見出し画像

言葉はいずれ見える形となって届く


あなたの身近に、どうしようもなく気分が塞ぎがちの人はいないだろうか。そんな方へ言葉が送れたなら。

わたしは今そんなことを考えている。


未来をリアルに描く

先週、自分の未来を日時付きで具体的に文字にするという記事を書いた。

すると、ご自分の目標を具体的に書かれている方数名とお知り合いになった。皆さんはわたしがこの記事を書く以前から、noteにそうした内容を書かれていた。

それともう一人、幼いころからご自分の希望を具体的に言葉にしてきた方のお話しも上の記事に聞いた。その方は言葉にしたことの大半が叶ったといい、今人を助けるお仕事でご活躍されている。

さらにその方とお話しした日、わたしは『書くことの魔力』という本に3年後の自分像を書いたことを思い出し捜してみた。するとその本に書き込んだ自分の願いが一つを除いて実現していた。


祈りは届く

さて、あなたは映画『マザー・テレサ』をご覧になっただろうか。


この映画で印象に残ったシーンがある。

記憶違いでなければ、マザー・テレサが新たな施設を作ろうとされた時トラブルに巻き込まれ訴えられた。その時マザー・テレサは一本の国際電話をかけている。相手はイギリス人女性。その方に祈って下さいとお願いされたのだ。

「わたしのために祈って下さい」

と。

その電話の相手はかつてマザー・テレサの手伝いをされていた女性。体調を崩し母国へ返ったその人に、マザー・テレサは祈ってとお願いした。するとその女性が呼びかけ、イギリスから同時に集団で祈りを捧げたのだ。

それからマザー・テレサは無事危機を脱した。

マザー・テレサは所持品をほとんど持たなかった。ノーベル平和賞の授賞式で手にした賞金で何人救えるかを考え、出されたペットボトルを贅沢だと口にされた映像が流れた。それほど利他愛の人だった。

その人が祈って欲しいと国際電話をかけられたのだ。高額な国際電話。わたしはそのことが忘れられなかった。

祈るということが、言葉が、大きな力を持つのだとマザー・テレサは信じていたのだ。


祈りの実験

なんと単純な、と笑われそうだけれど、わたしはこれがいいと勧めてくれた方が尊敬する人であれば、一度はそれを試してみるタイプ。

幼い頃からの習慣を話して下さった方、そしてマザー・テレサ。どちらも愛を惜しまず捧げられる方だ。そのお二人が言葉にすることに意味をお感じになっている。

だから今朝から新しい試みをはじめている。

それは知人の悩みを軽くできたらと願ってのこと。

お嬢さんが大変苦しい状況が続いているという。そのために母である友の気分が晴れない。その話を聞いてそのお嬢さんのために祈ってみようと思ったのだ。もちろん友達には伝えていない。けれど言葉が人の何かを変える力を持つのであればやってみたい。

具体的には、台所で、散歩で、買い物で、そのお嬢さんの名前を口にして、幸せになりました、ありがとうございますと唱えること。そう、過去形なのだ。

祈りが誰かの日常に届くのであればそんな素敵なことはない。


おわりに

偉大な方のお名前をお借りしてこんな記事を書くことをお許しいただきたい。けれど偉大な方だったからこそ、その行動に惹かれる。

言葉には、祈りには、目に見えない何かがある。それを信じている人が多い。

わたしには信じる宗教はないけれど、それでも3年前に記した夢の3つは現実になった。書くこともまた祈りなのかもしれない。

だからそれを今朝からはじめた。すると感じたのだ。自分の願いを口にするよりも遥かに幸せな気分になるということを。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

この記事が参加している募集

映画感想文

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?