脱・スネ夫社会、日本。
青年海外協力隊を経て、アメリカ暮らしをしたのちシルク・ドゥ・ソレイユで世界各国を10年ほど働きながら旅してきた経験から、日本の記事を比較・考察し、つぶやいているUmiです。
自己啓発本やビジネス本もたまに読むし、日々の経済ニュースや時事ネタも読む。でも時々それらを見てふと疑問に思うことがある。
当然だけどいつも最新で最先端で、効率化、最速化、成功事例やデキる人がどうやっているのか、ダメなやつはこうする、ああする、こうしちゃダメなど、どんどんルールばかりが増えていき、どんどん型にはめられていく。
みんなそれに必死に追いつこうと時間の節約や情報収集に余念がないかのように見える。デキる人たちだってあぐらをかいていたら抜かされてしまうからアップデートし続ける。だからいつまでたってもその差は埋まらない。
そもそもそのような型はデキる人たちが作ってきたわけで、それを創造してきた人は既存の型を破ってきた人たちなのになんでみんなその型の中にわざわざハマろうとするんだろう?
これだけ便利なものが発達している世の中なのに、際限なく効率化や最速化しなくてはならないのだろうか? 洗濯機がなかった頃は洗濯に時間を取られたけど、今は洗濯物を放り込んでボタンを押せば勝手にやっといてくれる。掃除機も自動のものもあるし、外食産業は多様で早い安いうまいものにあふれているから、買い物して自炊する必要もない。
一体その分の時間はどこへいって人々は何をしているんだろう。便利になったけど、未だに多くの人は時間ややることに追われていて、膨大に増え続ける情報を常に最新にアップデートし続けなくてはならない。
これって大変じゃない?
押し寄せる情報の津波にわけも分からず不安になってないだろうか?
それしないと死んじゃうの?
経済の停滞ってそんなにダメなの?
のんびり生きることってダメなの?
違う、人々はただ他の生き方を知らないだけ。他の生き方が不安なだけ。情報の津波に流されてしまっているだけ。その津波自体は実際にあなたを飲み込んでいるわけではないのに、あなたが勝手に飲み込まれて溺れかけているんじゃない?
ちなみに私の今年の収入は税金を納めることすらできないほどだ。それでも幸運にも住むところはあるし、今は何もせずのんびり過ごしている。色々考えてもいて、起業や他のやりたいこともやっていこうかなと。
でもそれって本当に”やらなきゃいけない”ことなの?と自問する。なんでビジネスしたいの?と考えると、衣食住に困ってないからやらなきゃいけないことではないなと、立ち止まってしまう。やるとしたら、やりたいから・やらなければならないからやるのだろうなと。生きるためには働かなくてはいけないし、このまま働かずに生きるのは自分には向いていないと思う。
忙しく生きることを否定する気は毛頭ない。私自身は忙しいのも好きだし、のんびり過ごすのも好き。そう、世の中には忙しいのが好きな人もいるし、そうじゃない人もいる。でも社会が経済一辺倒だとそりゃ効率化に傾いちゃうよね。時は金なりですから。よくないと思うのは目的意識を持たない追従者だと思う。
その盲目的な追従が経済一辺倒を引き起こしてる根源だからだ。
悪の陳腐さという言葉を知っている方も多いのではないだろうか。これはナチス時代にユダヤ人の大量虐殺を指揮したアイヒマンをハンナ・アーレントがそう評した言葉だ。彼は命令に従っただけのただのひ弱な男だったと。しかもそのひ弱な男に従った大量の部下もいることになる。
競争したい人はすればいい。目的意識がある人はそういう人たちで集まってやればいい。でもそれだけが善だと思い込むのは辞めてもらいたい(恥ずかしながら20代前半までの私はそのように思っていたので現在は反省)。
だって格闘技の試合だって一般の人を無理やり巻き込んでボコボコにするのはおかしいでしょ?
ビジネスという試合に出たい人もいるし出たくない人もいる。これだけスポーツには様々な種目があり、それぞれルールもあるのに日本社会には営利主義という1種目だけ。そしたら得意な人も不得意な人もいるのは当然。
ジャイアンとスネ夫とのび太の構図で、圧倒的にスネ夫とのび太ばっかり! やりあいたくない人たちは目的意識を持って欲しい。なぜやらないのか、やりたくないのか、何が自分にとって正しいのかという目的意識だ。自分がどのタイプなのかくらいわかるはず。少数だがしずかちゃんや出木杉くんもいるだろう。(残念ながら主役で万能のドラえもんは見たことがない)
わざわざジャイアンに戦いを挑みに行く必要ある? 付き合う必要ある? 日本には経済特区の逆の非経済特区を設けてもいいと思う。のび太だけでも住める世界。のび太だって何もしてない、できないわけじゃない。ただジャイアンの世界では弱者としていいように扱われてしまう。
日本はドロップアウトした人、営利主義が合わない人に冷たすぎるしその受け皿がなさすぎる。
のんびり暮らしてもいいじゃない。収入がぼちぼちでもいいじゃない。その分自分にとって有意義な時間を過ごせばいいじゃない。劣等感を持つ必要は全くない。社会の一部にしかいないデキる人たちや富裕層(トップビジネスアスリート=ジャイアン)に勝手に巻き込まれて、勝手に負けた気になるのはお辞めなさい。
見下されても気にする必要ない。見下す人の世界観が狭い(のび太が幸せになれるなど考えもつかなくて、誰かを見下すことでしか自分の立場を確保できない)だけなんだと許してあげなさい。見下されていると思ってしまうあなたの世界観も狭いから考えなおしなさい。
自分の幸福を知らない人は他人や世間に振り回されるんです。もし嫉妬するのであれば競争して勝ってみなさい。負けたとしても、他にも生き方はあります。勝者がいれば必ず敗者がいるのは世の常です。勝者だけの世の中なんて存在しません。勝ち負けが関係ない場所(=自分さえ気にしなければ誰も気にしない)もあるから一つの種目にこだわる必要はない。
日本のメディア(といっても今では誰でも情報を発信できるから私自身も含め)も情報が多い割に世界観が狭いのは否めない。でもこれは仕方がないことかなとも思う。何世代にもわたって日本に生まれ、日本の価値観の中で育ってきたわけだから、そこの中から出てきた情報や価値観がそこの中だけで循環していく。
そしてそれが常識だと疑うことをせず、他人にもその常識を強要する(これは日本だけではない)。それが正しいのかどうかも答えられないのに。忙しいことが美徳の価値観だと考える暇さえ与えられないし、他の意見をさせない空気感が作られている。自分ももし海外に出て様々な経験をしなければ同じであっただろうことは容易に想像がつく。
ここ十数年くらい日本のTV番組でも海外との比較をするものがあるのはいいことだと思う。でもまだ外のこととして捉えるだけで、自分たちの現実に反映させるには至っていない。実際そのような記事や情報を見て考えることがあったとしても、変わることができる人なんて果たしているのかどうか。
日本が今見なければならないのはむしろ発展途上国の暮らしではないだろうか。彼らも様々な問題に溢れているが、それなりに幸福に生きている。それは知らないが故の幸福感でもあるが、知っていてもシンプルな暮らしを選ぶ人たちもいる。ただし貧困差は日本とは比べものにならない。
ちなみに資本主義の先頭を行くアメリカには大小様々なコミュニティーがあり、世間から離れ独自の生活スタイルを行なっている人たちもたくさんいる。私も興味があったので山の奥地まで入っていって1泊させていただき、彼らの自給自足生活を体験してきた。北欧諸国も自分たちで生き方を決めて(政治参加して)いるからあれだけ税金が高くても幸福感が高いのだ。
今の日本はどうだろう。忖度や不適切発言ですぐに更迭されるような政治家がぞろぞろ。それを選んでいるのは国民自身で、若年層の投票率も低い。それで自分たちで国の舵を取っている、選択して物事を決めていると言えるのだろうか? それで国際社会で他国と渡り合えるのか? 問題の根源は国民自身なのに他人のせいにしているように見える。
ただ、必ずしも自分が選択したから幸福だとも言えない現実もある。私の友人の旧ソビエト出身の方の中には、社会主義(計画経済)の方が幸せだったという人もいるし、知り合いの中国人の中にもむしろ選択などしたくないという人もいる。自分で選択することの責任が重荷に感じるというのだ。超優秀で人道的な決断ができる人がトップなら独裁だって悪い体制ではなくなる。
どちらが正しいというわけでなく、日本の生き方があまりに単一化しているので盲目的にそれに追従している人(スネ夫)は一度考え直してみたらいいと思う。ジャイアン主義に振り回されていないか、生きるとはなんなのかを。自分自身の能力や好きなこと、向いていることが果たして今あなたがやっていることと合致しているのかを。
陳腐な悪(盲目的に追従する=スネ夫)になる人もいるだろう。その方が楽な時もあるし私自身も盲目的に追従する時もある。でも少なくとも自分で選択して追従して欲しい。そしたらそれは陳腐な悪ではなくただの悪になる。悪になれと言っているのではなく、陳腐に成り下がって欲しくない。命令やルールを盾に考えないで従うのは悪よりタチが悪い。
国家や権力者にとっては陳腐な悪=従順な人間(スネ夫)の方が扱いやすい。時にはその方がいい時もあるし必要な人たちでもある。だが今の日本の教育システムや社会性を見るとスネ夫(頭はいいはずなのに追従してしまう)が多ぎるように感じる。
これから人工知能が急速に普及するが、それは人間なんかよりも優秀で忠実だから(スーパースネ夫が増え、ただのスネ夫は不要になる)。人間ってそもそも理不尽で面倒臭い生き物(無数のジャイアン)だけど、その中であなたはどう生きる? 自分で考えることができないスネ夫は行き場を失うのでは?
自分の幸福をきちんと知らない他人の幸福感の追従者は幸せなフリはできるかもしれない。でもそれが本当に幸せなのかを自分なりに考える必要がある。自分の生き場を探して(もしくは創って)みてはどうだろう。その場所さえあればあなたはもうスネ夫ではない。
色んな生き方があっていい! 一度情報という雑音を消してみて、自分自身と対話してみてほしい。
すぐに答えを出すのは難しいだろう。今の生活を変える必要もない。私もいつも色々考えながら・迷いながら生きている。大切なのは考え続けること。その時間を大切にしてほしい。考える暇もなく働いて(勉強して)いる人は自分をスネ夫かもと疑ってみても良いのでは?
もっと違った世界も見てみると良い。自分で作ってしまった無意識の枠から意識的に出てみよう。 同時に他人の生き方も寛容に認めてあげてほしい。
PS: のんびりでもそこそこの収入でも幸福になれるというのは間違いない。ただ一つ付け加えておきたいのは、それでも国家や権力者、社会がどんな状況なのかや世界経済の動きなどは一般的な知識として把握しておくべきだと思う。世間と隔離していても幸福にはなれる。しかし、世間や権力者が必ずしも少数派や弱者を守ってくれるとは限らないからだ。悪や不正、理不尽なジャイアンに対しては立ち上がりNoを突きつけなくてはならない。
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