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#11 出版以降のこと

こんにちは、久々noteに戻って参りました。
#10記事で、次回はシンポジウムについて書くと予告しておきながら、何も書かぬままシンポジウムが終わり、早や今年が終わろうとしています。
以下、簡単ですが、『羊と日本人』出版以降のことを振り返ります。
そのあと、回を分けて、来年以降のことを書いていこうと思います。

たくさんの出会いと機会

3月末、彩流社さんから『羊と日本人 波乱に満ちたもう一つの近現代史』(以下、羊本)が出版され、この本に導かれて、いろんな方との出会いや、人前でお話しさせていただく機会に恵まれました。
北海道の牧羊関係者の会合や、小岩井農場での羊毛関係者の集まり、成田では市の行事や知人・友人のイベントでもお話しさせていただきました。
成田市立図書館での市史講座では、講師を務めさせていただくだけでなく、展示コーナーの企画にも関わらせていただき、羊本で記した内容の範囲を超えた郷土史のさらに深い部分まで調査を進めることができました。

こうした機会をくださった皆様、そして耳を傾けてくださった皆様に改めて心より感謝致します。
成田市立図書館での展示は現在も継続していますので、もしご興味ありましたらぜひ訪ねてみてください。
https://www.library.city.narita.lg.jp/display/2023/2023_10-03_s.html

羊本の執筆に至るまでの取材でも、本当にたくさんの方々との出会いがありましたが、出版以降もこうした機会を通じて、同じくらい嬉しい貴重な出会いが重なりました。
新たな出会いと機会に恵まれるたび、「本」という、人間の奇妙な発明品の持つ力に驚かされています。

シンポジウムの顛末

さて、羊本に導かれて様々な機会をいただく一方で、出版前から動いていた下総御料牧場関連遺産に関するシンポジウムも、いよいよ7月17日の開催に向けて本格的な準備に入りました。
シンポジウムの経緯や内容については、下記サイトにまとめていますのでご参照ください。
https://camp-fire.jp/projects/view/678320

前回#10の記事を書いた時点では、すでに登壇者の選定も済み、内容の充実に向けて登壇者の方々との議論の調整に入っていた頃だったと思います。
基調講演が2人(のちに私も短めの3人目として追加)、パネルディスカッションのパネラーが5人という大人数での構成で、3時間強のうちに議論を収めるという設計自体が無謀なことだったのですが、敢えてそうしたのは、議論の精度・深さを優先するか、多様性を取るかの判断で、後者を選ぶ必要があったためでした。

多様性を求めた理由は、下総御料牧場に関するシンポジウム自体が、過去に行われたことのないものだったため、まずはできるだけ多くの方々に足を運んでいただくために、より多くのフックを設け、間口を広げるべきと考えたからです。
より多くの方々にお集まりいただける可能性が高まるのと同時に、下総御料牧場がそれだけ幅広いテーマと関連していたことを伝えられるメリットもあると思いました。
そうした考えに基づき、地元・富里市の末廣農場・別邸をはじめ、那須野が原開拓、小岩井農場、北海道ジンギスカンという個性的な文化遺産の識者の方々にご協力を呼びかけ、快く応えていただけたのは本当に幸いなことでした。

空港が牧場を語ること

また、パネラー選定の中で個人的に重要だったのは、成田国際空港株式会社の方にご登壇いただくことでした。
実は、これが実現しなければ、シンポジウムとしては企画的に失敗同然と考えていたのです。
シンポジウム準備中には言語化しなかったことですが、シンポジウムのもう一つの目的として、牧場の歴史と成田国際空港の歴史の関連性を知ってもらうだけでなく、空港の側から牧場の歴史を語ってもらう状況を作ることもあったのです。

交渉の末、空港会社の役員の方がパネルディスカッションへのご登壇を決断してくださったのは、よくよく考えてのご判断だったと思います。
そして、パネラーとしてご講演いただいた内容は、シンポジウムの議論の中で、来場者の関心を最も強く引いたものになりました。

ご登壇くださった識者の皆様、運営側として協力してくださった地域の皆様、そしてシンポ当日にお集まりくださった約250名(運営側を含む)の皆様に、改めて厚く御礼申し上げます。

会場の熱気と前向きな意思表示

シンポジウムの結果はと言えば、時間的制約の中で多様な顔ぶれを揃えたことで、予想どおりの時間切れとなり、議論のまとまりをつけることはできませんでした。
しかし、多様な登壇者の皆様それぞれの講演時間だけは確保できたことで、一定の目的を達することができたとも言えるでしょう。
回収されたアンケートの言葉の中には、議論が成立しなかったことへの指摘もありましたが、一方で、想像を上回る内容だったことへの満足を伝えて下さったものも多く見られました。

当日朝の開場から準備、開会、閉会、片付けまで、会場を満たした熱気は今も忘れません。
来賓としてご来場くださった小泉一成・成田市長、小池正昭・千葉県議、実川幸夫・元衆議院議員をはじめ、政治・行政関係者の方々にも多数ご参加いただき、本当に多くの皆様に関心を寄せていただけたことは、シンポジウムを開催した私たちに対する前向きな意思表示だったと受け止めています。

将来、このシンポジウムの続きがあるかどうか。
今の時点では明言しません。
次回#12の記事でその可能性に触れてみたいと思います。
何ができるか、何をすべきか。

シンポジウムの報告書はこちらからダウンロードしてご覧いただけます。

クラファンと返礼品

今回のシンポジウムでは、運営資金を賄うためのクラウドファンディングも6月末〜9月末にかけて実施しました。
おかげさまで、期間終了ギリギリでなんとか目標金額を達成し、収支イーブンでまとめることができました。
ご協力くださり本当にありがとうございました。

クラファンの返礼品では、三里塚記念公園のトチノキの並木の絵葉書と、昭和43年発行の冊子『三里塚とジンギスカン鍋』の復刊本を制作しました。
復刊本は、クラファン寄付者の皆様やシンポ関係者への提供、そして図書館への寄贈のかたちで各地へ旅立っていきました。
国会図書館に行けば、誰でもこの冊子を読むことができます。

シンポジウム後の活動とこれから

最後に、シンポジウム後の活動について。
シンポジウムを運営した実行委員会は、クラウドファンディングの終了をもって役割を終えて解散しました。
しかし、このイベントがただの打ち上げ花火で終わらないためには、その後の活動こそ大事なことでした。
そこで、元シンポ実行委員が中心となって「下総御料牧場の歴史を継承する会」という団体活動を開始しました。
まだ本稼働に向けた準備段階と言えますが、確実に動き出しています。

ところで、私自身はこの継承する会には加わらず、会の外側から支援するかたちを保っています。
その主な理由としては、三里塚に移住して10年目を迎えた今年、出版、シンポ開催というゴールを一つの区切りとして、新たな活動(新天地)へと進むことを以前から決めていたためでした。
そのことは、シンポ実行委員会の頃から関係者の方々に伝えてあったので、大きな混乱もなく受け入れてくださいました。

ただし、全てをお任せするというのも無責任な話。
継承する会の方々は、牧場在りし日を知る世代であり、IT技術を駆使した情報発信など、世代的に実行が困難な業務があることも事実です。
特に、インターネットを通じた情報発信は、若年層への普及のために不可欠なため、ノウハウのある世代の関与が必要です。
果たしてどのようなかたちでサポートしていくのが最適なのか、シンポ以降の活動に伴奏しながら私なりに検討してきました。

その結果、ウェブサイトや紙媒体を通じたネットワーキング業務ならば遠隔でも貢献できるため、その部分を来年以降に展開していこうと決めました。

そして、ネットワーク構築にあたり、下総御料牧場を慕う人の集まりとして「下総牧友会」という名称を用いることを考えています。
「牧友会」とは、下総御料牧場が閉場し、高根沢の新牧場へ移転した際、牧場職員の方々によって立ち上げられた親睦団体ですが、会員の高齢化によって活動停止状態となっていました。
その会の思いを継ぎつつ、牧場職員・家族・関係者だけでなく、下総御料牧場のことを慕う全ての人が、気軽に参加できる会として展開することを構想しています。

詳細については、改めてnoteでも説明していこうと思います。
長文失礼致しました。
今回はこのへんで。

『三里塚とジンギスカン鍋』内表紙イラスト

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