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高野山へ行ってみたい

わたしが空海と出会ったのは今から10年程前だったと思う。

その空海が誕生して、今年は1250年になるという。

今年は、高野山にはじめて行けそうな気がしている。

5月23日に大阪に呼ばれた。今書いている本を出す予定の出版社さんに、ちょっと来ませんか?と呼ばれた。

それであれば、6月に開こうと思っていた大阪の講演会を26日に前倒してみようと動いてみた。

そうしたら素敵な会場が空いていた。

自分で探しておいて、会場が空いていただけなのだけれど、これは大阪に呼んでいただけたのだと喜んでいる。


空海は中国に渡り、長安で密教を習得している。

その密教を教えてもらったのは恵果和尚という高僧だった。

既に沢山の弟子がいたというのに、恵果和尚は、密教を2人に伝えてこの世を去っている。その一人は中国の人で、もう一人が空海。

その密教は今、日本で花開いている。


恵果和尚は空海が来るのが分かっていたという。

驚くほどの事ではないのかもしれない。

人は出会うべき人に出あうのだと、わたしも思っている。


空海は中国に渡る以前、修業であらゆるものが理解できる知恵を授かったと読んだことがある。だからこそインド人でも難しいとされた梵字を習得できたのだろう。

初めて梵字を目にした時、怪しげな文字に見えた。

密教などと聞いて、なおのこと怖い気がした。


大河ドラマなどでは呪詛などで描かれることがあるけれど、密教では呪いはかけられないのではないだろうか。

神様は人を呪う人には加勢されないだろう。


わたしが空海と出会ったのは、決して偶然ではなかった。

わたしが、毎日充実していて、順風満帆の日々を過ごしていたなら、空海とは出会っていないはず。

虚しい日々を過ごしていたから出会えた。

不安で孤独で、虚しいばかり。

けれど人は虚しい時があっていい。

後々そう思うようになった。

虚しさは、生き直しの始まりだと思う。

失って、失望して、虚になり、初めて人は生かされていることに気づくのかもしれない。

わたしたちの周りには、出会うべきものが沢山あって、

それはもう決まってさえいるのだと思う。

そして、わたしは今年、高野山に呼ばれているのだろうか。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※大阪で講演会をします。

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