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「働く人」をカテゴライズするその前に 


女性に結婚という選択肢しか残されていなかった時代があった。

それはもう昔の話しだと思っていた…。

けれどいまでも「主婦」はいる。

しかも、たくさんいる。




なぜ「主婦」をもっと活用しない!

労働力が不足する今、国や企業は「主婦」が気になるようで、それをなんとか有効活用できないものかと考えている。

で、時に彼らの声が、

あれがあったじゃないか、あれだ、あれ、あれをなんとかしろ、眠らせとくな、無駄になるぞ

そんな風に聞こえて仕方ない。

まるで主婦は、地下にねむる鉱物のよう…。

主婦の大半は働いていた女性たち。そう、結婚や出産で、もしくはわけあって「主婦」枠へと流れ込んだ女性たち。彼女たちは「働く人」枠から来た人たち。

けれど、きっとその先で多くの女性が、

ここから出たいんです。出口はどこですか?

と慌てている。

でも、それじゃもう遅い。

なぜなら働いていた経歴は無残にも消し去られてるから。ひとたび「主婦」枠にはいりこむと、働く人としての価値は無くなってしまう。

そして無惨にも、経歴を無くした主婦に、熱い期待が寄せられる。

使えるぞ、眠らせておくな!

と。

なぜって、データは削除されても、実は彼女たちは意外に使えるから。

そう、彼女たちは安く使えるコマになる。



だれもが中流ってわけじゃない

さて、ある日夫に海外転勤命令がでて、そこからわたしは被扶養者になった。今から30年ほど前の話。

そこで、わたしは日本に住む人が皆一億層中流ではないことを知る。そう、そこには特別な人がいた。

知人が、ある日こんな話しをこぼした。

お手伝いさんが何人もいて、幼いころから同じような仲間と一緒で、皆大学も一緒。旦那さんも名門大学を出た人ばかり。だからその輪の中にはいると疎外感はんぱないの

と。そんな人たちがいるという。

「一億総中流」がくりかえし叫ばれていた時代、だれもが自分と同じような暮らしをしているなんて本気で信じていた頃、わたしはそんな人に出会った。



勝ち組主婦

現地では日本人の多くが街中で暮らしていた。けれど中には大きな窓から青い海がみえる山の中腹のマンションに住む人もいた。

日本人の奥さんの多くはメイドさんにお願いごとをするのがちょっぴり苦手だけれど、全てをメイドさんにお願いできる人がいた。

彼女たちはデパートで日用品を買い求め、テニスやゴルフや習い事のほか、アフタヌーンティを楽しみ、乗馬もすればポーカーゲームも楽しんだ。家にはロイヤル・コペンハーゲンの食器がそろっていて普通に会話にヨットが登場する。貴族のような人たち。

幼い頃から複数の家政婦さんがいて、家の庭には芝が広がり、小さなころから別荘や海外へ出かけ、本物のアンディ・ウォーホールの絵がさりげなく廊下にかけてある。

想像だけれど…それがわたしの思う「勝ち組の主婦」。



「主婦」ー「勝ち組主婦」

そう「勝ち組主婦」と「主婦」は違う。だから「主婦」の中身を検証してみたい。

まずは、

夫と別れても、夫が病気でも、夫と死別しても、ちゃんと生きていける資産家である「主婦」

を主婦枠から外したい。

そんな主婦なら、アメリカにもヨーロッパにも世界中にもいる。ただ日本にはあの「壁問題」がある。それが働かない主婦を社会から浮かびあがらせる。

けれどそんな主婦は控除等の税金問題などぴんとこない。なぜならそうした世帯は、たとえ主婦年金をうけとっていても、十分過ぎるほどの税金を納めている。考えようによっては違う意味で社会貢献をしているのだ。

そう、世間がなにかと口にする主婦とは「主婦」ー「勝ち組主婦」のことなのだ。これを混ぜるとやっかいだ。経済的に何の心配もなくお気楽な主婦というのは本当はこの国では少数派なのだ。



「主婦」を「働く人」へ変換

というわけで、「主婦」から「勝ち組主婦」を引いて、その上で「働く女性」をカテゴライズしたい。

すると、そこには「働いて税金をおさめている主婦」と「被扶養者である主婦」の2パターンが姿を表す。これがリアルな日本の「主婦」。

後者の「主婦」は、習い事三昧だとあっというまに息切れする。遊んで暮らせるほどのリッチな主婦など、今の日本にはなかなかいない。

ただこの二種類の主婦には共通することがある。

それは、夫が失業する、病気になる、そんなまさかの時に暮らしていけなくなる人たち。それがわたしの思う「被扶養者である主婦」。

そんな「主婦」の垣根をとりのぞき、彼女たちを「働く女性の側」へと流し込んでみる。

こんなふうに。

専業主婦は「無職」の枠へ。

パートで働く兼業主婦は「有期雇用」の枠へ。

正社員で働く主婦は「無期雇用」の枠へ。

これがリアルな働く女性の世界。



「生き方」と「働くこと」を混同しない

誰も気づかないのだろうか。「生き方」と「働き方」で女性の糸がもつれている。

この国では属性や社会的地位で女性の見方が分けられる。簡単に女性が「主婦」のラベルを貼られてしまう。

であれば子どもをうむことは女性にとってリスクでしかない。

「主婦」なのか「働く女性」なのかなんて分け方はどう考えてもおかしい。

未婚、非婚、既婚、バツ〇、シングルマザー、再婚など、いろいろな人がいるのが社会というもの。

女性は、時にシングルで、時に主婦にだってなる。

そのことと働くことは別問題。




「主婦」が一人前の労働者としてカウントされたなら…

想像してみてほしい。被扶養者である主婦が一人前に稼げるようになる日のことを。きっと世の中は素敵に変わる。

仕事が正当に評価され、最低賃金からぬけだすと、睡眠時間をけずる働き方をしなくてもすむ。それだけで誰もが5年後、10年後の自分をワクワクと想像でき、誇りだって取り戻せる。

シッターさんを雇い、スキルアップ講座を受講し、急激に変化する時代に置いてけぼりをくわずにすむ。

もう一人子どもがいたらなぁ…なんて夫婦で語るようになるかもしれない。

たとえ夫が失業しても病気になっても、離婚や死別でも暮らしていける。

国や企業があの鉱物を地下からほり起こし使えるなにかに加工しなきゃと悩む間に女性たちは稼ぎに出られる。

与えられるチャンスは等しくあって欲しい。



おわりに

働き手がどんどん減り続けるこの国で、非正規で正当な評価をされない働き手ばかりが増えていくのはおかしい。世の半分は女性。パートの主婦は社会経験のない学生バイトと同じではなく短時間で働く労働者。

主婦は、はじめから主婦だったわけではない。

それがこの国の本当の「主婦問題」

人を安易に分類しないで欲しい。女性にのみ働く場に垣根があるのはおかしい。

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