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【介護と仕事】それでも母と暮らす今の幸せ


大きな買い物袋を手に玄関を開け、たたきに目を落とすとまだ誰の靴もない。

少し遅くなった。

リビングのドアの隙間から明かりが漏れている。

母を呼ぶ。

返事がない。

台所にも風呂場にもリビングにも母の姿はない。コートを脱ぎながら階段を上り母の部屋を覗いてみると、母が寝ている布団の丸みが目に入りほっとする。

寒かったのかしらと母の傍へ行くと、母がゆっくりと目を開けてわたしを見る。いつものように「お帰り、はやかったわね」とは言わない。

「どうしたの?気分でも悪いの?」と声をかけると「もう大丈夫」と細い声でいう。聞けば数時間前ちょっとした持病の心臓の発作があったらしい。暮らしはじめて3年と数か月。これが母の個性。決して泣き言を口にしない。

それでも起き上がる様子のない母が気になりベッドに上り母の背中側に回り込む。痛む足を下にしては眠れない母は壁に顔を向けて横になる。

ゆっくりと背中から足にかけてさすりながら話しかけてみる。


思えば父を亡くして一人になった田舎に住む母に、毎朝10時に電話をかけていた。およそ4年、欠かさず母の声を聞いた。

予定のある日は前日に伝えた。よほどのことでもない限り母からは電話をかけてはこなかったけれど、10時には母はスタンバイしてわたしを待っていた。そしていつも一時間ほど話をした。

母の興味のある話を拾い集めようと、収録して朝ドラや徹子の部屋を観るようになった。子育て中、世間話が苦手な自分に焦りを覚えてその2つの番組をよく観た。

けれど母が受話器を取らない日は落ち着かなかった。足の悪い母が一日電話に出ないと外出先や家から何度も電話を鳴らした。ようやく繋がると、その向こうで「突然友達がやってきてランチに誘われたの」なんて、いつもより弾む母の声が耳に響いた。



おかしなもので、今も嬉しいことがあると「電話しなきゃ」と思う。それから、あゝ一緒に暮らしていたんだと気づいて可笑しくなる。


その母が我が家へやってきて、それから介護がはじまった。だから一度は諦めたのだけれど春から仕事をはじめた。夏にはわたしが入院して、母の567熱が数か月下がらなかった。けれど暮らしにはどこかまだゆとりがあった。

ところが少しだけ仕事のエンジンがかかりはじめた近頃、母のちょっとした体調の変化がわたしの予定に変化を与えはじめた。

きっと子育てママたちもこんな感じなのだろう。予定の立てられない家族との暮らしに想定外はないと何度も自分にいい聞かせる。


今も時折母に電話したあの頃を思い出す。

言葉にしたことはなかったけれどひたすら母を案じていた。苦しいことや辛いことを口にしない母。だからこそ母のわずかな声の変化に胸が痛んだ。わたしにできることは話すことだけ。母が時々口にする母に起きた出来事に、わたしはまるで自分にそれが起こったかのように惨めな気分でただただオロオロとした。


今はそんな思いはしていない。

ゆっくりと母の足をさすりながら父との思い出話をした。「あなたのいない間に何かあったら大変だからお父さんにお願いしていたのよ」なんて少女のようなことをいう。ふと母の足に手をやると、冷たくなっていた指先に体温が戻っている。

父亡き後母を助けていたつもりでいた。けれど楽しい話題を見つけては二人でおしゃべりしていたあの数年間はわたしにとっても大切な時間だったのだろう。

今は共に暮らす人がいる幸せを感じている。

介護は失うものもあるけれど受け取るものもある、よくそんなことを思う。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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