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発想のエッセンシャル

umidas耕作所のutakoです。

「うたコトばvol.9」で綴った私の今の「表現」、これから取り組んでいきたい「表現」をこころみる場としてチャンスをいただけた、「きょうかしょのきょうかしょ」〜いちねんせいになったら編〜のプレ企画が先日(10/27)に開催されました。

「きょうかしょのきょうかしょ」はダンサーのエメ スズキさんが実践されるプロジェクト。その場の中心的素材が「教科書」で、こくご、せいかつ、さんすう、たいいく、おんがくの科目を5組のアーティストのまなざしから発想転換させ、子どもたちと遊ぶというこころみです!私は「せいかつ」の時間の担当しています。自身の表現として実践してる"遊びワークショップ"をひらいてきました。そこに向かう発想の軌跡やそこで私が体感したことを振り返って今日は綴ってみようと思います。

印象から時間をうみだす

今回の企画を通してなにを「せいかつ」という科目の中心の素材やテーマとするかのインスピレーションを得るために、実際に小学1年生の「せいかつ」の教科書を手にとり読むことからはじめました。

私が受け取った印象は「あたたかさ」でした。

学校生活(新しい環境)に飛び込む子どもたちに余白を持って一年の見通しを与えるそんな"生活"の教科書。生活を遊ぶ発想をもてたら、どんな環境でも自分なりに楽しむ創造的環境とできるはず。そんな意識の変換を暮らしに役立つ布"ぞうきん"を題材に遊ぶことでこころみてみようと思いました。

素材へのまなたざし

なんで"ぞうきん"か。なぜか教科書の掃除のページにひきつけられました。なかでも小さく載っていた床のぞうきんかけの写真に目がとまりました。

子ども時代、掃除の時間が面白かった記憶がふと蘇りました。掃除の時間になると、小学校の校内スピーカーから「ワルツ」がかかり、掃き掃除や床のぞうきんがけをするんで、音楽の時間みたいな印象があるんです。

また、ぞうきんは手縫いして古タオルを"ぞうきん"にしていて、自分の暮らしをととのえる存在であり、一枚の布に実にたくさんの役割と機能があり、生活の知恵だと感じたからです。

そして、"ぞうきん"とかかわる私たちのからだは実に多様な動きが所作に含まれていてなにか面白い変換がおこせそうな素材としての魅力を感じました。

そんなインスピレーションから、今回のプレ企画では、暮らしに役立つ布"ぞうきん"を題材に、遊びの発想をとりいれながら一枚の長い布から楽しい"ぞうきん"をつくってみることにしました。

まじまじと問いかける

はじめに、子どもたちに「ぞうきんってなんだろう?」と問いかけるといろんなこたえが返ってきました。床をこうやってふく、しぼる、なにかこぼれた時にふきとる…などなど。みんな一生懸命に伝えてくれ、「それもあるなー。」など他の人の話をよくきいて、活発にいろんな見解が広がっていきます。

10mのしろいさらしを芯にまいたバームクーヘン状のロールのような布を引っ張りながら、子どもたちの目の前で一人一人がつかいたいぞうきんの長さでカットしていくことにしました。「ぼくはこれくらいでいい。」「わたしはこのくらいがいい。」ちょっとしたやりとりの会話の中に、子どもたちの"ぞうきん"のイメージがみえかくれしていきます。

会話からほぐす

私はこうしたささいな会話から、子どもたちのイメージ(世界観)に潜り込んでいきます。遊びwsの中で、子どもたちの言動には全て意味があると捉えており、それを引き出して、繋ぎあわせるように全体の時間をすすめていくのが私の遊びwsの特色です。

今回、1mくらいのぞうきんにするといいだす子も現れました。「お〜、おもしろいね。」と反応をかえすと、少しはにかんだ表情でその後いきいきと活動しはじめました。

そういう子が現われだすと、場の雰囲気はより和らぎ自由になって時間が動いていくから面白いです。

たとえば、

「えー。そんなの、ぞうきんっぽくない。」子どもの中で既にイメージが固定化に向かっていることを感じれる時もあります。
「ぞうきんはしろいから、このままなにもしないでとっておく。」子どもの見解とこだわりにふれる時もあります。

そんなささいな会話。一期一会の出会いがしらでこの会話から情報を読み解くので、はじまりのなにげない会話にはいつも私は意識を集中させます。

たとえば、「そうなの〜??じゃあ、どんなのが"ぞうきん"っぽいの?」とたずねると、その後、子ども同士でどんどん会話が広がっていくきっかけとなっていったり、「そっか。"ぞうきん"ってしろいものだと感じるんだね。ならそのままでいいね。」と応答すると、それ以上、自分の価値を変える必要がなくなるから、その後も、安心するのか周りの活動をみて一緒に楽しむというその子なりの関わりを見つけていきます。

ことばの交換

なにげない会話から次第に深まることばのやりとり。それをうみだす、この"はじまりの会話"は私にとって遊びwsの中でとても大事にしていることです。遊びwsという時間と場の全体をナビゲートする私の役割はこの空気感を瞬間でつくりあげること。つくるというよりは自分の窓をあけて自分から空気をあけはなす感覚に近いかもしれません。だから、遊びwsがはじまる前からその場所の雰囲気や人の様子をふわっと観察する時間も大切です。どういう空間かを私が感じる時間。

"はじまりの会話"は生活の中で蓄積された子どもたちの経験や日常の中で吸収してきた世界観を読み取る情報源。どこにこの時間のチャンネルを合わすか微調整する時間で、グッと集中が深まる楽しい瞬間でもあります。

フレームとしてのイメージ

イメージの固定化は、固定(塊)になってるわけでなく、生活や日常の中で無意識にうまれた生きる知恵としての枠(フレーム)のように私は捉えています。そして、その枠(フレーム)はどうしてうまれたのか?をイメージ(想像)する素材のようなものとして捉えています。遊びの中でみられるイメージは生活体験に深く結びついていて、子どもたちならではの生活への順応と快適さに結びついているものなので、子どもたちの知恵として私は大切にしたいと感じています。その後の深まる会話にも自由で多様な表現をできるかぎり大切にしています。

まなざしを注ぐ

私の遊びwsをみた人はなんだかうたこさんが子どもたちや時間に魔法をかけてるみたいだと声をかけていただくことがあります。はたからみていると、子どもたちが意気揚々と勝手に動き出している劇場みたいにみえるそうで。私は遊びwsは子どもたちと共に創る"作品"と感じているのでこの感想をきいて嬉しくなります。そして、おそらく、子どもたちは自分のマイペースに動ける時間の中ではきっとそういう時間を生きて表現しているいきものなんだろうなとこれまでの子どもたちの出会いの中から感じています。

一人一人が暮らしを舞台に物語を生きている。

子どもという自然に立ち会わせてもらってる。

子どもたちへのそんなまなざしに加えて、私が時間にこめている想いがあるとすれば、それは、願いです。

提案する遊びwsの中で、共に遊ぶことで、その枠を自由自在にずらしたり、枠であることを思い出すこと、そして、こんな風な感じ方、考え方もあるなと膨らませるきっかけになればいいなと感じているのです。そして、もし、その枠に窮屈さを感じているならば、そのあり様をかえるのは自分の発想次第ということを体験を通して実感しなにかしら感覚的に持ち帰ってほしいと願いを込めています。

素朴に遊ぶという体験だからこそ、ふわっとほどけるようになにげなく楽しめてしまうふしぎなやわらかさがあるように思っています。素朴に素直に遊ぶさりげなさ。それが私なりの遊びwsです。

時間に魔法をかけているとすれば、一人一人の表現にできるだけ光をあてる私の意識かもしれません。

時間はいきもの

私が遊びwsの中で大切にしていることのひとつは、こうした子どもたちとの、そして、子どもたち同士の対話です。そのひとの価値観が表現されたことばとしてやりとりされているか。日常的にことばをかわす中にも自分の意思にもとづいて意識化されて発することばは日常的な会話の中でも対話の要素を含んでいます。

提案する遊びwsは一人一人のことば(言語だけでなく行動や表情)を引き出し、応答しながら時間を共に創ること、そのプロセスの中でのこころの揺れ動きや関わり合いをうみだす時間をこころがけています。

今回改めて気づかせてもらったのは、自分の時間に対する捉え方です。

今回は、45分という時間の中で、子どもたちから出てきたぞうきんの見解を時間がゆるすかぎり試してみたい!と感じ、予め、大枠の流れを想定し複数の素材を用意して挑みましたが、始まったその瞬間から、子どもたちの姿に流れをゆだねるようにしました。打ち出してくれた子どもたちの"ぞうきん"に対する見解全てを今回のwsの中で体験として手渡せませんでしたが、そのやりとりから、子どもたちの日常になにか別のかたちで繋がっていく種となればと後は子どもたちにたくす、、、。遊びwsはどこまでいってもきっかけであり、通過点。その通過点を共に楽しむ濃厚な時間。

とにかくのびのびみんなそれぞれ夢中になって活動していているのに立ち会えるのは面白いです。

私の役割のひとつは、子どもたちの言動の翻訳。ことばとことばをつなぐこと。それが私の"表現者"としての場の役割であると感じています。

この日も一期一会、この日の今の子どもたちとだから繰り広げれた"たのしいぞうきん"の時間でした。

子どもたちと共に過ごす時間はいつも生きもののように伸び縮みし、濃淡がひとそれぞれ違います。たとえば、45分の時間のどの部分にその子の熱量が高まり集中してゆくかも人によってそれぞれ。体験の濃さは時間の長さとは一概にいえません。場への関わり方も様々。 それぞれがその場に自分なりの楽しさや関わりを見つけることが"せいかつ"の時間で伝えたい私からの1番のメッセージです。


"時間はいきもの"その印象がより色濃くなるステキな時間でした。主催のエメ スズキさん、ご参加いただいたいみなさん、あたたかな空間"ホシノスミカ"さん、ありがとうございました!これから他の科目のプレ企画がはじまります。

本番は3/20(金・祝)。「せいかつ」の時間、バージョンアップさせておとどけしまーす。場所もまたかわりますよー。

詳しくは「きょうかしょのきょうかしょ」のHPで今後発信予定です☆

●令和元年度 豊中市文化芸術振興助成金交付事業「きょうかしょのきょうかしょ」プロジェクト
http://baobab-karada.com/

●「ホシノスミカ 」https://www.facebook.com/pages/category/Community-Service/ホシノスミカ-411103229438699/


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