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#7 なぜ羊を飼うのか

ところで、なぜ日本人が羊を飼うようになったのか。
そして、なぜ今も羊を飼っているのか。
この問いはとても深く、容易に答えることはできません。
これまで下総の牧場の羊について書きながら、そのことを繰り返し考えてきました。
出会う羊飼いに、なぜ羊を飼っているのかを聞くようにしました。
みんなそれぞれの理由があり、「自分でもなぜか分からない」という答えもありました。

私の知る限り、18世紀以前の日本において羊がうまく繁殖したことを示す記録は見られません。
江戸時代の国学者の書物の中には「皇国に羊なし」とさらりと書いたものも見られます。
海外からもたらされる知識には、羊という動物が要所で出てくるのに、実物の羊は見たことがなく、どんなものか分からない。
でも、言葉では「ひつじ」と知っている。
それが18世紀までのほとんどの日本人にとっての「羊」だったと思われます。

一方、中世の南蛮貿易で「ラシャ」という厚地の毛織物がもたらされるようになり、武将の陣羽織などに使われて舶来高級品の代表格となります。
それが羊の毛で織られていると分かり、羊を飼えばその毛を使って自分たちでラシャが作れると考えるようになったのは自然なことでしょう。
何とかして貿易相手から羊を手に入れ、少しずつ飼い殖やすようになったのが、ようやく19世紀の始まりの頃。

その後、江戸の巣鴨薬園で渋江長伯による飼育繁殖があったり、明治時代に入って下総牧羊場が開かれたりしますが、いずれも成功と呼べるほどの評価は得られぬまま事業は失速してしまいました。
大正時代や昭和の戦前期にも、国を挙げての羊の繁殖事業が繰り返され、気づけば全国で100万頭もの羊が飼われるほどにまでなったのですが、やはりその後に失速し、飼育頭数は現在まで2万頭前後で推移しています。
さらに次の繁殖拡大期が訪れるのかは、今のところ分かりません。

このように、日本人が積極的に羊を殖やそうと試みた歴史は、19世紀初頭以来の2世紀ほどです。
では、18世紀までと19世紀以降で何が変わったのか。
何かが変わって、日本人は羊を飼うことに必要性を感じるようになった。
そして、その必要性は戦後の100万頭からの急減を経た今も、2万頭の羊とともに底堅く存在していると言えます。
その底にこそ「なぜ日本人が羊を飼うのか」という問いに対する答えが眠っているのでしょう。

ところで、日本の牧場の中で、一番長く羊を飼い続けているのはどこか。
それは、ほかでもない御料牧場です。
明治の下総牧羊場から一度も絶えることなく、下総から高根沢に移ったあとも飼い続けています。
なぜなのか。
やはり御料牧場にとっても、答えは一つではないと思います。

答えは人によって表現の仕方が違うし、一つではありません。
多様な理由から「羊が必要」と感じているのが、19世紀以降の日本人なのだろうと思います。

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