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幼稚園の先生時代のあれこれ②

ただ、私が幼稚園の先生をしていた時の経験や感じたことをただつらつらと書きつづりました。長くなりました。まとまりない文章で、悲しくなりました。でも、自分の気持ちが書きつづれて良かったです。

時間があれば読んでください。。

今まで働いてきた幼稚園

①アシスタントをした園と姉妹園(母体が一緒なので同じにする)

ここの園は厳しい幼稚園だった。子供にも厳しいので、先生にはさらに厳しい。女性らしく先生らしく、言葉遣いや態度まで細かく注意された。
子ども達もしっかりしている子が多くて、発表会や運動会は完成度が高い。発表を終えた後は、子ども達の力に圧倒された。
だけど、私には窮屈に感じてしまい。「なんでこんなに練習するのかな?」「なんでこんな風に指導するのかな?」と、本来の自分の気持ちと、求められている先生の資質の差に苦しんだ。
書類が多く、1年目は平均睡眠3時間ぐらいだったんじゃないかな。気力だけで乗り切ってた!!

②家族経営の小規模幼稚園

次に働く幼稚園は規則が少ないところにしようと決めて勤めてみた。
子ども達はのびのびとしていたが、、、私自身が一つ前の園と比べてしまい、今度は園の差に苦み、あたりまえに思っていたことが当たり前ではなくなった。「書類少ない!」「書き物これだけ?」など、、あたりまえにこなしてきた仕事量だったので、ここにきてこんなものでいいのかと、物足りなさを感じてしまった。人はない物ねだりなのだと実感。
それぞれの園に教育方針があるのはわかったけど、やり方が違いすぎて、何が正解なのかわからなくなった。

③全園児300名ぐらいのマンモス幼稚園

良いご縁があって、環境に恵まれた働きやすい幼稚園に勤めることができた。。
1クラス30名ぐらいで一人担任。アシスタントが一人。
最初は子どもの人数の多さに戸惑ったけど、短い時間でも子ども達との信頼関係を築く関わり方を身に付けられた。作品展とお遊戯会は、各クラスの発表となり担任の先生達も気合が入った~。もちろん私も。
家に持ち帰ってまで作業して、大変だったけど、楽しかった。自分で考えたものがそのまま形に出来たからだ。(今までの園は、自分で考えたことも上の先生の許可がないとできなかったから)
今思うと、子ども主体ではなく先生主体だった。

ここの園では、同期の先生との出会いがあった。同い年だったが、私とは全く違う性格。行動的で、いずれ海外に行きたい高い志をもってた。
数年後に、この同期からベトナムで働くきっかけを与えてもらうことになった。

このころから、幼児教育ってなんだろ。何がいいのかな。と悶々と考えだし、子ども達と向き合う楽しさと、答えが出せないもどかしさとで、心が苦しくなり始めた。

 ④インターナショナルスクール

英語が喋れないので、アシスタントとして勤めさせてもらう。
がちがちに固まった私の教育に対する固定概念を覆す職場となった。
外国の人と触れ合う事も今まで全くなかったので、凄く刺激的だった。
自由な方針のスクールだったので、服装などの決まりはなく、私自身ものびのびと働いた。日本の幼稚園とは壁面や作品の色やアイデアが全く違い、魅力的だった。
子ども達は海外の子が多く、日本の子ども達との違いにも気づくことができた。もちろん先生達の違いにも。皆、自分の気持ちをありのまま表現してた。真面目さを取り繕ってた私とはまったく違った。
とても楽しかったが、給与面が充実せず、転職することを決める。

転職活動は悶々としていた。
色々な教育を見てきて、いっちょ前に幼児教育について自分の考えとかもってたから、、決まった教育方針ややり方に従って指導することが苦痛に感じちゃった。日本の幼稚園で働く自分を想像しても、まったくワクワクしなかった。
またあの環境に戻るのかな~自分に合う園なんてないよな~と先が見えず、どうするか決められなかった。
そんな時に、③の職場で出会った同期からべトナムに行かない?と声を掛けてもらった。
同期は、海外進出を決めて数年前からベトナムの日系幼稚園で働いていた。すでに同期は退職はしていたが、以前勤めていた園を紹介してくれた。
渡航を決めてからはワクワクが止まらなかった。未知の世界に。
どんな幼稚園かな。どんな子供たちかな。住むところどんなかな。日本と同じ生活できるのかな。とか。

⑤ベトナムの日系幼稚園

ドキドキ、ワクワクの渡航。初めての一人海外。なにもかも新鮮だった。
職場の環境もよくて、伸び伸びとした自由保育。毎日水遊びかプール!
私は今まで設定保育(事前に先生が、発達段階などを考慮しカリキュラムを決めて保育する事)だったので、毎日決めたことをしてた。でも、ここでの自由保育は子ども達がやりたいと思っていることを見つけて、そこから遊びを広げる、という方針。
設定保育しか経験がなかった私には、困難の連続だった。こどもたちがやりたいと思っていることに気づいてあげられなかった。設定して整えておくことが当たり前だったし、皆で同じことをするのも当たり前だったから。

子ども達の心がもっと理解出来ればいいのに、心が読めればいいのに!って、自由保育を通して子ども達を見つめていくことに悩む日々。
何がいいのかわからなく、出口が見えない迷路に迷い込んだ感じだった。
答えは見つけられないまま、帰国を決めた。

⑥無認可保育園(保育士として)
帰国後、先生を辞めようと思ったけど、まだ私が関わったことがない年齢の子ども達がいる事に気づいて、0歳児1歳児と関われる現場でに勤めることに決めた。じっくりと子どもに関わりたかったので小規模の託児施設ぽいところにを選んで働いてみた。

ここでも大きな壁にぶつかって、「言葉がまだ喋れない子達とどうやってかかわるんだっけ??」「どうやって信頼関係築く?!」て戸惑いの連続。自分の力のなさを痛感。人見知りの時期の子もいて、私がいるだけで泣かれちゃう。困ったな~
でも、ここは複数担任制だった。しかも、小規模だったので、じっくり他の先生を見ることができた。

どうやって信頼関係を築くかって、視点で先生達をみてたら、その人の人間性に気づくことができた。
たくさん声を掛けて、誉めたり、優しく接する先生。
無口だけど、ぴりっと空気をしめてくれる先生。
おおらかな雰囲気で、安心感を与えてくれる先生。とか

今までは、教育方針ばかりに目がいってたけど、どんな教育かよりも大切なのはその先生の人間性なのかもって。

やめた理由

それで私の人間性は?って考えた時に、何もみつからなかった。
今いる先生達の良いなと思う所を真似してみようと
沢山話しかけてみたけど、そもそも無口な私には疲れてしまうだけだったし。
ぴりっと空気をしめる存在感なんてつくれなくて。
おおらかな雰囲気はつくろってみたけど、安心感は与えられない。。。

これってその先生達がもともと持ってたり、いろんな経験で培われたその先生達の資質?特性?生まれ持ったものとか。
私にはそんなのないなって思って。その時にふっと思って、限界なのかもって。私には先生が向いていなかったのかもって。やっときづいた。

子どもと関わる事は大好きだから、自分に向いてないなんて思いもしなかったし。楽しい事もたくさんあったから。
楽しかったからこそ、子ども達と向き合って、自分と向き合う事忘れてたのかも。だからいつも苦しかったのかも。
自分と向き合う為に、大好きな幼稚園の先生の仕事を辞めた。

自分の事が理解出来ていないから、人の事なんてもっと理解できないなって思って、心理学を学び始めた。学び終えた時に何かを見出したい。

読んでくれてありがとうございました。














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