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振れ幅について

萎縮してしまう原因

これまでの12年間、様々な生徒様・保護者様と
お話をさせていただいてきました。

「今このぐらいの点数しか取れていないのに、
 私がこんな学校を目指していいんでしょうか。」
ですとか、
「全然勉強する習慣がないのに、
 塾に入って他の方に迷惑ではないでしょうか。」
とおっしゃる、すっかり萎縮してしまっている方に
時々お会いすることがあります。

萎縮してしまう原因は、
他人と比べているからだと思います。
私は他人との比較にはあまり意味がなく、
過去もしくは現在の自分と比較して、
どれだけ振れ幅をつくっていけるかの方が
はるかに大切だと考えています。

またそんな綺麗事ばっかり言って、
受験はまさに他人との競争だし、
資格試験なんて合格不合格やスコアが全てじゃないか、
と思われる方もいらっしゃると思います。

確かに、きちんと結果を出すことは大切です。
Migakuでも日々結果を出すために
ありとあらゆる手を尽くしています。
ですがそれは一体何のためでしょうか。

求められているのは、振れ幅のある物語

ここまで英語を教えることを仕事にしてきたので、
たくさんの先生方、
もしくは先生を目指す方々にお会いしてきました。
英語の先生を目指されるくらいなので、
英検の準1級や1級、高いTOEICのスコアを
保有していらっしゃる方は珍しくありません。

しかし、では英語力の高い先生がとにかく素晴らしく、
一緒に働きたい先生かと言われると、
必ずしもそうではありません。

履歴書などで立派な資格が書いてあるのを見ると、
是非一緒に働きたいという気持ちよりも、
「プライドやこだわりが強すぎて
 面倒くさい人だったら嫌だな…」
だとか、
「この人は生徒の成績を伸ばすことより
 自分の英語力を伸ばすことに興味がありそうだな…」
という考えが正直先に浮かびます。

そして残念ながら、そういった見立てが
当たっていることも多いです。
いくら能力が高くても、自分に重きを置きすぎている
人は求められないのが現実だと思います。

逆に今まで印象に残っている先生は、
「学校のきまりで高校生のうちに英検2級を取らないと
 いけなかったのになかなか取れずに落ち続けました。
 学校の先生になじられながらも食らいつき続け、
 なんとか卒業前の2月に合格できました。」
ですとか、
「中学3年生までBe動詞と一般動詞の
 区別がついていませんでした。
 塾に通いその違いが初めて理解できたことに感動し、
 そのまま英語の先生になりました。」
といった物語を語ってくれた先生です。

こういった自分自身の
振れ幅のある物語を語れる先生は、
目の前の生徒と真剣に、
泥臭く向き合うことができます。
振れ幅のある物語が他人に響くことを知っており、 
自分ではなく他人に意識が向いているからです。

結果そのものに加えて、その過程を語れる経験をすること

そしてこれは就職に限った話ではないと思います。

Migakuのホームページでもお話している通り、
大学入試においては従来のペーパー試験で
受験する生徒は6割から5割程度に減少し、
推薦などの新方式で大学に進学する生徒が急速に増加しています。
この傾向は賛否両論ありますが、良くも悪くも
画一的な基準では判断されなくなっていく、
ということだと考えられます。
特にコミュニケーション能力を測る面接試験では、
資格試験のスコアなど結果そのものに加えて、
そこに至る過程をいかに語れるかが
重要になるのではないでしょうか。

相手に響く、振れ幅のある物語の基盤になる経験は、
別に勉強でなくても作れます。
ただし、それは自分が本気で物事に取り組んでいく上で
積み上げてきた経験だからこそ、
上辺だけでなく本当に人の心を動かすのだと思います。

勉強に真剣に向き合うことを通して、
自分の中に振れ幅のある物語を作りたい方は、
現在の自分の状態がどうだからと気にするよりも、
是非一度、Migakuに来ていただければと思います。
一緒に物語を紡いでいきましょう!
お待ちしております!

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