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子供は結構わかってる

私は幼稚園年中で字が書けるようになると、文章を書くのが大好きな子供になった。

年長で卒園作文を書くことになり、作文用紙が配られると嬉しくて嬉しくて、頭の中にわいてくる自分のことについてや幼稚園での思い出を書き続けた。まだ文を書けない子もいる時期。単語だけ書いてもいい、最後は先生が文をつなげてくれるとのことだったので、私は『〜がすきです。〜がきらいです。〜がたのしかったです。〜がかなしかったです。』と流れは気にせず思いついた順に書き続けた。

何日間かにわたり作文の時間はとられ、平均ニ、三枚書き上げる子が多い中、私は十枚以上書いていてそれでも鉛筆は止まらず他のクラスの先生も様子を見に集まってきた。そのうちの一人の先生が通りがかった先生に「うみちゃんがすごいんです!先生も見て!十枚越えてるの!」と声をかけた。声をかけられた先生は私の書き終わっている作文用紙の束を持ち上げるとパラパラっと見て「なんだ。箇条書きじゃない。」とつまらなそうに立ち去っていった。私は箇条書きの意味を知っていたし、ばかにされたんだな、とすぐに分かった。でも他の先生達は一瞬気まずそうにしたけど、何事も無かったように振る舞い始めたので、私は気付いてないふりしていた方がこの場は丸くおさまると子供ながらに考えた。無邪気に「もっともっと書けるよ〜!」と書き続けようとしたけどその時書いていた作文用紙は埋まることなく終わった。

私は気が強い方だったので、小学校に上がってからは(もう箇条書きじゃないもん!)と、あの先生を見返す気持ちで作文を書き続けたけれど、あのような出来事がきっかけで得意だと思っていたことを諦めてしまう子もいるのではないかな...と感じる思い出だ。一年後の同窓会で箇条書き発言した先生に「今まで色々ごめんね。」と謝られたけど色々あり過ぎたので、その中に箇条書き発言が含まれていたかは分からない。他にもその先生の言葉で暗いモヤモヤとなって私の中に何十年も生きているものがいくつもある。子供だから分からないだろう、すぐ忘れるだろう、という考えは浅い。その分、素敵な思い出や言葉は何十年たっても色褪せることなく輝き続ける。輝きを与えてくれる先生方と子供たちが出会えますように。


#忘れられない先生

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