ここの瀬うみ

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最近の記事

あなたの妹は毒親でした

母の命日を前に母の姉から、母の好物だった果物が届いた。 母を想わない日は無いそうだ。年の離れたかわいい、かわいい妹。 私は母が亡くなって2週間は心乱される時間があったけど(悲しみだけじゃなくややこしすぎるのでここでは割愛)、それ以降完全に日常に戻り、ちらっと思い出すことがあっても寂しさもなく、あれだけ憎んでいたけどさすがに憎しみはなくなってフラットな感情になれたことに安堵していた。 今は、姉からの果物に心乱されている… 最大の母孝行は、この文章のタイトルを姉に言わないこと

    • 意地悪なサンタ

      幼稚園、年中の時に習った赤鼻のトナカイ 当時から私はこの歌を聞くと苦しくなる 「暗い夜道は......お前の鼻が役に立つのさ」 ↑前回のクリスマスも仕事したってことだよね。そこからサンタとトナカイは付き合いあるよね? 「いつもみんなの笑い者」「いつも泣いてたトナカイさんは...」 「その年のクリスマスの日、サンタのおじさんは言いました」 ↑サンタさん、なぜ普段からかばってあげない?クリスマスの日まで言わなかった? サンタとトナカイはクリスマス当日しか顔合わせない

      • エンディングノート

        出産は命がけなので、上の子がしっかりしてきた頃から、入院前には『もしものことがあった場合のメモ』を封筒に入れ託していた。口座や保険に関すること、ケータイの暗証番号程度だけど。 もう出産は予定していない。アラフォーだし、そろそろエンディングノートを記入したい。 家族は少なくないけど、最期は病院で独りがいい。私が居なくなって寂しがる人には側に居てほしくない。これ、子どもの頃から思っていて、私って変なんだな〜と自覚していた。 「地球最後の日が来たら誰といたい?!」って小学生あ

        • 結局、書けなくなる

          noteを始めた理由は一部自己紹介に書いたけど、本当のところはメインで使っていたTwitterでは書けないことを書く場所が欲しかったから。 昔は面白いとか変わってるとか言われる性格で、通信制の大学をやめたきっかけがレポートに『そんなばかな!』と怒りのコメントを書かれて腹が立ったからというくらい、私はおかしいらしい。それでいいと思ってたし、今も本心ではそうなのだけど、人の親になり、ある程度空気を読むようになったことにより閉塞感を感じるように... 子どもが生まれる前は日記の

        あなたの妹は毒親でした

          リモートワークとお昼ごはん

          コロナ禍で始まった夫のリモートワーク 育児における私(専業主婦)視点でのメリット 平日の子ども達のお風呂を手伝ってもらえるようになった(以前は22時以降帰宅) 事前に分かっていれば平日の休みがとりやすくなった いざとなった時は急でも動いてくれる←子が初めての食材で急激なアレルギー症状が出た時、すぐに病院へ送ってもらえた 逆に大変になったこと お昼ごはん。これに尽きる... 昨年度までは未就園児がいたので、そこまで気にならなかった。お昼にパパが降りてきて親子でお喋

          リモートワークとお昼ごはん

          幼児のハーネスについて

          賛否両論の典型ですね。そもそも『賛否』という概念は当てはまらない物だというのに... 必要な親子にとっては必要です。命綱。親子にとってだけでなくドライバーさんにとっても。ハーネスによって飛び出してくる子が減るのだから。 道を歩く時だけでなく、買い物、特にお会計の時も力を発揮します。小銭出している間に、逃げ出す子はどこまでも走れてしまいます。私は、まさにこのお会計の時に限界を感じてハーネスの購入に踏み切りました。その時は、自分のレジの番&鼻をかみたい(自分の。コロナ禍前です

          幼児のハーネスについて

          ママ友

          ママ友についての記事を読んだけど、途中でギブアップしてしまって最後まで読んでいない。 ママ友グループの中で、突然無視が始まったらしいが(Aさん、Bさんはそういうこと言い出すような人じゃないからCさんの提案に違いない)という無視された側が予測する流れがきつかった。(あー小学校高学年の頃あった流れだ)と嫌な懐かしさを覚える。 私は親になってからは、(自分、嫌われてるかも?)という雰囲気を察したら(あれ?私、何か気に障ることしたかな?ま、しょうがないか。バイバイ)と心の中でお別

          一歳児育児が一番難しい!

          あくまでも私にとってです。 何人か育てていますが『やめて』が伝わらないのに身体能力が向上しているこの時期が精神的にも肉体的にもきつい...上の子の時はいかに体をたくさん動かして発散させるかで頭がいっぱいで、週四で親子の体操教室に通っていました。と言っても、階段が大好きな子で体育館からよく脱走して階段の上り下りを繰り返していたので(月に一万円払って階段の上り下りさせに来てるのか...それならマンションの階段でもよくないか?)と考えましたが、密室育児で疲弊していて人と関わりたか

          一歳児育児が一番難しい!

          人に言いにくい価値観

          私は旅行とグルメに興味が無い。 無神経だった20代には旅行の予約をしたとウキウキ話す同僚に「行ったら帰ってこなきゃいけないのに何で行くの?」と真剣に質問していた。今居る場所よりベターな場所で過ごすためだとしたら、じゃあそっちに引っ越せばいいのに...と思ってしまう。家族を持って、収入のことを考えると人はそう身軽に動けるわけではない、とようやく最近は理解したが。 私自身が人と価値観が違うことで、我が子の経験を奪ってはならない、というのは肝に命じているので子供が喜ぶのなら旅行

          人に言いにくい価値観

          しましまコップとぞうの色

          もう三十年以上前の作品なのに、未だに納得いかないものがある。 一つは幼稚園の時に作った画用紙のコップ。好きな色に塗ってから紙をクルッと丸めてテープで止める作りだ。一色に塗る子、大きいハートを描く子、水玉模様にする子。私はクレヨンを全色使いたくて、しましま模様にすることにした。他の子たちが完成し始めても私は三分の一くらいしか塗れていなかった。スピードを上げるよう先生から言われ、不本意ながら雑にしましまを描き続ける。ほとんどの子が書き終える頃になると、完全にイライラした先生が「

          しましまコップとぞうの色

          先延ばし

          私は小学生の頃から先延ばしグセに悩まされている。計算ドリル、漢字ドリルはどんどん進めていいシステムだった。新学期に新しいドリルをもらうと最初のニ、三日は張り切って進められるのに、いつの間にか勢いが落ちて、終業式間際に慌てて終わらせることに。(次の学期こそ、こんなことにならないように頑張ろう)と心に誓うも、同じパターンを六年間繰り返してしまった。 それから三十年以上経っても先延ばしグセが直らない。直す気はすごくあって、先延ばしに関する書籍も十冊以上『買った』。『買った』のであ

          寝起きの笑顔

          子供を何人か育てていると、寝起きひとつとってみても全く違う。起こすと不機嫌になる子、こちらが油断するとあっという間に二度寝する子... 一人、寝起きが毎日バツグンに良い子がいる。私が起こしに行ったことはほとんどなく、台所仕事の音で毎朝自然に起きてトコトコ食卓にやってくる。毎朝、満面の笑みで。 今朝もご機嫌だな、可愛いな、と思ってはいたけれど昨夜ふと気になってきいてみた。「朝、起きた時どういう気持ちなの?幼稚園楽しみだな〜とかかな?」 「うんとね、『ママ大好き』って気持

          寝起きの笑顔

          子供は結構わかってる

          私は幼稚園年中で字が書けるようになると、文章を書くのが大好きな子供になった。 年長で卒園作文を書くことになり、作文用紙が配られると嬉しくて嬉しくて、頭の中にわいてくる自分のことについてや幼稚園での思い出を書き続けた。まだ文を書けない子もいる時期。単語だけ書いてもいい、最後は先生が文をつなげてくれるとのことだったので、私は『〜がすきです。〜がきらいです。〜がたのしかったです。〜がかなしかったです。』と流れは気にせず思いついた順に書き続けた。 何日間かにわたり作文の時間はとら

          子供は結構わかってる

          衣替え

          ルールを守るのが苦でない私が唯一悩まされた校則が衣替えである。暑がりで汗かき、我慢していると吐き気と頭痛で動けなくなる。当時は起立性調節障害の診断が下りていて服薬もしていたが、成人して体調が安定してからも暑いと具合が悪くなるのは変わらないので体温調節が苦手なのだと思う。 高校は夏と冬ではブレザーの有無、ベストの種類、スカートの材質が異なった。秋口、衣替えの時期が来ても私はまだまだ暑く感じた。周りの子達も「まだ、ブレザー着ると暑いね。」とは言うものの、それで体調を崩すことはな

          とんかつパン

          私は集団生活が苦手な子供だった。幼稚園、小、中、高、大と全てに登校渋りや不登校の時期がある。担任の先生が不登校の直接の原因になったことは無い。どの先生も、それなりに無難に不登校のケアをしてくれていて逆に申し訳ない気持ちが子供ながらあった。 その中でも、中学3年生の時の先生は忘れられない。土曜日の午後、事前の連絡無しで家に突然訪ねてきてくれたのだ。私立だったため、学校から私の家まで1時間ほどかかる。「これ、一緒に食べようと思って。」先生はアイスの詰め合わせを私に見せた。留守か

          とんかつパン

          おばあちゃんとワンピース

          私は中学2年まで、親に渡される服を文句を言わずに着ていた。我慢していたわけではなく、そういうものだと思っていたから。一人っ子って、この『そういうものだと思っていた』現象が多いのではないかな。まぁ、友達が少なかったから外の世界を知らなさすぎたのもあるか。 そんな私に1枚だけ6歳頃自分で選んだ服があった。父方のおばあちゃんが買ってくれたワンピースだ。おばあちゃんはお店で「6歳の女の子が好きそうなのはどれかしら?」と店員さんにたずね、いくつか提案してもらったそうだ。でも決めかねて

          おばあちゃんとワンピース