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2004年2月と人間失格

三田二丁目に住み始めて、6年になる。

母校に近いから住んでいるわけではないが、朝10時までコーヒーが300円で飲めるカフェに行って30分ほどで「トニー滝谷」を読み、帰りにいつもより学生が少ないなと気づくと、入試の時期であることに気づいた。

2004年2月、僕は北海道から上京し、2週間ほど日吉のウィークリーマンションを借り、二回目のK大学の入試に臨んだ。

前年の入試では父と共に渋谷のホテルに泊まり、道玄坂の麓にある吉野家を食べた記憶がある。北海道に吉野家は、その当時はなかった。

今回は日吉駅からはえらい遠いキャンパスの裏の、むしろ矢上キャンパスの方が近いであろうエリアに泊まったため、東横線で日吉駅に降り、銀玉の眩しさに目を奪われることもなかった。

文学部と経済学部以外の文系4学部を受けたが、どこかの学部は三田キャンパスで受けた気がする。

4学部の試験を終え、確実な手応えも特にはない中、北海道に戻る前にいいようのない不安を感じた。

さすがに、二浪は不味いよなあ。もし、どこにも受かっていなければ、いきなり就職するわけにもいかず、親に相当の申し訳なさを感じつつ、二浪する羽目になる。実際、代ゼミ寮でできた友人たちの中には、二浪になった者も存在した。

合否が出るまでの間の、言いようのない不安。

もし落ちていたら、人間失格なのかなあ。と思い、僕はタイトルだけで太宰治のそれを買い求め、日吉のウィークリーマンションで読み終え、北海道に戻った。

当時読んだ人間失格の内容はさほど頭に残っていないが、2019年に映画化された時には、一人で観に行った。たまたま、誕生日だった。

東京の2月の、雪が足下にない澄み切った青空は、北海道生まれの僕にとっては、新鮮なものだった。その青空が、僕に20年前のことを思い出させた。

20年経ったからこそわかることだが、二浪になったところで大した人間失格ではない。世の中にはもっともっと、人間失格的な出来事は多く存在する。

僕はその後、入学一年目で「一留」を決めたので、事実上、二浪である。しかし、留年していなければ、今のような生活にはなっておらず、どこかの中小企業で栽培マンをしていたかもしれない。

少なくとも1日何の予定もなく、朝からカフェで「トニー滝谷」を読み、こうしてポエムを書いている僕は、まごうことなく、社会人失格であろう。

だが、まともな社会人というものが、時間貯蓄銀行の銀行員のようなものであれば、社会人として生きることに僕は意義を感じない。

何かのレールを外れることで、失格となるのであれば。いっそ、その方が面白い展開を臨めるかもしれない。失格になることを、恐れてはいけない。

「トニー滝谷」が収録されている。


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