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詩集

59
これから追加されるとしたらすべて新作です。
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散り落ちた桜の下で決めたこと

ぼくは歳をとってしまったのかな 目に映る珍しいものよりも 思い出の方を美しく感じてしまう 恋がどんなものだったかわからない 好きって気持ちは様々にあるものだから けれどもぼくの心に 君の形が焼き付いたのは覚えているんだ さようならって言葉は残酷だな 次の約束なんてないのに 思い出を更新できるとまだ信じている 昨夜の雨で散った桜の下を歩く ぬかるみに落ちた花びらを避けて 隙間だらけになった桜の枝を眺めて 昨日の別れ話が信じられないぼくは 昨日の別れ話が信じられないぼくは

文明の終末

女たちが 赤ん坊をみることを諦めたので 今はおれたちが子らにミルクを与えている 女たちが 食事を作る暇なんてないと言うので 今はおれたちが朝昼晩と支度をしている 女たちが 話し合いに忙しいからと断るので 今はおれたちが毎日の雑用をこなしている 女たちには時間がないのだ ある者は怪我人の収容と手当に奔走し ある者は国家の重要な会議で明け方まで睡眠を削っている 子供の顔を見たいだろうに 美味しいものを食べさせたいだろうに 女たちが 一人また一人と戦争に駆り出されていくので

一人で歩いている

枝ばかりになった冬の街路を あまり暖かくないコートと いい加減に巻いたマフラーをはためかせて 一人で歩いている 柄にもなく 思い詰めた顔で ぼくは軽口ばかり叩いていたから いつしか本当の自分を見せられなくなっていた 挨拶がわりにからかうことを言うと それにいちいち応酬してくれる君が好きだった 堀割に浮かぶ二羽の鴨を眺め もう取り戻せない日々を思い 永遠に君と一緒になれないことを悔いて 一人で歩いている ブーツの紐が 解けているのも構わずに 容姿をからかったこともあった

死の都のエッジまで

砂のような日差しが降る 肌に食い込み刺し続ける ここはまるで死んでしまった都市 脂を混ぜたような重たい汗が 瘡蓋のように乾涸らびた唇を 横一文字に這い進む 死の都 君のいない町は全部そうなのさ 心の狭いおれを笑ってくれ 性別を捨ててしまった君を どうしてもおれは愛せないから アスファルトの輻射熱よ 溶け出しそうなおれを攫ってくれ ヘテロにしがみつく おれが時代遅れだというのなら 本当の自分に目覚めた 君の本当がわからない 服装を入れ替えて 身形を取り替えた君がわからない

不安ということ安心ということ

好きだ と言わずに手を握る 付き合おう と言わずに交際を始める 愛してる と言わずに深い仲になる 結婚しよう と言わずに夫婦になる 二人には言葉がいらないのではなくて 言葉が足りないのだった 言葉が見つからないのではなくて 言葉を侮っているのだった 心細くはないか 何の約束もないまま ただ時間が過ぎるに任せて ぼんやりと二人でいることに 後悔はないか 何も感謝を伝えないまま わかってくれると言葉を控えて 互いの沈黙を受け流す痩せ我慢に 好きだ と言って手を握る

菖蒲と日傘

こんなにも穏やかで こんなにも静かに親しい気持ちで 君と会っている 菖蒲の花が咲く公園で 君は白い日傘を閉じる 少し前には考えられなかった 二人がこうして笑顔で向き合えるなんて 互いに目を見て語り合えるなんて 髪型の変化に気付いたり 服装を褒めたり 今更驚くようなことを二人で口にしている 菖蒲の花を見て綺麗だねなんて 同時に声が揃うこともある 出会ったばかりの頃は当たり前だったのに 忘れていたよ 好きだった頃の呼吸 夢中だった頃の歩調 最後は喧嘩ばかりだったから 激

背伸びの夕暮れ

背伸びをしてオシャレな服を着たら それだけでモテるような気がして わざと人が多くいる場所に出掛けてみたよ 美術館 ショッピングモール 船が停泊している公園 いっぱい女の子がいて 可愛い子も顔がタイプの子も 見つけることはできたよ 見つけてはもらえなかったけど なんかやりきれないな 自分より全然オシャレをしていない人が 綺麗な恋人を連れて歩いていた ますますこの世の無情を知った夕暮れ 何か大きな声で叫びたい気持ちだよ たとえばベンチに立ち上がり 斜陽に染め上げられた係留

不道徳な私たち

ガラスに付いた雨滴は 雨が止まったときの姿 駐車した車の中は 薄紙のような沈黙 私たちは知らなかった 真剣になるタイミングを逃したら あとは不幸になる二人だということを 呪われた習慣とは 離れたところに自分の車をとめて この人の車に乗り移ることを言うのだろう 不道徳な私たちは 身内につく嘘が上手になり 不道徳な私たちは 顔は背けていても指は繋いでいる 不道徳な私たちは 終わりにしようと口で言いながら 不道徳な私たちは 体は求め合うことを考えている シリアスな話

ぼくはすっかり昭和のオジさん

歌詞の意味がわからないので 教えて欲しいと姪が言う ♪ 電話の上に重ねたコイン  アドレス破いて  ダイヤル回す ひとつも情景が浮かばないと姪 ♪ レコードに針を落とすわ  だけどB面は失恋の歌  テープなら巻き戻せても  時間は戻せないの 何のことか見当すらつかないと姪 ♪ プルリングを外して  指輪がわりにつけてみる  目深にかぶったサンバイザー  あなたが夕焼けの色になる もうお手上げです助けて解読班! 小学生の可愛い姪に頼まれて 消え去った昭和を語る楽し

普通の人生

百年前 ぼくがいなかったように君もいなかった 百年後 ぼくはいなくなっていておそらく君もいない ぼくたちはたった百年の間の しかも二人でいられるたった数十年を一緒に過ごし たった数十年のうちのたった数年間を 愛し合う時間に使った ぼくたちはおそらく歴史には残らない もう死んでしまった昔の人と言われて一括りにされ 名もなき人の中に混ざり合って最後は消えていく それでいい それが普通の人生 百年後に何も残さない 人々の記憶に長く名前を覚えてもらうことをせず 生きてきた証

君に触れたくても

君に触れたくても 手を伸ばすのには勇気がいります 手を差し出しては頭を掻いて これで九回目の溜め息です 怪訝そうな顔の君に少しおののいています あまり遠慮深いのも男らしくないから 思いきって振られに向かいます 君の顔をちらりと伺ったら さっきよりも怖い顔で睨んでいます 君に触れたい もう少し二人の仲を進めたい 手を握りたい 君の柔らかそうなその手を ああ 恋愛とは心の読み合いだなんて いったい誰の言葉だよ マウントの取り合い そんな言葉を君との間で使いたくないん

一人から始まる

灰色の空でも新雪は白くて 躓かないように歩く雪の参道 石灯籠の後ろに散らばる赤い点 あれは南天の実か 着膨れの初詣 黒タイツの脚だけが細い 誰にも気兼ねのいらない格好で いつでも鼻水をグスンとすすれる 一人がいい 一人が一番楽 二礼二拍手一礼 おみくじに良縁ありの文字 気付けば願いを込めて結んでいる この気変わりの早さよ お正月は白と赤でできている 破魔矢を買ったあと 巫女さんの白い着物と 緋色の袴にしばし見惚れる 弾むように歩く帰り道 一人だから雪道でスキップもでき

婚約者を連れて

婚約者を連れて 故郷の町を案内した ここがぼくの通った小学校 校舎は建て替えられたけど この坂道を六年間歩いたんだ ここはぼくが通った中学校 この道は三年間自転車で 部活のランニングもこの道だった 車を減速させて助手席に座る彼女に説明していたら 通学路を歩いているあの頃の自分が一瞬見えた気がして 懐かしさにひとり浮かれていないだろうか 心配になって君の顔をそっと見てみる こっそりと初恋を思い出していたこともバレていないみたいだ 冷たいものでも飲もうよ 罪滅ぼしのつもり

それがあなただもの

無精髭を生やして それでいて襟付きのシャツを小綺麗に着て いい歳をしてアルバイトの身分で それでいていつも余裕のあるような顔をして あなたはいったいどういう人なの こっちも思わず笑ってしまう下ネタのあと 詩のようにうっとりする言葉を話し 国内政治の話題には乗っからず それでいて世界の情勢には詳しい あなたの頭の中はどうなっているの あなたは詐欺師でしょう そうでなければ稀代の人たらし 美味しい店を知っていて 店の人ともすぐに仲良くなって 支払いのときはちゃっかり私に頭を下げて