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【よしなしごと】愛するバンドのライブに行ったら心が入れ替わった話

BUMPと私

急に趣味全開だが、許してほしい。

私にとってBUMP OF CHICKENは人生の半分以上愛してやまないアーティスト。

2019年のアルバムツアー以来、コロナ禍を経て、チケットが取れなかったり妊娠中で大事をとったりで、4〜5年ぶりに参戦できた今回のツアー。

BUMPと出会ったのがちょうどアルバム『orbital period』が発売された頃で、今回はその時のツアーのリバイバル公演。
当然思い入れもひとしおだ。

個人的に立場や環境も前回のライブから大きく変わっていて、感じることもだいぶ異なる面があった。
また、他の記事で書いたように最近は家事育児に関して夫への不満が募る一方だったこともあり、発散になればと思っていたが、それ以上の収穫があった。

相変わらず、否、より好きになったBUMPへの思いやライブの備忘録、そして気持ちの変化について、いつでも読み返してここに戻って来れるように残しておきたいと思う。

ライブ備忘録

曲ごとの思い出(抜粋)

セトリでどこの公演かわかる人にはわかると思うが、自分にとっては欠かせない項目なので。
わかったら心の中に留めておいてほしい。

始まりはやはり主体となるアルバムのメインテーマである星の鳥からのメーデー。

音源から実際にそこにいる彼らの音へ切り替わった瞬間、
「ああ、目の前に本当にいるんだ」
「彼らと同じ時を過ごせる空間についに来たんだ」
とぶわーっと来て、早々に泣いてしまった。

メンタルは強い方だと自負していたけど、妊娠出産育児で女性ホルモンの乱れや体調不良も含めてどこかで私の心は救難信号を出していたのかもしれない。
メーデーの歌詞が、彼らが助けに、すくい上げに来てくれたんだと、さらに泣く。

次に涙を流したのはハルジオン。
かなり最初の方に出会い、出会った当初から大好きな曲だ。
偶然直前に家で聴いていた曲でもあった。

今回、以前の自分と違う、母親になった自分が新たに感じることや発見があるのではないかと思い、歌詞をよりしっかり聴くことにしていたのだが。
いや、改めてなんていい曲なんだ。

別に生きてく意味をなくしてもないし、自分の価値を忘れたつもりもなかったが、そもそもそこまで考えることをしていなかった。
改めて自分が生きる意味、何がしたかったのか、何ができるのか、考え直してみた。
(詳しくは後述)

BUMPの音楽は、こんなにも私の心の奥深くまで自然にじんわりと浸透していく。底にあったものと触れて、共鳴する。

そして花の名。
「あなたが花なら沢山のそれらと変わりないのかもしれない」
前述のハルジオンや月虹にも通じる部分がある。
「同じような生き物ばかりなのにどうしてなんだろうわざわざ生まれたのは」
これはどちらかというと仕事について考えさせられる。
優秀な人材が多くて、周りがどんどん出世していく中で、自分で望んだとはいえ同じ地位に居座り続け、年数だけ重ねていく私。
何かに秀でているわけじゃない。
でも好きだから、自分がそれをやりたいからやっている。それでいいじゃないか。そんな自分だからここにこうしているんじゃないか。

また、元の歌詞もそうなのだが、ライブでの歌詞変えが、本当にリスナー一人ひとりに真っ直ぐ届けてくれていると感じて、泣ける。
何故泣けるんだろう。
BUMPの人となりに感動してとか尊く思ってとか、もあるだろう。
私をこんなに尊重してくれる、大切に思ってくれることに嬉しくて、が結構大きいのかもしれない。
親以外に、夫ですら蔑ろにしてくるのに、何故こんなに思ってくれるのだろう。
私も返したいし、そうやって大事にしてくれる人たちに恥じないように生きたいと思えるようになった。

少し方向性が変わるが、かさぶたぶたぶもグッときた箇所がある。
全体的に自分よりも子がもう少し成長した時のことを重ねて想像してもうそれだけで泣けるのだが、特にきたのは
「生まれた場所がこの膝小僧で良かった」
というフレーズ。
かさぶたとしてではなく、子が私達の家庭に対してそう思ってくれたら…。
ついそんなことを考えてしまう。
まぁそれは私達次第なので努力したい。

あと、コロナ禍のライブには参加していなかったものの、ライブ自粛から声出し禁止などの措置が徐々に解除される過程を見てきた立場からすると、アリアやガラスのブルースで観客にも思いっきり歌わせるところが感動ものだった。
昔から合唱や斉唱に弱いので、こんな人数、背景も全く違う人間たちが、同じ音を、言葉を、強制されるでもなく進んで奏でている。それを想像するだけでぶわーっと来る。

ここで書いた以外にもそれぞれ細々とたくさん思ったことはあるのだが、それはもう心に留めておくとして。
大きく変化や心の動きを感じたのはこんなところだ。

余談:リバイバルツアーの楽しみ方

さてここで、公演内容ではないが、私自身がやって、より楽しめたなと思うことを紹介しよう。

入場後開演まで同行者としていた暇つぶし。
アルバムの1曲目から順に当てていくゲームだ。

昔から基本的に音楽はCD単位で聴いていた。
中でも『orbital period』は何度聴いたかわからない。
意図して覚えた訳ではないけど、何の曲が入っているか、どんな曲順かも結構覚えているつもりだった。

しかし順番までは多少前後するとは思っていたが、なかなかどうして、その時出てこない曲があった。

ゲームとしては盛り上がるし予習にもなるのでとても良かったしおすすめなのだが、数曲出てこなかったのがショックだったし、出てこなかった曲を気にしてライブ中もそわそわしてしまったのが個人的には一長一短でもあった。

でもそんなことも含めて、いい時間を過ごせたと思うし、1曲1曲を振り返り、さらなる思い出が付加されたいい機会だった。

気持ちの変化

自分の生きる意味

ハルジオンを通して改めて立ち返ってみた、自分が何をしたかったのか、何ができるのか。

思えば仕事と私生活でそれぞれ立場は大きく変わった。

仕事では、新卒からそれなりに勤めていた会社から、産休育休で1年間離れている。

結婚してから本当はすぐにでも子どもが欲しかったので、昇格試験などは受ける意思がないことを上司にも伝えてきていた。
不妊治療をしていたこともあり、自分のことで精一杯で、ただでさえスケジュール管理が苦手なのに部下の面倒まで責任を負えないと思っていた。
また、繁忙期に無茶を言うクライアントに精神的にかなり追い詰められていて、ちょうど妊娠検査薬で陽性が出た辺りがそのピークと重なり、その後稽留流産となったのが、その時のストレスが原因ではないかと少なからず思っていたので、余計に自分を守るために無闇に仕事や心的負担を増やさないようにしようと決めていた。
その間に同期も後輩もどんどん出世していった。

そしてついに、復帰後は後輩の部下となることがわかった。

私としては望んでこの道を選んでいるので、後輩に対してどうこう思うことはない。
後輩は多少気にするかもしれないのでしっかりフォローはしておきたいと思う。
ただ、役職がなくても、先輩として、自分がしてきた経験やスキルはちゃんと発揮したいし、見てほしいと思っている。

そんな時に響くこの歌詞。

別に下に見られてもいい。
自分が何をやりたくて入社したのか、何が楽しくてやっていたのか、自分にしかない経験も、良さも、自分がわかっていたらいいじゃないか。
そう思えるようになった。
だからこそ、自分の経験やスキルをちゃんと自分が知っておくこと。できないことや苦手も含めて。

復帰するまでの心づもりも少しできた気がした。

産後メンタルへの決着

また、私生活では妊娠出産育児を経験したことが大きな変化である。

流産の経験から妊娠中もずっとどこかで不安があって、予期せず命懸けの出産となって、好きだった夫との価値観の違いを感じて最近はどんどん不満が募っていた。

しかし改めて振り返ると、自分が夫のことを好きで、望んで夫と結婚した。
自分が夫を幸せにしたいと思っていた。
でも困難を抱えた時に思うほど助けてくれなかった。
この人は私を幸せにするという気持ちがあまりないのではないかと思っていた。
それは、変に期待しすぎていたのかもしれない。

もともと他人に興味が少なく、あまり求めない方だった。だから生きやすかったし、精神も安定していた。
ところが、産休育休で余計な時間ができたことで、SNSに費やす時間が多くなった。
特におすすめなどで勝手に流れてくるよその家庭事情やらは、SNSの性質上かなり攻撃的だったりエモーショナルでセンセーショナルなものだった。
それに対して自分の立場や感情を重ねたり、自分だったら…と考えたりして、悪い意味で結構染まっていたと思う。

自分の感情が引きずられて、増幅して、さざなみくらいだったものを勝手に津波ほどにしてしまっていた。

また、人生設計を本気で考え始めた時から子どもが欲しくて、自分ひとりでも絶対に育てたいと思っていた当時。
生きて生まれてきてくれただけで幸せだ、何があっても私が守る、と思っていた出産時。
しかし私が大変な時にも夫は育休を取ってくれず、家族に関する危機意識が低く、思うほど家事育児に積極的でなくて、ずっと不満を抱えてきた。

変に期待しすぎていたし、他人に依存しすぎていたと、今では少し思う。

そりゃせっかく大人2人がいて、相手は目の離せないか弱き赤子なのだから、出来る限り手を貸してほしいとは思うだろう。
2人の子どもなのだから当然のことだ。

しかし、そうしてくれないのが=自分を大切に思っていないというわけではない。

もちろん少なからず私に対しての思いやりに欠ける部分はあるだろう。
でも、そもそも夫は元々思いやりのある方ではなかった。
一見優しくて怒らないし本人にとって簡単なことなら頼めば割と何でも文句も言わずやってくれる。
しかし、言わないとわからないことが結構多い。
こちらが長年女性として、周りが求める、周りから求められることを察して学んで生きてきたからこそ「普通」だと思うようなことも、夫にはわからない。
男性でもちゃんと察せる人はいるから、個人の性格の問題だ。
自分自身が感情に鈍くて、他人のこともわからないし、面倒が多いから知ろうとも思わない。
これは男性社会で育ってきたからこそ「他人の気持ちを察すること」から目を逸らしてこれたんだと思う。

私は女性社会で育ち、周りと上手くやるためには、周りの好きな人を喜ばせるためにはそれが必要だったから、わからないなりにも知ろうとして、学んできた。
多少無理してでも友人と接する時はいくら仲が良い子でも気を遣うようにしていた。
だからこそ、そういうことに鈍くて、楽に接することができる夫を選んだ。

まぁ多少は
「命懸けで自分の子を産んでくれた妻にもっと思いやりや大切にしようという気持ちがあってもいいではないか」
とも思うが、元々なかったものを急に求められても、何も学ぶ場所がないのだから難しいだろう。
「調べるなりして」
と言ったこともあったが、多分冗談と判断されて流されているし、私もそこまではさすがに求めすぎかと思って強くは言わなかった。

そう、求めすぎていたのだ。

世の中にはそれを当たり前のようにしてしまう夫がいるものだから、ついうちにもそれがあってもいいのでは、と思っていたが、それを求めて選んだわけではない。
もっと別のところで好きになり、将来像が描けたから一緒になった。
それならば、無理なものは諦めて、良い所を「良いな」と思いながら享受しようではないか。
どうしても自分が処理しきれない部分はきちんと冷静に本気でお願いすれば良い。無理でないことはやってくれるのだから。

好きな自分に、誇れる自分に

「他人に期待しない、求めない」自分が好きだった。

BUMPの曲と向き合うことで、思い出させてくれた。

また、BUMPがあまりにも私達を大切にしれくれるから、その思いが1曲1音1言から伝わってくるから、大切にされる、誇れる自分でありたいと思えた。

多分彼らは別にそのままでいいとも言ってくれると思う。
でもそれ以上に「誇れる自分でありたい」と思った私の気持ちを尊重して、後押しをしてくれるだろう。

そう思わせる彼らは、彼らの曲は、やはりすごい。

最近子どもが泣き止む曲とか夫も好きな曲とかばかりで、あまりじっくり聴けていなかったけど、確かにずっと心の中に、こんなに深く根付いてくれていた。

改めて自分と、取り巻く環境も含めて、向き合わせてくれてありがとう。

夫とのやり取りも、子どもとの関わり方も、復職後のモチベーションも、すべて今までより上手くできそうな気がしている。

感謝の気持ち

ストレスを溜めない、他人に求めない、メンタルを保つためには、感謝の気持ちが結構大事なのではないかと思う。
マイナスを見てぐちぐち言うのではなく、プラスの部分を探して感謝する。
その方が自分も周りもハッピーである。

他人に期待しないなら、やってくれたことに対して素直に感謝できるはずだ。
当たり前のことだと思っても、行動そのものには感謝する。
ちょっと言い方を悪くすると、ゼロを思うよりマイナスに置いておくことで、プラスも増やせる。
マイナスには敢えて目を向けないようにする。

ということで、最後に、今回ライブに参加するにあたって私の代わりに子どもを見るために有休を取ってくれた夫と、激戦チケットを当ててくれた同行者、何より愛するBUMPに、改めて心から感謝の意を表します。

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