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「風の軌跡」

umidas耕作所のutakoです。
今日は2人の表現者に出会いにまちを歩く。
肌に感じる風のやわらかさとぬくもり。

はじめておりたつ場所となじみの場所。
たまたま目にした告知のことばに惹かれて訪ねる2つのまだみぬ表現の景色。たまたま同じ地域で同じ日にひらかれる偶然。その偶然に思いをはせて、まちを歩く時の景色はどこか鮮明で真新しく、出会うまでと出会えた後の風の動きをとでも敏感に感じた。

風。

自然界にみられる現象としての風のように、私の心の中で巻き起こる風のような現象。

最近、出会った印象的なことば。

「わかることとわからないことに対して両方ともおんなじくらい思っておくと、すごく感じるってことに対して自由になれるし、一緒にいるってことにも自由になれるのかなと考えていることがあります。」

このことばをある方から聴いた時にすごく心地よく感じた。理解できないことの中にある積極的な意味という取り扱いがされていた。すぐに理解しよう、気付こうとせず、わからない状況を味わうってことの面白さと広がり。

目に見えないもの、よくわからないものの存在をありのまま感じ受け入れてみるってことの可能性。偶然性を楽しめる体質みたいなイメージ。

それは風みたいなもの。とても自由。

わからないものをわからないままとりいれ、かかわる中からうまれる ふってくる表現。

そんな偶然の衝突のような表現の姿を目の前にして今日の私はとても心ゆれ動く。そして、自分の足でまちを歩く中で、その余波を感じながら自分のからだと共にこころが動いている。

通り過ぎる景色。立ち止まる景色。残像としてのこる景色。

心がゆれる、驚く、風が吹く。
自分の中で巻き起こる風と吹き続ける風のような現象。

ひとりでいると風は目にみえない。
目を閉じた方が風を感じるかのように。

自分の肌に風をみるのだ。

ふたりでいると風が時としてみえる。
目を開いた方が風を感じるかのように。

相手の姿に風をみるのだ。

風景もおんなじ。
心動かされる表現に出会えた時、ふくらむ気持ちでひとまわりふくらんだ世界を感じ、そのまなざしで自分の周辺に目を向けると、風の軌跡を敏感に感じれるような気持ちになった。

自然と向き合う。
自然に向き合う。

向き合う自分の内と外。
風はその行き来を。
その方向と範囲が自在であることを知らせる。

対象としての自然。
行為としての自然。

目にとびこむ自然の営みの鮮明さは、はっと自分の心がゆれ動くさまに自然と向き合える手助けをしてくれる。

今日出会えた2つの表現と2人の表現者の姿はどこか風景のようで、私にとって、偶然の衝突、まるで、今日の風のように記憶に残像をのこす軌跡。

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