時の音をきく

umidas耕作所の衣笠です。

あらためてこのテーマで「時」に向かいあってみると、自分にとって、今の「時の音」の存在は、非常に心持たないものだと痛感してしまう。


「時」は無意識に流れ、その「音」を聞く間もないというのが正解だろうか。


いつの日からか時は「音」を立てることなく、猛烈なスピードで目の前を通り過ぎてしまっている。


「音」は身体的な世界だ。


「音」をなくすことは、気配を感じなくなること、風を感じなくなることと同じだ。


私たちは、確実に何かを失っている。


時の「音」は与えられるものでなく、自分が聞き起こしてくるものだ。


目の前の風景に、時の「音」は静かに佇んでいる。その存在さえも信じられなくなってしまった時、人は他の生き物が当然持てているだろう生きる喜びのひとつを失っていることになるのだろう。


あと数日で年越しの除夜の鐘がなる。


その時、私たちは身体を取り戻す機会となるのだろうか。


除夜の鐘が鳴り響く中…
舞い落ちる雪
頬にあたる風
手を温めようと吹きかける息
光る星…


そこに「音」を聞いた時、私たちは自身の身体を取り戻すことになるように思える。

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