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貴方の境遇は貴方のせいかもしれないし貴方のせいではないかもしれない

まえがき

この文章は長い。しかし、なにか貴方自身が何か苦悩を持って生きているとしたら、読んでみてほしい。

結論を先に述べると、単なる鬱の体験記と思われるかもしれないが、僕が言いたいことは「今、自分が見えているものはほんの一部である。何もしなくてもあらゆるものは変化するし、自分自身で変化させることができる」という話である。書き始めたら想像以上に長くなってしまったため、読み方を提案する。前半は僕の事情を話すだけのもののため、読み流しで良い。主張したいことは後半で書かれていて、あっさりしている。

この記事は、僕が頭の中でリフレインしてしまう苦痛を文章にしたものである。つまり、貴方向けのものではない。僕の中で繰り返し脳内に現れるものを止めたいと考えたからである。外に出したからといって止められるかはわからない。しかし、外に出してみたかったのである。自分語りである。それを読んだとして、貴方のためになるかどうかもわからない。でも貴方のためになるかもしれない。

僕の視点での話となるため、相手側の主張もあることを加味して読んでほしい。今回の記事の意図は、僕の苦悩の話であるからだ。つまり、僕の話が全てではない。相手側の言い分もあることを前提に読んでほしい。それでも僕視点であるから、相手への敬意や怨嗟も多分に出てくる。もし貴方が苦悩を抱えているとしたら、僕の視点で読んでもらえたら共感してもらえるとも考えている。

前提

僕は過去に2つの会社に所属してきた。これはこれからの話しの中に出てくる。

僕は基本的にだめな人間である。これは逃れようがない。だから多分に人に迷惑をかけてきた。嫌な思いをさせてきた。しかし、今の僕は少しはだめではなくなったかもしれないと感じられるようになった。それもこれから話すことが大きく影響している。

僕は自称ではなく発達障害を持っている。鬱も患っている。何年の心療内科に通っている。これがこれからの話しにどれだけ影響しているかはわからないが。

僕は今、幸せである。

最初の鬱

新卒で1つめの会社では、新卒者は数年おきに部署替えが行われる。その部署替えで揉めた。その部署で3シフトで稼働している部署があり、夜中に働く場合もあった。会社の意向としては、その部署に入ることが重要であると考えていた。

僕は大学時代にIgA腎症という病気を発症していた。僕が発症して5年後ぐらいに難病指定された病気であった。悪化すると腎不全となる可能性を孕んでいる。この病気を持っていることは入社時に伝えてあった。

部署替えの話があったとき、シフトのある部署への異動が打診された。僕は病気が悪化する可能性があることを恐れ、日勤勤務の部署への異動をお願いした。これが会社としての僕の扱いが難しくなったのだろう。別の部署に異動することになったが、別部署へのお願いをしたことの悩みと新しい部署に適用できなかったことで鬱症状を発症した。朝立ち上がることも食事を摂ることもできなくなりながら数ヶ月勤務したが、とうとう倒れた。通院し、半年休職した。このときに対応してくれた人事の方は入社時からお世話になっていた方で、僕が表面に出すことはなかったが敬意を持っていた。単に優しいというわけではなく、指摘すべき明確に柔らかく、共感してくれることは全力に表現してくれた。

時系列は鬱症状のこともあって定かではないが、この頃結婚した。僕には長年お付き合いしていた人がいて、僕が倒れたことをきっかけに来てくれた。先に述べておくと、妻は命の恩人である。僕一人だったら、今こうやって文章を書いていることはなかった。これは断言できる。自殺する勇気はない。ただ食べずに動けなくて野垂れ死んでいた。

復職と二度目の鬱

半年後、復職した。新しい部署で。とてもゆったりとした部署であった。ただ僕自身が感じていたことは「会社としての僕の扱いづらさ」であった。僕自身の妄想ということも少なからずある。それでも病気持ちで鬱を患っている人間が扱いづらいことは明白である。そんな中でも1年以上働いた。

1ヶ月か2ヶ月に1度、先程の人事の方がメンターとして面談があった。1年ぐらい働いたあるとき、その人事の方が退職された。そのため、後任として人事のトップの方(Y氏とする)がメンターとなった。ここからが僕自身の地獄の日々だった。

僕はそれまでに、その方の前で失敗を何度も繰り広げている。そのため、厳しい指摘を受けることが多かった。僕はその方が苦手であった。厳しいから苦手なのではなく、明らかに価値観が違いすぎたからである。

この頃から鬱が悪くなり、明確な記憶がない。ただ、その場で言われた強烈な一言は、僕の中で今でもリフレインする。

「会社って慈善施設じゃないからさ」
「仕事なめてるでしょ」
「親会社はもっと競争が激しくて、橘君ならもう辞めさせられてるよ」

もっと厳しい一言があるが、もしこの文章を僕の知り合いが読んだときに影響するかもしれないため、割愛する。会社が慈善事業でないことはわかっている。ただし、次の一言だけは僕が到底、容認できない一言であった。

「学生のときの入試試験なんてさ、今考えると楽勝だったでしょ」

これは僕に対して言われたものではない。しかし、この一言が僕の中で「だめだ、この人」と思わされた一言であった。人にはそれぞれ苦労や困難がある。これは一律のものではない。一人の人間であっても、その時々でそれらは変わる。そういったこともわからない人が人事のトップをやっているのである。その考えから最も想像できるY氏の価値観は「学生の軽視」である。Y氏は学生を下に見ている。そんな人が入社する人を選ぶ側にいる。この言葉が僕に悩みを与え、また新たなる鬱への悪化となった。

年が明けて、僕は一週間ほど会社に行けなくなった。そのときにはタイミングが悪く、妻が理由があって、数ヶ月間実家へと帰省していた。そんな中の悪化であった。

なんとか出社した。かなり無理がある状態であったが、鬱を経験したことであれば分かる通り、鬱であっても「普通」のふりをする。出社して、社員の方と談笑した。久しぶりの会話に、少しだけ笑うことができた。

そのタイミングでY氏が現れた。会議室に呼ばれた。会議室に入って一言目に言われた。

「楽しそうだね」

そこからの話は覚えていない。僕は茫然自失で自席に戻った。その後すぐに体調不良を理由に帰ったかもしれない。妻に電話した。今となっては覚えていないが、会議室で言われたことを伝えた。

「笑えるようになるように頑張っているのに」

と言って、妻は電話口で泣いた。僕も泣き崩れた。

またその後の記憶が定かではない。ただ、なんとか出社している間に妻が戻ってきた。その間にも定期的にY氏と面談が行われた。

3月頃、また体が動かなくなった。数日休んだか何かは覚えていないが、出社したときにY氏がまた来た。会議室に呼ばれた。覚えてないが、なにか厳しい一言をいわれた。ここからまた記憶がない。会議室は次の予定があるため、別の会議室に異動した。

Y氏が先に歩いて次の会議室まで歩く最中に、吐き気とめまいで動けなくなり、しゃがみこんで動けなくなった。なんだかんだで会議室に入った。

ここでの話も殆ど覚えていない。ただ

「さっきの一言を言われたぐらいで動けなくなったの?」
「もう辞めたら?」

その後の記憶は、自席に帰ってうつむいて呆然としていたことと「上司に明日から休職になった」とLINEしたことは記憶しているが、本当にほとんどない。

後になってしまうが、僕はその上司の方にとても恩義を感じている。何もできない僕をケアしてくださった。

転職

そのまま休職し、とあることで恩のある方に手を差し伸べてもらい、転職した。

ただ、鬱が回復しない状態での転職。半年ほど働いたときに動けなくなり、半年休職して退職した。僕は今でも、手を差し伸べてくれたその方に恩義を感じつつも、何もできなかったことを申し訳なく感じている。何もできないまま退職してしまったが、今僕が幸せな状態にあるのも、その方のおかげだと感じている。今の僕なら何かできるかもしれない。

フリーランスになってから

休職中からフリーランスになることを決める。僕が会社にいることがだめな理由がこの頃からわかり始めたからである。

- 自席で作業する
- 発達障害による多動性やふとした言葉を時々発してしまう
- 多動性を周囲に見られることや周囲の方が気にしてしまうことを気にしてしまう
- 席の後ろを頻繁に歩かれることでのストレス
- 電話の声

挙げ始めたらきりがないため、割愛する。フリーランスになってからは家か喫茶店での仕事が主。喫茶店でも壁側の席が多い。会社で感じていたストレスがかなり軽減された。

とはいえ、仕事が最初から入るものではない。妻の収入が主ではあるが、支援できる程度の稼ぎを不定期に得た。それでも鬱が解消されたわけではなく、寝たきりの期間も多分にあったため、長期的な仕事は難しかった。何度も寝たきりを繰り返したし、働けるときに大きめの収入を時々得ることもできた。納品したにもかかわらず支払われずに、自力で少額訴訟を起こしたこともあった。色々あった。

鬱が急激に悪化し、希死念慮も2度ほどあった。深夜徘徊し、自殺することをひたすら考えたときもあった。しかし、子供の頃から死ぬことが怖くてねられなくなるほどだったためか、それは免れた。

今年の6月までは体調が悪くなっていたものの、少しずつ安定してきた。

7月頃にFacebookで何気なく投稿したところ、転職したときの会社の方からメッセージをいただき、業務委託としてジョインした。並行して別の会社の方からも声をいただき、そちらにもジョインしている。

今の流行り病はみんなを不幸にしている。そんな中でも、社会構造が変わったことで僕自身にとって働きやすい時代になった。

今僕は、週3日程度8時間ほど働き、残った日はまばらに働きたいときに働いている。それでも、役に立っているという実感が得られている。収入も、会社で働いていたときの何倍もの金額を得られるようになった。成功体験として語りたいのではない。こんな僕でも稼げるんだ、とことを日々感じられるようになった。

最後に言いたいこと

会社という枠に自分をはめて考えることは、意味のない行為である。フリーランスになることを進めるものではない。今いる会社で苦悩を感じたときに、その会社にいることがすべてではない、という価値観を見失いがちだ。昔ほど転職は重いものではない。自分にあった生き方を選択する余地は多分にある。最近流行りの「正常性バイアス」にとらわれていないか、今一度確かめるべきである。

今までお話したこととは関連性が薄いが、「自分が頑張っているのにあの人は頑張っていない」という足の引っ張り合いの考え方はさっさと捨て去るべきである。そこから何も生まれない。貴方はただの従業員である。他の人が頑張っていないことに貴方の責任ではない。その責任を担うのはマネージャーなどの管理職である。貴方は貴方の仕事を給料分頑張れば良い。給料以上に頑張ったと思ったら、その分給料を上げてもらうようにすればよい。それができないような会社だったら、それは貴方がいるべき会社ではない。よりよい会社は世の中にたくさんある。

ADHDを名乗る人が多くなった。僕自身が発達障害といったが、僕もADHDも持っている。ADHDの要素は誰もが持っている。ADHDは自分で判断するものではないし、ADHDを名乗ったところで何かが解決されるものではない。医師に病気として認められれば、社会保障が受けられる。それでも生き方まで保障してくれるものではない。生き方は自分でなんとかしないといけない。できないことはできないと伝えるのも、貴方の役目である。その分、できることをやればよい。そして、これはADHDに限ったことではない。


相談があれば、Twitter や Peing で受け付けます。

フリーランスをしていますが病気で働けないことがあります。記事がなにか琴線に触れたら支援いただけるととてもうれしいです。