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詩集

59
これから追加されるとしたらすべて新作です。
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#散文詩

アリスになって遊ぶ夜

ここが冒険の国だよ そう言って君が案内をしてくれたところは なんの変哲もない普通の公園で この日は白樺の幹の間に綺麗な星が出ていた 外灯はあるけれどここから見えるのはぽつんと一本だけで その白い明かりはジャングルジムやブランコといった 子供向けの遊具のある場所にまでは十分に届いていなかった 入り口はここ 君が指定したのは外灯の明かりから暗がりが始まるちょうどその境界 ぼくは君の“ごっこ”に付き合うことにした ここから体が小さくなるよ そう言って君はぼくの手を引きジャング

悪いことを考えよう

悪いことを考えよう 今から悪いことを考えようよ ぼくも考えるから君も ぼくはまず君が死ぬことを考えたよ 次に君と離れ離れになること 君とおしゃべりができなくなることを考えたよ 次に君が悲しんでいることを考えたよ 君がぽろぽろと涙をこぼして ぼくの目の前から去ってしまうことを考えたよ 次にケータイをなくすことを考えたよ 一日中君と連絡がつかなくて 深い孤独に突き落とされることを考えたよ 次にぼくの記憶が全部なくなることを考えたよ 自分が誰なのか分からなくて 誰に会っても

君のすべてを見たい

君は真っ暗闇の中で下着一枚になったことをぼくに告げた 素直に嬉しい気持ちを伝えてはみたけれど 本当は君のすべてを見たい ラブホテルに入れば あらゆる明かりを君が塞ぎ回るのはいつものこと 大画面のテレビを消してスロットマシンの電源プラグを抜く ベッドの操作パネルを毛布で覆い非常口の誘導灯をタオルで隠す ポチっと光る壁のスイッチはその前に洋服まで吊るす念の入れよう わずかな光源も見逃さない君には感心するよ おいでとそばに抱き寄せたのはいいけれど 本当は君のすべてを見たい 君

キスの勇気

女の子に初めてキスをするときって それはそれはたいへんな勇気が必要なんだけど 女の子はそのことを分かってくれているのかなあ 女の子って存在自体がすでにぼくのキャパを超えていて そばに近寄るだけで体がガチガチに緊張して そこからさらに顔をグッと近づけなきゃならなくて このとき息をしていいのか止めた方がいいのか いっそのこと息を吸いながら近づいていった方がいいのか 分かってくれているのかなあこっちは心臓が爆発しそうだってこと 告白もたいへんな勇気が必要だよ 頑張って良いお友達

連想遊び

少し遅れるという連絡をもらったので カフェラテのミルクの上澄みを啜ってぼんやりと窓から裏通りを眺めている 雨音は聞こえないのに頭の中ではちゃんと雨音が鳴っていて 人は頭の中で何かを再生して記憶を補強しているのかも知れないと思う 今日は「り」と聞いて「理」の字が思い浮かんだ 昨日は「り」と聞いて「利」の字が思い浮かんだ どちらも同じ自分だけれど何かが違うのかも知れない 「しん」と聞いて「深」と「森」が思い浮かぶ自分は 「しん」と聞いて「真」と「新」が思い浮かぶと言ったあの人

一揃い

それは不思議な体験だった 初めて会った女性だったけれど 言葉を交わしていたら長い梯子のような道が目の前に見えたのだ すうっと真っ直ぐに気持ちよく延びたそれは まるでこれからの自分の将来のようだった それは不思議な感覚だった 今まで出会ったどんな女性とも違って 一緒にいればいるほど山のように話したいことが溢れてくるのだ 何も構える必要がなく何も飾る必要がない まるでこのまま穏やかな気持ちが永遠に続いていくかのようだった 不思議なことはまだ続いて 二人で今までの人生を振り返っ

冬の海

「一人で冬の海に行って来た」と妻が言う それは夕飯を食べる前のことで食卓にはとんかつの用意が出来ていた 「物好きだな」と何でもない風にぼくは笑ってみせたけれど 「風が冷たかった」と呟いた妻の声が食卓に届くと どこからか不穏な気配が忍び寄るのが不思議だった 車で二十分も走れば日本海があり 夏には海水浴にもよく行っていた海だった  一人で冬の海に行って来た けれども妻がそう言うだけで 味噌汁から立ちのぼる湯気がふっと止まった気がして 何かあったのかと問いたくなる言葉も凍り