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生まれ方は生き方のヒント

自分が親になって初めて気がついたこと、実感したこと。
それは、子どもは産むんじゃなくて自分から生まれてくるんだということ。

親の都合とか予定とか関係なく、自分で選んだタイミングで生まれてくるのよね。あたりまえだけど。

子どもを産む前までは、出産は「母親が赤ちゃんを産む」というイメージがあって、なんなら「がんばって産まなくちゃ!」くらいの感じでいたけど、実際に三人の子ども生んでみたら、もはや母親は「体を貸しているだけ」だってことを実感した。

むしろ、余計な頑張りは産道をうっ血させてしまったり狭めたりして、赤ちゃんが生まれてくる妨げにしかならないって聞いて、自分はとんでもない大きな勘違いをしていたと強い衝撃を受けた。

もちろん、その体を通って生まれなければならない以上、母親にとっても命がけの大仕事であることは言うまでもないし、赤ちゃんの環境の全てである母体の健康状態もとても大事だ。でも、だからといって自分の意思ではどうにもできないことでもある。

たとえば、この日に生まれてくれないかなぁと思っていても、もちろん思い通りになんてならない。それが夜中だろうが、旅先だろうが、準備ができていようがいまいが関係ない。それは、親が決める事じゃなく、赤ちゃん本人のタイミングで、大袈裟に言えばその子の人生の初仕事なんだと思うのだ。

私たちは、生まれてきてからが自分の人生だと思っているところがある。
どんな親の元に生まれ、どんなふうに育てられたのか、それは現実のこととして認識しやすいからだ。

でも、自分の人生が、自分の意思が、母親の腹の中にいるときから始まっているとしたら?

へその緒で繋がって栄養をもらい、羊水に守られていた安全な場所から、参道を通ってこの世界に自分の力で出てくる、それってものすごい勇気だ。そう考えたら、どんな生きものも、最後は自分でがんばって生まれてくるんだなと気付いた。

たとえば鳥だったら、卵が一瞬でパカッと割れて中からひよこがぴょこっと出てくるようなイメージだけど、実際は卵の内側から自分のくちばしでコツコツ殻を割って時間をかけて出てくる。水の中の生きものたちだって、体を大きくくねらせて自分で卵の膜を割って飛び出してくる。

そう考えたら、この世に生を受けている全ての命は、だれもが自分の力で頑張ってその目的を達成した成功者なんだと思えてきた。
これってすごい。
生まれた時に、人生最初で最大の大仕事がすでに終わっていたなんて話、誰も知らないじゃないか。

ちょっと待てよ。
それなら、生まれてくるまでの行動や生まれ方の特徴には、その子の性格も少なからず反映しているんじゃないかな、そう思うようになった。

力強く元気いっぱいの子もいれば、慎重で臆病な子もいる。
それぞれの個性はいつから?
育ち?環境?教育?人間関係?
どれもが複雑に絡み合って今の自分を形成しているのは間違いない。
さらには同じ親、同じ環境で育っても兄弟同士全く違う性格だったり、生まれ順によっても性格は変わるとも思う。

でも、そういういろんな環境に影響を受ける前、つまり生まれてくる前からもうすでに「個」の性格は決まっていて、それこそが本来の自分らしさなのだとしたら?

それ以来、機会がある度にいろんな人、どんなふうに生まれたか聞いてみるようになった。
ところが、みんなが親から聞いている話といったら
「その日は吹雪で病院に行くのが大変だった」
「誰もいなくてひとりで病院に行って心細かった」
「タクシーで病院に着く前に生まれそうになって慌てた」
「青空がきれいだった」
「自分の誕生日に陣痛がきた」
「予定日よりだいぶ早いのに破水してビックリした」
等々。

つまりは親の立場からの大変だった話、あるいはその時の天気や見えた景色ばかりで、実際に自分がどんなふうに生まれてきたかを知っている人はあまりいないことに気付いた。

なるほど、そうか、と私は妙に腑に落ちた。
だから私たちは、時に自信をなくし不安になるんじゃないかと。
もしかしたら、予定外の行動をして、空気も読めず、親に迷惑をかけて生まれてきてた、という無意識の罪悪感が自尊心の妨げになっていることもあるかもしれない。

出産は親にとって一大事、母親はみんな大変な思いをして、命がけで新しい命を産む。
でもそれとは別に、子どものストーリーも始まっている。
お腹の子はどんなふうにして、人生初の大仕事をやりきってここまでやってきたのか、それを見守るのも親の役目なのではないだろうか。

そこで、わが子が生まれてくる頃の様子を振り返りながら、それぞれの気質や性格、そしていざという時にどんなふうに頑張って乗り越える子なのか考察してみた。

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【長男の場合】
○前駆陣痛が多く、あれ?うまれる?あ、違った、ということが何度か続く。(初めてのことが苦手で不安が強い。事前に念入りな準備が必要)
○本陣痛に入り病院に行ってからもなかなか進まず丸二日のらりくらりと微弱な陣痛が続く。(小心者で決断力に欠けるタイプ)
○促進剤を使いましょうと提案され「薬で勝手に出されるか、自分の力で出てくるか、どっちが良いの?!」とお腹に話しかけた途端、パン!という音とともに破水。そこから急激にお産が進みあっという間に生まれる。(やればできるのにギリギリにならないと本領を発揮できないが、最後の追い上げがすごい)

【長女の場合】
○予定日の一週間前の検診で、まだまだ生まれる気配がないといわれたのでのんきにしていたら、その日の深夜二時、寝ていたところを急激な陣痛で跳ね起き、気持ちの準備もできていないまま病院へ向かう。(周りの都合はお構いなし、自分の心のままに思い立ったら即行動するタイプ)
○陣痛もぐんぐん進んで、一回息んだだけでツルンと生まれてくる。(行動力抜群、振り返らずに前だけ向いてグングン進んでいける超ポジティブ)
○生まれてすぐなのに寝顔がいつも笑顔で驚かれる(大抵のことは笑顔で乗り切れる人)

【次女の場合】
○予定日の一週間前に陣痛が始まり夜病院へ。この日は満月で病院は超満員。分娩台が空いておらず病室での出産になりそうですと説明を受け、覚悟を決める。…が、時間がたつにつれ陣痛は弱まり、朝には帰宅することに。(自分にとって不利なことには挑戦せず準備を整えて出直すタイプ)
(周りの目や常識にはとらわれず自分の心地良いところを知っている)
○それから二週間後、予定日より一週間ほど遅れた新月の日に陣痛。病院に行くと誰ひとり入院しておらず完全貸し切り。そんな日は珍しいらしく、看護師、助産師の手厚いフォローのもと、ゆったりと穏やかな雰囲気の中生まれてくる。(マイペースで自分の居場所をしっかり確保できる人)

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こうして振り返ってみると、あらためてそれぞれに違う生まれ方だったな~と思うと同時に、そこには自分らしさ、その子らしさが明確に浮き上がって見えてくる。
どう解釈するかは親次第、子ども次第、つまりは本人次第だし、そこにはエビデンスも一切存在しないんだけど、でも、揺るぎない事実だけはある。
それは、「今ここにいるだけで、この世に生まれるための大仕事を成し遂げることができた証」だということ。

どんなふうに生まれてきたかは、自分が生きていく上での大きな支えになり得る。
人生に迷ったときや、不安になり自信をなくしたときこそ、自分の原点を知っているだけで、そこから先に続く何かのヒントになるかもしれない。
どうやってこの世界に生まれてきたのか、自分にはどんな力があるのか、どんな性格なのか、本来の自分はどうありたいのか。
それを知ることで、周りと比べるのではなく自分のやり方で前に進むヒントになればいい。

臆病な人はゆっくりと、大胆な人は力強く、それが自分らしさなんだ。
繊細なことは悪いことではない。繊細だからこその進み方がある。
世の中はどうしても弱いのは悪いことになりがちだ。
弱い人には強くなれというけれど、強い人にもっと弱くなれとは言わない。
これって違うよなと思うけど、弱い人ほど自分に合わないことを強いられることも多いかもしれない。逆に大雑把な人に細かい作業を強いるのも苦痛だろう。
同じじゃなくていい。みんながそれぞれ自分らしく、自分の道を歩けたらいい。

ちなみに夫にも、どんなふうに生まれてきたのか聞いてみた。
夫は、へその緒が首に絡まって生死をさまよいながら、急遽帝王切開で生まれてきたらしい。
いろんな人に手を差し伸べられ、助けてもらいながら、救われた命を世のため人のために役立てることができるような人生でありたいねと話した。

そういう私はというと、微弱陣痛で予定日を過ぎても出てこなく、周りはどんどん出産し退院していく中、大部屋に1人残されて心細くて涙が出たらしい。でも、予定日を過ぎても出てこなかったおかげで体にたっぷりと肉を付け、陣痛促進剤を使い、さらには頭を引っ張ってもらって、どっしりと元気に生まれてきたようだ。
今も引っ込み思案の人見知り、腰が重くて出不精、小さい頃から「体は大きいのにノミの心臓だな」と言われてきて、まさに生まれた時の様子は私の人生の縮図のようだ。
でもそれは、いざというときは周囲からの手助けを借りながら頑張っていけるから心配しなくて大丈夫だよ、と言ってもらえているようで不意に涙がこぼれた。

そうか、私は生まれる前から私だったんだ。
50歳になった朝、私が私らしく頑張れていることに感謝して。






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