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「意識の変容」

「意識の変容」


 我々は或る意識状態に至ると、言葉の世界、いわゆる「聴覚」の視点から、より日常的生への「視覚」的表現へと。時空から空間の次元への移行である。死から復活へ至る「クロス」の地点である。

 此岸と彼岸のはざまに個人の自我は立つ。個人史と人類史の進化発展のプロセスは「基本的」に同質の階梯を踏む。

 成長や発展のためには、常に「生命的」な活動が働いていなければ、死滅、没落は自明のことである。どれほど「美しい花」を咲かせる種子であれ、花を咲かせるに必要な条件が与えられなければ、それこそ「永遠」に花は咲くことは出来ない。この自然の法則は全てに当てはまる。

 ただ、この自然という概念の解釈、認識によって、人は世界観を形成する。いわゆる「自然」を五感で知覚する世界だけと、考えれば、唯物論的視点によりすべてが色づけされ、この世界に存在すること自体は無意味である、という結論に至る。無意味な「存在」であることが意味と化す。悟性とは、心に五つの口と書く、すなわち五感である。悟性によって技術は手にすることは出来る。だが、悟性だけでは芸術を手に入れることは出来ぬ。ゆえに、芸術なのである。単なる悟性的思考において、生命は無論、心や、感情、魂等の実体を掴むことは、認識することは出来ぬ。これが俗に言う「孫悟空」といわれる意識である。

 常ならむ、という意識にまでは、透徹した悟性力をもって達する事は出来る。単なる悟性の力では「生成死滅」の法則から逃れ出ることは出来ない。だが、人間の「感情」はその悟性のみの世界認識を容認せぬ。

「なるほど、理屈は分かった。だが俺の気持ちがおさまらぬ。君がこの世は物質のみで、他の目に見えぬ、手で触れる以外のもの、例えば、家族や友人や、恋人に対する愛情や同情、等々のものはすべて幻想だと言うのか?知性の欠けている原始人の如き無知による錯覚とでも言うのか?!」と。

 今日に限らず、はるか昔からこの問いは続いている。むろん、これからもである。すでに紀元前の哲学者によって「人間が言葉を所有したのが悲劇の始まりだ、人間は生存の意味を知りえない、だから、考えぬ事だ。だが、それより、最も良い事は生まれて来ないことだ。」と。

 その対極にあるのが「どうせ、死ねば無と帰す。だから生きているうちに楽しめるだけ楽しみ、自分の欲する「快」を求めるのが人生である。」等々。種々な考え方が紀元前より考えられていた。むろん、全ての人々がではなく、ごく一部の少数の存在だけであったが、他の人々は「信仰」の名のもとに「選ばれた人々」に無条件に従っていた。

 かつては、「神々」のメッセンジャーとしての使命を芸術家は有していた。だが、人類の歴史の流れのなかで、近代に至って、「各個人」が自らの個人の名において「生存の意味」を背負う、認識せねばならぬ時代へと突入した。かつては「選ばれた者」だけが、所有出来うる意識を「個人」が全責任を具え、日常化せねばならぬ「時」に至った。ここに「近代人」の数多くの「悲劇」があった。

 近世から、現代において詩や芸術表現は日常的生から極度に遠ざかった。いわゆる、「難解」で「晦渋」な表現へと変容していく、せざるを得なかった、時代としての宿命を具えていた。俗っぽく言えば「親離れ」の時期といえる。独りで未知の社会、世界へと歩み入るのである。自己自身の内的戦いが、自己の道、生き方、目標を「自ら」設定せねばならぬ。不安と恐怖と孤独を道連れに。

 近代の個人の悲劇となる「引き金」を引いた存在は、ドイツの哲学者であるフリードリッヒ・ニーチェの「神は死んだ」の言葉である。この世が、いかに悲劇であれ地獄で、生きるに値しないにせよ、この世において「生」を全うせねばならぬ!と、それも、一切の「教義」に依らず、「体系」に依らず、と。ニーチェは、その重さと、圧力、世人の無理解と、彼の言う「十重二十重」の孤独に彼の肉体と神経はついに異常をきたした。「超人」という理念のみを残して。

彼も又、「いかにかすべきわが心」の「炎」が、人類愛が、彼を「愛と認識」の殉教者にしたのであった。彼は、どんな些細ものを見のがさぬ緻密な、やさしい心情の魂を具えていた。彼は、彼自身が最も嫌った、人間的なあまりに人間的な、人間だった。彼は「自由」を、真の個人の、人間の自由を求めて戦った、愛と認識の戦士であった。それはランボオ他も同じである。

「いかにかすべきわがこころ」の魂を所有する存在達の裡に雷のように轟き、稲妻の如き閃光が放たれた。この彼らの魂の裡に落雷したものの実体を体験、自覚せぬ限り我々人類は今後も無目的に難破漂流するであろう。

 だが、近代という時代の中で、時代状況を深く見抜いた詩人や芸術家達の殆どは、彼等の「人間洞察」ゆえに「象徴の森」の住人と化した。又、彼等自身でも、その運命を、あえて、甘受する事しか出来得なかった。無論、それは哲学、芸術に限らず、あらゆる表現分野にも通じる事件であった。

 近代とは「個人」の名のもとに、生存に対する「認識の苦行」が意識的に「孤独の裡」に、それぞれに応じて、成される時代だったのである。


2010年12月18日

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