ウメチギリ

物書きになりたいと思ったことがきっかけで、結果ちぎり絵作家になった人。「ウメツがチギっ…

ウメチギリ

物書きになりたいと思ったことがきっかけで、結果ちぎり絵作家になった人。「ウメツがチギっているからウメチギリ」という発想のもと、独自の作品を制作。夫と一男二女、それからウサギと暮らす日々。祈るように文字を綴り、祈るように和紙をちぎる。

最近の記事

怒られた記憶以外もどうか。

なかなか布団から出てこない子どもたちに階下から大声で呼びかける。 「おはよー!時間だよー!もう○時だよー!」 私は少しサバを読んで今の時刻より遅めの時間を言う。 すると子どもたちは起きてきて私に 「まだ○時になってないよぅ、うそつきぃ〜」 と言う。 いやいや、そもそも遅いのよ。 ○時に起きたんじゃ遅いの。 だから少しは焦って起きてきてよ、と思う。 でも、もはやそれにも慣れてきて、私が階下で声をあげていてもどうせまだ余裕でしょと思っているふしがあって、それがまた気

    • 生まれ方は生き方のヒント

      自分が親になって初めて気がついたこと、実感したこと。 それは、子どもは産むんじゃなくて自分から生まれてくるんだということ。 親の都合とか予定とか関係なく、自分で選んだタイミングで生まれてくるのよね。あたりまえだけど。 子どもを産む前までは、出産は「母親が赤ちゃんを産む」というイメージがあって、なんなら「がんばって産まなくちゃ!」くらいの感じでいたけど、実際に三人の子ども生んでみたら、もはや母親は「体を貸しているだけ」だってことを実感した。 むしろ、余計な頑張りは産道をう

      • 憧れの先にあるもの

        かつて大人は憧れだった。 ごきげんな飲み物、真夜中のテレビ、キレイなメイク、素敵なパーマ、おしゃれなバッグやハイヒール、キラキラひかるアクセサリー、カッコいい車。 どれもこれも子どもには手に入れることができない、大人だけの特別なもの。 ふと、母親にナイショでこっそり塗った口紅がちっとも似合わなくて、ますます大人への憧れを膨らませた子どもの頃を思い出した。 でも、大人になって気がついた事がある。子どもが大人に憧れるように、大人だって子どもの中に、夢や希望や憧れを見いだし

        • 神経衰弱しながら生きていけばいい

          「ぼく、大人になれるかな」 息子が中学生だったころ、ぽつりと言ったことがあった。 その言葉に私はドキッとして軽快にキャベツを刻んでいた手を止め 包丁を握る手にグッと力が入った。 「え~?それって、どういう意味で~?」 私は動揺していることをできるだけ悟られないようにと 台所に立っていてあまりよく聞こえなかった的なトーンで 手元を見たまま変に明るい声で聞き返した。 私が動揺するにはそれなりの理由があった。 息子には心疾患があるからだ。 思春期になってココロもカラダも少し

        怒られた記憶以外もどうか。

          結局私は何を飼いたかったのか

          「犬が飼いたい!」 私が小学生だったころ、父にそんなお願いをしたことがあった。 「お前が生まれるずっと前には、シェパードを飼ってたんだ。 賢いから首輪なんかつけなくても逃げていかなかったなぁ。 それからミケっていう猫もいてな、それがまた…」 父が昔を懐かしむように話し始めたので、話題がそれてしまう前に急いでその話に乗っかると続けてお願いした。 「へぇ~!犬飼ってたんだ!シェパードもかっこいい!じゃあまた飼ってよぅ!いいでしょう?」 「ダメダメ!犬は毎日散歩しないとい

          結局私は何を飼いたかったのか

          無意識の心 無意識の力

          考えもしなかった。 本を作っている人がいるなんて。 誰も教えてくれなかった。 作家という職業があるなんて。 いや、それ以前に私の脳みそどうしたっていう問題もあるが そう思っていたのにはワケがあって言い訳をすれば 私の家には物心ついたときから沢山の本があった。 それはもうどの家でも当然のことだと思っていたし 保育士だった母は私のために沢山の絵本を用意してくれ 学者肌の父は自分の書斎の本棚に沢山の本を所有していたため 大げさかもしれないが本は呼吸するのと同じくらいに わざわざ

          無意識の心 無意識の力

          祈るようにちぎる日々

          不思議なもので 苦しみや悲しみ 不安や恐怖は 望んだり願ったりしなくても いつでもどこにでも ころがっていて 不思議だけれど 喜びや楽しみ 夢や希望は 自分からそこに 心を寄せていなければ するりとかんたんに 見失ってしまう だからこそ そんな暮らしのかたすみに そんな心のかたすみに 和紙のぬくもりをそっと添えてもらえたら そんな祈りにもにた気持ちで 和紙をちぎる日々 -------------------------------------------------

          祈るようにちぎる日々

          居ないけれど在るもの

          私がまだ独身で実家暮らしをしていた時のこと。 友人がふらっと私に会いにきてくれたらしいが、私は仕事で不在だったので祖父が応対してくれた。 「まぁだ仕事がら帰ってきてねのよ。そのうぢ帰ってくっぺがら、上がってお茶でも飲んで待ってでけろ」 祖父は友人を引き止めてくれたそうだが、さすがに祖父と2人でお茶を飲むのも気が引けた友人は 「また出直します」 と言って帰ろうとしたそうだ。すると 「わざわざ来てもらったのに悪りがったなぁ。んじゃ、せっかぐだから月見でげ」 祖父はそ

          居ないけれど在るもの

          絶望という名の救済

          絶望していた。 ダンスしかしてこなかった私にとって、踊れなくなってしまった自分にはもはやなんの価値もないと、本当にもうどうでも良くなってしまっていた。 (そのいきさつについては「ダンサーになりたかった」でどうぞ。) https://note.com/umetigiri/n/nd3655aff5836 物理的に踊ることが困難なのだからどうしようもない。 仕方ない、仕方ないと自分に言い聞かせる。 でも、頭で考えるほど単純なことでもなくて、理屈とは裏腹に私の心はものすごく踊

          絶望という名の救済

          ダンサーになりたかった

          大概の人は、何かしらの夢や目標を持ちそれに向かって日々努力していると思う。 学校でも 「しっかりとした目標を持って」とか 「将来どんな仕事に就きたいか考えて」とか とにかくゴールを設定して努力することが良しとされがち。 私はよく 「小さい頃からちぎり絵がお好きだったんですか?」 とか 「いつからちぎり絵作家になりたいと思ったんですか?」 と聞かれることがあるが、じつのところ、ちぎり絵作家になりたかったわけでもなければちぎり絵作家を目指していたわけでもなかった。 私は幼少

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          アップルなんちゃら

          私はアップルパイが大好きだ。 サクサクのパイ生地にゴロゴロと大きなリンゴが入った、素朴でシンプルなアップルパイが大好物なのだ。 ある日、東京出張の夫から電話が入った。 「これから帰るんだけど新幹線の時間までまだ少しあるから、何かお土産でも買おうかなと思うんだけど、何か食べたいものある?」 いつもは新幹線の時間ギリギリまで仕事をして、駆け込むようにして乗り込んでくる夫は滅多にお土産なんて買ってこない。 私は嬉しくなって 「もしあれば、おいしいアップルパイが食べたいな」

          アップルなんちゃら

          カサブタとルビー

          私が生まれ育った場所は山間の小さな集落で、小学校も遠く離れていたため歩いて通えず、学校までは毎日スクールバス登校をしていた。 学区内には大きな工業団地があったこともあり、学校全体の児童数は決して少なくなかったが、私の住む地域には同級生は一人もいなくて、他の学年の子も1人か2人ずついればいいほうだった。 放課後になるとみんなグランドで遊んでから帰ったり、友達の家に集まって遊ぶ約束をしたりしていたが、私たちスクールバス組はグランドで遊んでいる同級生たちを横目に、昇降口を出ると

          カサブタとルビー

          気がつけばちぎり絵作家

          はじめまして。 ちぎり絵作家のウメチギリと申します。 28歳の時に、それまで務めていた養護学校を退職し作家活動を始めました。 今はただひたすら和紙をちぎって作品を作っている日々です。 全くの素人からスタートした私が、おそろしいことに2010年にはNHKまる得マガジンにて自己流で楽しむちぎり絵講座の講師を務めることに。 いやいや、教えるなんておこがましいです、だって、自己流ですよ? と思っていたのですが、私の作風を気に入って採用して下さった当時の関係者の方々には本当に

          気がつけばちぎり絵作家