今日父が「こんなのが出てきた」と言って幼稚園時代の私の連絡帳を持ってきてくれた。記憶というのは面白いもので、当時毎日先生に手渡していた小さな連絡帳に指が触れたその途端、様々な記憶がおもちゃ箱をひっくり返したみたいに蘇ってきた。 たとえば幼稚園に着くまでの道のり。ちょこんと並んだお地蔵様、カッパの看板が立っていた池、つつじの生け垣や横断歩道。ざわざわした教室の様子、お遊戯や工作の時間がどんなだったか。自分はどんな子供だったか。 古い持ち物は古い記憶のひきだしを開ける鍵
とある田舎の海辺の寺に、貧しい家から養子に出された少年が僧として修業の日々を送っている。才覚に恵まれた少年は将来寺を継ぐように育てられるが、いざそのときが訪れると別の候補が持ち上がり、結局寺を出る羽目になる。生家を訪ねても病身の兄に「何もしてやれず申し訳ない」と泣かれるばかり。頼るあてもなくK市で金を稼ぎながら、できた友達の下宿を転々としていたある日、青年となった少年は生涯を共にする女性と出会う――。 というわけで、今日は母方の祖父母のなれそめについて書きたい。そもそも
子供の頃に住んでいた家にはブランコがあった。対面型の二人乗りで、床に足を踏ん張って漕ぐ子供用ブランコだ。 こんなものが庭に設置されていたら毎日のように遊んでいてもおかしくなさそうなものなのだが、あいにく私にはこのブランコを好んでいた記憶がない。なぜならブランコに隣接してアジサイの木が植わっており、腰かけると葉っぱがガサガサ腕や足に触れたからである。 ブランコという乗り物はただただ天に向かっていなければ駄目なのだ。漕ぐたびに地上のものに触れるなど興ざめもいいところなのであ
平成最後の夏が終わるのになんの特別なイベントもなかった、という旨のツイートを見た。自分が物語の主人公になって、田舎の祖父母宅の近所に住む少女とひと夏の冒険をする……そんな特別な思い出を作れないまま大人になり、平成も過ぎてしまうというツイートだ。 ノスタルジックとセンチメンタルの入り混じったこういう気持ちは私にも無くはない。それでちょっと、宝物みたいな夏の思い出なんてあったかな、と振り返ってみた。 結論から言うと、子供時代、学生時代の私に特別な夏なんてものはなかった。
子供の頃に住んでいた家は階段の多い家だった。まず門から玄関に上がるのにコンクリート製の階段があり、玄関を開いてすぐ正面に寝室へ続く緑色の階段があった。それとは別に、居間の奥にも建て増し部に続くわずか三段の階段があり、その少し先には別の二階へ続く長い階段があった。 こう書くと混乱を招きそうな間取りだが、要するにもともと存在していた二階(西)が寝室で、後年増築されたのが中二階と二階(東)というわけ。なぜ二階同士を廊下で繋がず独立棟にしたのかは謎である。おかげで私は子供時代、合
自分の中の一番古い記憶ってなんですか? 思い出せる限り、これが最古のものだなっていう自分の記憶。 ここから「自分」が始まったなっていう記憶です。 私はこれ、とある歴史的な出来事なんですよね。と言っても当事者だったわけでは全然ないんですが。 お昼だったか夕方だったか、父がいたので夜だったかもしれません。1989年11月9日、もしくは翌日のニュースでした。落書きだらけの壁が崩れる印象深い映像が小さなテレビに映っていました。そう、あれです。ベルリンの壁崩壊です。 壁が落