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愛する人の看取り

※これは愛する人を亡くしたら訪れる心の状態を綴った作品。これを読んで、同じ境遇になった方の気持ちの処し方のヒントになれば、または心の重みが少しでも軽くなったらと思って書く。なお、長編小説を予定(1年経ったので書ける状態になりました。なので少しずつ書きます)。

1.余命宣告

◆あの日の出来事は忘れられない。忘れたくない。
(2/24朝)

母の介護に使っていた車イス

それはちょうど一年前のこと。2021年2月24日水曜日の朝に突然にやってきた。天気は良かったけれど、肌寒かったことを覚えている。

いつものように4時半に起床して5時半頃に家を出る。週に1,2回、病院送迎のため、病院近くのマンションに仮暮らししている母を迎えにいくのだ。最寄駅に着くと、「今、駅に着いた。5分後には到着するから、出かける準備しておいてね」とLINEのメッセージを送る。毎回している習慣だ。
あれ?既読にならない。すぐお気に入りの絵文字で「OK!」とか「了解」とか送り返してくるはずなのに返ってこない。気づかなかったかな?その瞬間に胸騒ぎがしたわけではなかったが、何となく気になって早歩きでマンションへ向かう。
マンションへ着くと、1階裏口のドアを大きく開けてからエレベーターへ乗る。これも通常通りのパターン。母を乗せた車イスを出やすいようにする工夫のひとつだ。
9階のエレベーターがあき、合い鍵を使って部屋をあける。ドアを開けて驚いた。母がベッドから床に落ちていたのである。えっ?倒れている?生きている?一瞬、ドキッとした。
「お母さん!」と大きな声で呼ぶと、「あら、まなちゃん」といって頭が動いた。なんだ、床に寝ていたのか・・もうびっくりするじゃない。
本当はすぐ異変に気づいた。部屋も散らかっているし、廊下に乾燥した大便がついたトイレットペーパーが散乱していた。でも、何でもないかのように振る舞った。母を気遣ってではない。自分をもだましたかったのだ。動揺する自分に「お母さんは倒れていたのではなく、床に寝ていた」ともう一人の頑固な自分が説き伏せた。
母に近づき、「今日は水曜日だから透析だよね。着替えて病院に行こう。身体は起こせる?」と促す。すると「あれ?今日は火曜日じゃない?」という返事。私はテレビ横に立ててある卓上カレンダーの2/24に記した文字を指差した。このカレンダー上に通院日などの予定をメモし、二人で確認しながら管理しているのだ。これまでは通院日を間違えるなんてことはなかった。こんなことははじめてだ。右耳が遠くなったこともあり、以前より理解に時間がかかるようになったとは思う。でも、今でも英語の勉強を続けているほど勤勉で、厳格で、気丈な母。医者・看護師さんの間でも母の頭脳明晰ぶりは知れ渡っているほど。
水曜日であることを認識した母は小さくうなづき、起き上がろうとする。しかし、顔をゆがめて首をふる。「どうしたの?」と尋ねる。本人も再チャレンジして両手を使って踏ん張る。でも、どうしても身体を起こして座ることができないのだ。このままでは透析に遅れてしまう。私は心が慌てた。気が急いて、手を差し伸べた。しかし私の手を掴むも力が入らないのだ。両脇を抱えて持ち上げてベッドに座らせる。32キロしかない体重だがふにゃふにゃで脱力しているものだからかなり重たい。
そして次の瞬間、驚く光景が目に入ってしまった。髪の毛にも乾燥した便がついていたのだ。当然のことながらトイレの周りは汚れていた。
ただ事ではないと思った。しかし、看護師さんの怒った顔が浮かび、早く連れていかねば、どうしようと焦った。
母の方が落ち着いていた。「まなちゃん、病院に電話して透析を午後にずらしてもらって」という。「そうだね、そうした方がいい」と私は電話をした。かけると、「状況を説明してください」と少しムッとした声が聞こえてくる。いつも不機嫌なあの看護師さんだ。私も母もK看護師さんが苦手だった。母が苦手というから娘の私も苦手になった。昔からそうだ。母の好きな人は私も好きになり、母の苦手な人は私も苦手になった。
それでも私は50歳になる大人だ。冷静を装って「母が床に寝ていて、今から着替えていくには間に合わない。午後に変更できませんか?」といった。「倒れていたのか?」「血圧が下がっているのではないか?血圧を測れるか?」と畳みかけてくる。「倒れていたのではなく、寝ていたんです。すいませんが、血圧計は家にはありません」と言い返した。あくまでも倒れていたのではなく、寝ていたと伝えたかったのだ。
何とか午後に変更してもらうことができた。
「まなちゃん、仕事に行かなきゃね。午後1時までまだ時間があるから、ご飯食べたり、トイレ行ったり、着替えたりしているから会社へ行って。12時過ぎにまた迎えに来てちょうだい」という。こんなときでも母は自分のことよりも私のことを考える。「うん、分かった。じゃあまた迎えに来るね」。
私もその日は忙しかったし、冷静にならねばと思ったので、いったん会社へ行くことにした。
母を残して、会社へ向かう。心臓のバクバクが鳴りやまなかった。冷静にならねば、冷静に・・と思っても、おさまらない。不安で混乱した私は普段から頼っているMケアマネージャーに電話をした。「こういうことがあった。もしかすると次のステージに進んでしまったかもしれない。自分も今は冷静な判断ができないから、透析が終わる17時過ぎに来てもらえないか」とお願いした。自分だけでは自信がないのだ。彼女は別件があったようだが、都合をつけていくと言ってくれた。
お昼を食べる余裕がなかった。忙しくて時間がなかっただけではない。食欲がないのだ。珍しいことだ。介護のあとはいつもすごくお腹がすくのでカフェでパンを食べる習慣があった。それさえもしなかった。とにかく頭の中は母のことでいっぱいだった。
会議が終わると、早々に会社を出て、母のところに迎えに行く。着替えて「あら、遅かったわね」といつものように皮肉を言ったりして、というわずかな希望を抱きながら。

続く。。

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