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とんかつパン

私は集団生活が苦手な子供だった。幼稚園、小、中、高、大と全てに登校渋りや不登校の時期がある。担任の先生が不登校の直接の原因になったことは無い。どの先生も、それなりに無難に不登校のケアをしてくれていて逆に申し訳ない気持ちが子供ながらあった。

その中でも、中学3年生の時の先生は忘れられない。土曜日の午後、事前の連絡無しで家に突然訪ねてきてくれたのだ。私立だったため、学校から私の家まで1時間ほどかかる。「これ、一緒に食べようと思って。」先生はアイスの詰め合わせを私に見せた。留守かもしれないのにアイスをチョイスする大胆さに先生の懐の広さを感じながら、母と私と先生でアイスを食べた。先生は『学校に来い』的なニュアンスの話はせず、世間話だけして帰っていかれた。

後日、登校できた日、教卓に呼ばれた。「あの日、うみの家の近所のパン屋さんに寄ってみたんだ。とんかつパンが美味しかった!もし、うみが次パン屋さんに行く時があったら先生の分も買ってきてくれないか?もちろんお金は払うから。」

中学では全員、担任との交換日記をしていて私はしばしば、そのパン屋さんのことを書いていたので(さすが。心の距離の縮め方上手だなぁ。でも、社交辞令だよね...)と思いつつ「はい。」と返事をした。

それからも行ったり行かなったりの日々を繰り返してしばらくすると、また教卓に呼ばれた。

「とんかつパンまだ?」

「え?!あれ、本気ですか?」

「本気だよ!ずっと楽しみに待ってるんだけど。」

私は慌てて謝って、その日の放課後とんかつパンを買いに行った。とんかつパンを買ったからには、翌日は学校に行かないわけにはいかない...

次の日の休み時間、先生にパンを渡すと「これこれ!うまいんだよ〜!」と生徒達のいる前でかじりついたので、「何それー?」と質問する子がいて「うみの家の近所のパン屋さんのパンだよ!」と先生が答えると「へ〜他にどんなパンがあるの?」と普段話したことがない子も私に話しかけてくれたりして少し照れくさかった。

その後も何回か頼まれてとんかつパンを買っては、買った翌日だけは100%登校し、何とか卒業まで漕ぎ着けた。

最近、知り合いのお子さんが私の母校に通っていると知り、学校新聞を見せてもらった。25年前、担任だったあの先生はまだ在校されていて、もうクラス担任ではなくなっていた。

#忘れられない先生

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