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幸福について考えることはすでに一つの、恐らく最大の、不幸の兆しであると言われるかも知れない。

わたしは今、甍、という喫茶店でアイスオレを飲みながら三木淸著の人生論ノートを読んでいる。

人生論ノートとの出会いは三軒茶屋の古本屋。小さめの本で生成りがかった表紙に惹かれて思わず購入した。昭和29年に書かれた本だから言葉と漢字が難しくて、恥ずかしながらケータイで文字の意味や、文字そのものを調べながら読んでいる。そうするとなんとなくこれはこの字かも、というのがわかってきて嬉しくなった途端、わからなくなって寂しくなる。
昭和29年は1954年で、この本はわたしと45歳違う。わたしより45歳上のこの本は誰の手に渡って誰がこの本に線を引いて誰が売ってしまったのだろう。そしてそれがわたしの手に届いたのが運命のようで嬉しい。
ここ1週間くらい読んでいるが、言葉が難しくてまだ20ページほどしか読めていない。今は幸福について、がテーマのお話。
何個前の人かわからないけどその人が線を引いた場所に、その人がどんな気持ちで読んだのか、どんな気持ちで線を引いたのか、そんなことを想像しながら読むと全然進まなくてその文章そのものの意味を考えてしまう。私はあまり頭が良くないから書いてある意味も少し難しい。でも、少しでもわかりたいから調べるし、調べた先にまたわからないことがあれば、また調べる。一時的な記憶ではあるが、私の記憶には少しだけ残る。そんな感じで、この本を読んでいる。
線を引いた人がどんな人なのか、もしかしたら30代の人かもしれないし、80代かもしれない。何もわからないけれどなにもわからないからこそ面白いと思える。
まだこの本を読み終わるまでに時間はかかるけど、いつまでだって読んでいたい。
甍は1時間しか滞在できないから珈琲を削る音、水を流す音、流れるピアノの音、私以外のお客さんの声を聞きながらいつまでだって楽しみたいと思った。
きっとまたここに来る時はチキンカレーかハヤシライスを食べると決めた。
少し無愛想なオーナーなら無愛想な私でもきっと大丈夫だから。

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