8月なので。

対 岸

     
末の弟の
一年遅れの三回忌のとき
弟の長女は 
新しい卒塔婆を墓碑に立てながら
自分がコロナに感染して
意識を失いかけていた中で
いっとき対岸に立ったようだと言っていた
 
こちら側から
あちら側が見えたとき
川を渡ってはならないと
お父さんが
すごい剣幕で怒るのですぐに引き返した
あちら側の風景は覚えていないが
あの川は三途の川だったのかも
 
それから意識が戻って
少しずつ体調が回復してきた
お墓の前には三途の川をまだ見た事がない
叔父さんや叔母さんが集っているが
母を早くに見送り父も見送った
長女は 墓碑の前で
長い時間手を合わせていた
 
その話を聞きながら
生きてきた人生を大急ぎで引き返してみた
あるではないか 多くの川が
忘れてはいたが
何度か対岸の前に立った筈だ
思考が困窮し 知恵が枯渇し
思い煩いが夜を眠らせないそんな時が
 
それでも三途の川を渡ることなく
今 生かされている
引き返すことができたのは
賢く恐れる事を知っている声を聞いたから
その声は 亡くなった父の声でもなく
母の声でもなく
妻の声だったのかも
 
笑ってお墓を後にしたが
それから対岸を意識している
今があるという事は
対岸へと辿る約束の日が必ずやって来る
多くの声が引き留めても
私は笑顔でその川を渡る事だろう
こちら側から あちら側へと
 
どんな小さな川にも対岸はある
この世の橋に亀裂が一つか二つあっても
眉一つ動かさないし
三途の川と重ね合わせる事などしないから
車はスピードを落とさない
だが 毎日この世の橋を渡っている事を
忘れてはならない

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