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uzu×uzuの浮遊感

umidas耕作所のutakoです。

昨日(9/22(日))、須磨寺でのuzu×uzu いきの((ね))を終えて、その時間の余韻が波紋のように広がっています。台風の影響もある中、たくさんの方にお越しいただき場を共にできたこと、とても感謝しています。

uzu×uzuにウズウズ

uzu×uzuとはumidasメンバープレゼンツ☆体験型実験ワークショップ。

umidasメンバーのあいだでも当日まで全貌がわからないまさにその場でうみだしながら進めるクリエィティブでエキサイティングな場づくりなのです。

そんな浮遊感をなんで楽しめるんか。
そして私たちumidasはそこからなにをうみだそうと実験してるんか。

それは、なぞめいた謎です。
私の好奇心をかきたてるumidasのつかみどころのない独特の浮遊感につながっているような気がしました。

扉をたたく、耳をすます

今回のuzu×uzuでは、私は4つの新しい表現に挑戦しました。新しい表現の扉をたたく。そのひとつが、「パラボラ・ナビゲーション」。1回めに続き、今回も全体の進行役としてナビゲーターとして仲間入りしたのですが、今回は、umidasメンバー以外にも色んな方が場づくりにかかわってくださってのいれかわりたちかわり妄想の話がずーっと続くという大枠があったので、とにかく当日の情報量がおおい!で、みなさんがどんな話をされるかは事前に全く知らないという事前の情報のすくなさ。

そんなちぐはぐな情報の環境下で、3時間半集中続け、その場をナビゲートすること。一体私はどうなるのだろうか?と想像してもよくわからなかったので、ひたすら透明になることに意識を集中していくことにしました。集うことばに耳を澄まし聴き、場を感じ、応答していく、つないでいく、そんな自分をパラボラアンテナ化していくようなナビゲーション表現はかなりエキサイティングでした。やりおえたあとの打ち上げでのエネルギー源のビールの量からして相当集中してたと測ってます(笑)非常にやりごたえのある貴重な体験となりました。

こんな体験はそうないと思われるので、パラボラアンテナ化した自分のカラダを通して体感することをことばにし、umidasの浮遊感の「謎」を自分なりの体現語としてせっかくなのでこの場で表現してみようと思います。

umidasの謎

まず浮かぶのは、"uzu×uzu"の形態は色々あるということ。イベントのかたちをした生命体であることです。だから、1回めと2回めは随分イロが違うし、次の3回めも全く違うuzu×uzuとなるはず。それはイキモノみたいで変身自在で面白いです。

私はumidas耕作所が組織ではなく、「座」であるという集合体としての生態系にとても関心があり仲間入りしています。

それはどこか菌の世界におこる「発酵」にとても似ています。またそこからうまれる生産物は、時にうまいパンとなり空腹を満たし幸せを共有し、時にうまい酒として人を祭りにさそい喜ばせます。

1回め、2回目を経て、uzu×uzuはその発酵を促すかきまぜる機会、攪拌作業に思えます。かきまぜることで、その場ある生命体の化学反応が巻き起こります。

活性化し発酵がすすみうまれる泡の様にその場所や状況の中で、また環境によって表に現れるものが違ってくる有機的なものです。

uzu×uzuはスケジュールの大枠はあっても詳細はなにひとつ決まらず知らず未完成なままその場でうみだすプロセスを体感してゆくような実験的な場づくり。それが成立しているのはどこか根っこの部分で人のチカラにゆだねているから。

それぞれの「個」の表現(感じ方やあり方)にゆだねられているからです。

浮遊感の鍵

浮遊感の鍵、それは、やはり、umidasのメンバー。

umidasのメンバーはそれぞれの領域で表現をつみかさねてきた、日常の中で表現を続けている人たちばかり。おそらくたくさんのイベントや場づくりを体験してきた人ばかりです。そんな人たちが集うと、瞬時に空気を読みあえる親近感ともにどこかそれぞれに間合いがある独特の距離感がうまれます。そして、物事の実現へのスピードがほんとにはやくて驚かされます。それはそのお互いの領域やスタンスをリスペクトすることからうまれる独特の距離感(すきま)が新しい創造をうみだしていくのだと思います。それが、私には浮遊感として感じられるのでしょう。

そして、それはメンバー間だけでなく、イベントの参加者に対してもその距離感をおなじスタンスとしてとっているのかもしれません。

それを特に今回感じたのは、どこか放牧感あふれる時間がうみだされていくことからです。

umidasのメンバーはもちろん、妄想を語ってくださる方たちも、聴いてくださる方たちも自分がこの場にどうかかわるかはご自身でご自由にどうぞとどこか開け放しているからです。時には参加者が私たちのuzu×uzuに歩み寄り、寄り添うことを求められてしまうかもしれません。私たちはいい意味で不親切だから。真心を持って不親切に場をひらいてるから。

uzu×uzuを起点に

それは、「楽しい!」が能動的であること、楽しませる仕掛けがこちらから与えるものではなく、相手にゆだねて選択してもらうための仕掛けとしてws的な時間を捉えることを大事にしているからだと思うんです。そして、全身全霊で「くだらない」を楽しめちゃう私たちumidasだからこそんな表現メッセージが存在からあふれでてしまってる、そんな雰囲気があるからかもしれません。

umidas!  創造するのは自分をまんなかにおこすこと、ある種の信念が根底に流れているかもしれません。

どんな化学反応が起きるのか、uzu×uzuをみとどける実験なのかもしれません。

ある意味、ほったらかしにされるので、その場の楽しみ方は自分でみつけて工夫するしかない。そうした放牧的なイベントがuzu×uzuなのかもしれないなとだんだん思えてきました。実際、私のナビゲーションはいきなり野に放たれた結果、パラボラ化するという選択をうみだしていきました。

今回の参加者の方々がそんな雰囲気を楽しんでくださることで実際に場が成立していました!すごいことだと感激しました。みなさんに拍手をおくりたいです。

この放牧感。これは、長年、子どもたちの遊びの環境づくりやイベントにかかわってきた私にはかなり新鮮で、また、未来を感じる面白さがあるところ。

目の前の世界に受け身にならない。自分が中心となって動く。そこが「楽しい!」ワクワクの好奇心が起点にあることは、子どもたちの遊びの世界にあることと同じだから。それが、子どもも大人も関係なくうまれおこることはかなり面白いことです。

妄想の火種と表現の源

そして、今回のuzu×uzuでは、たくさんの方たちの妄想とその火種のあり様を感じることができました。様々な人たちのことばを聴いていて、その思いや生き様にふれることができました。妄想は様々な形態がありますが、とても未完成なだけど、リアルな思いが交錯する"いきた状態"とてもクリエィティブな、そして、その人それぞれの"表現"に、生きることの源に、とても密接に結びついているものだなと今回のuzu×uzuから感じた妄想のその特徴が一番印象的でした。

まさに生きる火種、表現の源。
それを息にのせてはき出すように語るとき、なにかこちらにその吐息が渦巻いて熱気として感じられる躍動感があります。

いろんな形態がある。世界は多様である。そのことに心打たれました。

私の火種と日常と

uzu×uzuに向かうこの間の時間の中で、私は日常で不思議なリンクがおこり、私自身の表現の泉が沸き立つシーンを度々体験しました。意識がuzu×uzuに向かっていたからでしょうか。日常も妄想からumidas!時間となったのです!かなりドラマチックでした。

umidasの面白さのひとつは、たとえるなら、地図のない航海のような冒険感にあります。
船にのり目の前に広がる海の先にロマンをみている。その時々の波の揺れや、出会う景色や人々と吸収しながら仲間と共にすすんでゆく航海。

羅針盤はある。その羅針盤はなにか。
それは「くだらないからゆたかさを。」のことばだったり、「妄想からumidas!」ということばだったりします。

ことばの意味より響きに共鳴しながら、音楽を奏でるように様々な価値観や表現をおりまぜながらどこかつながっていてるほどよい距離感、そこにはうた(物語)があります。

羅針盤はumidasメンバーが個々それぞれに持っている。それぞれが独立した存在であり、時として同じ船に乗り、航海を楽しみ、未来を喜びあえることは、やはりロマンがあると思いました。

妄想からumidas!

私は一人ではできない表現を仲間と創る冒険の旅があることを知れました。今回のuzu×uzuで、パラボラ・ナビゲーション以外にも、音楽の作詞、ミュージックビデオ(制作動画)、ドキュメンタリー映像と自分の初めての表現にとりくんでみる機会に恵まれたのです。

自分の妄想を語ることで、自分の表現の火種に向き合うことになりました。こんなに燃えてたんか!?と驚かされる事実。これから、その炎をどう扱うかはまた暖をとりながら考えてみることにします。

今まで遊びワークショッププランナーという自分のおしごとの形態をumidasネームにしていました。

今回、それは自分のできることのひとつの姿(形態)であると感じたので、uzu×uzuをへて、umidasネームを改名することにしました。

浮遊する表現者へ

やまなか うたこ(あそビト表現者)

海に浮かぶ月のように、
海にたゆたう海月のように。
あそび(遊びの発想)と共にアソビ(余白)を満たす。

あそびと共にいきるヒト。

月からとどく光のようなそんなとき(時間)の表現をこれからumidas(表現)していきたいと思います。

原点回帰しながらも進化してゆくロマンを大切に。

uzu×uzu、ありがとう。

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