キャット、ウチに来て1周年
突然にキャットを飼い始めたあの日から
気づけば一年が経っておりました。
早いもんだ。
二匹とも大きく、特にゴエがけっこう巨猫になって抱えるのもやや重たい毎日である。どうでもいいが本日はなぜかカラスがばか鳴きする日であり(近くに巣でもはったのでしょうか?)キャッツは見回りに余念がありません。こうして文章を書いていても「見回りだ、開けろ」とドアの前で催促される有様である(-"-)。
まあおおむね、おかげさまで二匹とも健康に過ごしておりまする。
健康と言えば当方、キャットを飼い始めた去年の今頃は
坐骨神経痛の真っ最中
であって(;'∀')正直、寝不足や慣れないエサ、トイレの世話、なにより
毛の掃除
にはけっこう体力を奪われた覚えがありまする。でもまあ、神経痛の身で室内で出来る運動のネタには困らず、却って回復の一助になったかもしれません。
それだって治ったから言えることで、当時は毎日毎日雪のごとくに降り積もる二人の白い毛を掃きながら
なるほどお坊さんが出家時、剃髪する意味がよくわかる…
と一種シューキョー的なアキラメの境地にあったものです(笑)要するに毛とはボンノーのことで掃いても掃いてもわいてくる。生きることは、つまり毛が抜けることであり、煩悩具足の凡夫とはさてはキャットのことでもあったのかと軽くサトリまで開いてしまった(-"-)恐ろしいことである。
ただキャットと暮らしてみて、ひとつ非常に感心したことがあります。これは当時、神経痛療養中だったからよけい強く感じたのかもしれませんが、
こいつら何にも役に立たないくせにぜんぜん悪びれないな
ということである(-"-)寝ている。ゴロゴロしている。そのくせ尻尾を立てて大いばりで「メシ」という。愛猫家諸君におかれましては「キャットはカワイイのが仕事」などと仰るだろうが、これはなかなかできることではない。ニンゲンだったらまず無理でしょう。いくら美人に、イケメンに生まれついたとしても
何にもせずにふんぞり返っていて全く後ろめたくない
という奴はまずおるまい。まして見た目に資本がない当方のようなタイプはなおさらである。何か少しは役に立つ、仕事ができるところを見せなければどうにも身の置き所がないという気ぞすなるのである。日本語が乱れましたがw、世知辛い世の中のこれは常でありましょうぞ。
これが元気な時には頑張って仕事する原動力になったりするのでまあそう悪いもんでもないんですが、体調の悪いときまで持ち越すのは考えものである。ああ仕事ができない、迷惑をかけた、申し訳ない、将来が不安だなどなどニンゲンは程度の差はあれどうしても多少は思ってしまう。これが回復を遅らせるのである。ストレスという奴である。考えてみれば要らんストレスで、まだ来ていない(というか来るかどうかも分からない)将来のピンチにまでそんなにおびえるこたあないんですがニンゲンの頭はそうなっているんである。
病気の時だけはキャットを見習った方がいいな(-"-)
とマジで思いました。
…いえ、実をいうとホントは
病気になる前から見習った方がいい
と思っており、去年から実行に移しつつある(笑)ところなのです。このnoteでも何度か休みの取り方がわからんとか、そんなこと描いてますからね…。
というわけで本日は仕事がない(笑)。
昨日一昨日はチョーナイカイの雑用をこなしたので疲れたのであります。なので本日はキャットのごとくのんびりする所存であります('ω')
ではお粗末様でした(*- -)(*_ _)ペコリ
たくさんのサポートを戴いており、イラストももう一通り送ったような気がするので…どんなお礼がいいですかねえ?考え中(._.)