える、というのも大して面白くない。

こちらの勝手な期待を裏切るものこそ、新たな視点をくれたり、時に大切なことを教えてくれたりもする。

先日、以下の本を読んだ。

タイトルを見て、「この本は、先日私が書いたことをより詳しく言語化してくれているのではないか」と勝手に期待したからだった。ちなみに私が書いたこと、と言うのはこちら。

結論から言うと、私の勝手な期待はまんまと裏切られた。

「あなたはゴリラですか。」というユーモア溢れる序章から始まるこの本を、楽しく書き続けるためのライトな文章論、などと期待して購入した読者は、私同様良くも悪くも見事に裏切られているのではないだろうか。

序盤のおふざけはどこ行った、と思うほど、読み進めれば読み進めるほど、「文章を生業にすること」について大変真面目に書かれていた。

・エッセイとは事象と心象の交わる部分を書くこと
・一次情報にあたること(図書館を利用しよう)
・心象だけを述べる人は極めてつまらない

心象だけをつらつら書きがちな私には、大変耳が痛い話でもある。

理解しづらいものにこそ

Web上には、「ググればなんでもすぐに解決する」と思わせてくれるような手っ取り早いコンテンツが溢れている。簡単で、明快で、少しでも迷ったり疑問を持ったりすることがないように。

多くの人が期待する回答を、「こう言ってほしいのでしょう」を見せてくれる。物事そんなに簡単に解決することばかりならば、仕事も恋愛も人生も、誰も悩んだりしない。

理解できること、共感できることももちろん大事だ。できることならば、自分にとって心地よいことだけを聞いていたい。けれど、すぐには理解できないもの、期待を裏切るもの、自分が言ってほしいことと異なることこそ、本当は為になる情報であることが多いように私は思う。

面白い、と思わせてしまうもの

先日友人から、「これバズってたから」とnoteのリンクが送られてきた。

TL上ではたくさんの人が、彼女の文章を、面白い、面白いと言っている。

糸井重里さんにも引用されていた。

彼女はnoteの中で、「私の文章は結論が弱い。」といっている。
彼女の友人である、キレッキレの港区系女子コラムニストの妹尾ユウカからは、「みんな、答えが知りたくて読んでるんだから。」と言われたという。

ふつうの人は、そうだ。ネット上で期待される、分かりやすい文章。ややこしく結論のない文章なんて、誰も期待していないかもしれない。彼す女の文章は、分かりづらくて、結論がなくて、そして面白い。

分かりづらいもの、すぐに理解できないもの、なんだこれと思わせてくれるもの、不完全なもの、歪なもの。他人の期待を良い意味で裏切り、時には自分の期待すら裏切るようなものをつくり出せたならば、と願う。

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