アフロとおふろ

こんばんは、umidas耕作所の畠健太郎です。

「アフロとおふろ」ということについて、
そこに生じる関係性から考えを述べていきます。

まず、アフロとおふろの間には、いくつかの共通項があります。

1つめは「暖かさ」です。

アフロの全体像は丸くかさなりあった毛髪がさらに重なりあうことで成り立っています。外気と頭皮までの毛髪でできた空間には空気が閉じ込められており、頭皮からの熱を閉じ込めて逃さず暖かさを保つことができます。
これは羽毛布団やダウンジャケットと同じ原理です。

一方、お風呂も直方体の湯船にお湯を沸かしいれて蓋をしておけば、かなり長い間湯船の温度を保つことができますし、お風呂自体の密閉度が高ければ湯船からの熱気によってお風呂自体も暖かさが保たれています。
湯が冷えてしまったとしても追い焚きはすでに当たり前の技術ですし、最近では「ふろ自動」にしておけば常に一定の温度に保つことができます。

しかし、おふろのような電気・ガスをつかわずとも、アフロは暖かさを保つことができるのです。

また、アフロは第六、第七チャクラを主に温めることができます。さらに、おかあさんのいいつけどおり肩まで湯船につかれば、それ以外のチャクラも全てあたためることができ、それ故にお風呂では高い瞑想状態を維持できるとされています。昔からアイデアはおふろに入っているときに浮かびやすいと言われるのはこのためですね。

2つめは「形」です。

アフロを構成している毛の塊たちは渦をまいており、毛髪の伸びていく様子を早送りで見てみると、放射状に旋回しながら増えていくことがわかります。
これはまさに熱々のおふろから沸き上がる湯気が空気の対流によって旋回しながら雲のように立ち昇っていく様と同じです。
古くは紀元前から描かれているように、これは龍です。アフロもおふろも、その毛髪と湯けむりがつくりだす渦は神々しくも禍々しくもある龍なのです。

渦を描きながら湯けむりは上昇し、果ては雷雨となって降り注ぐ。(結露の成長したのが天井からいきなり背中におちてきて、アッー!ってなるやつ)その大自然の猛々しい様が見事におふろの中には存在しているのは、現代の枯山水です。

また、おふろの湯気が白いことと極めて対象的であるのが、アフロの毛髪におきる静電気です。それは黒雲のなかに刺す稲光のように陰の美しさを見せます。

3つめは「動詞」です。

私たちは、気軽に頭髪をアフロにすることを「アフる」といいます。
また、さくっとおふろに入ることを「おふる」といいます。
どちらもカジュアルなニュアンスのある言葉です。
これは近年、言葉の乱れとして問題提起されている「体現+る」を使って名詞を動詞のように扱う「若者ことば」ではありますが、(例えば「事故る」や「パニクる」等)今回とりあげる「アフる」と「おふる」に関してはすでに広く一般化されているため、基本的なラ行の五段活用動詞として扱われています。

しかしながら、古文における「溢る」と「アフる」を、混同しやすいため、
平家物語「…芹生の里にあぶれゐたる兵共、…」
(芹生の里に散らばっていた兵士たち)と約すべきところを、(芹生の里で気軽にアフロにしようとしていた兵士たち)と間違えやすいです。

また、関西弁の「お古」とも間違えやすいため
「お姉さんのお古ばかりもう勘弁してほしい」という文章の意味を「お姉さんがさくっとおふろに入ってばっかりでもう勘弁してほしい」という、しずかちゃんへの文句のように読み取ってしまうことがあるので、センター試験等では注意が必要ですね。

終わりに

次に、アフロとおふろの違っている点についても述べたいと思いますが、
アフロとおふろはまったく別のものですのでこれは割愛させていただきます。

高校3年生のときですが、文化祭でクラスメイトが替え歌をつくりました。

「あっふろ〜う。あっふろ〜う。私は〜げんき〜、
あっふるの〜大好き〜 どんどんあっふっろ〜う。」
教室でクラス全員がアフりながら歌いました。
今でもあの替え歌をつくった彼女は天才だなあと思います。

僕はそのあとで、アフったままソロで
TMネットワークの「Self Control」を歌いました。

あの頃は、今よりもずっと上手くSelf Controlできていたように思います。

それでは、また。

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