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書評『僕が僕をやめる日』

「小説すばる」(2020年3月号)から新人作品をメインにとりあげる短めの書評連載がはじまりました。
40代前後の読者に、いつもとちょっとちがうジャンルの本を紹介したいと思って書いています。
ちょくちょく本誌のほうも手にとってください。



「セカイ系と格差シャカイ系」


 世界の格差と貧困は、もはや誰もが無視できないレベルになっている。

 先ごろアカデミー賞を獲得したポン・ジュノ監督の映画『パラサイト』を引き合いに出すまでもなく、この問題をテーマにした作品はいくつも存在する。今回紹介する『僕が僕をやめる日』もそのひとつだが、本作には他と違うポイントがいくつかある。順を追って説明しよう。

 主人公、立井は十九歳にもかかわらず、完全な貧困にあえぐ少年だ。高校中退無職、資格も家もなく、家族もいない。寝床は八畳に四人が暮らす無料低額宿泊所「つばめハウス」。

 正論ばかりの役所は役に立たず、ホームレスの生活保護をピンハネする反社会勢力が運営する福祉法人に頼る他ないという、完全なる貧困スパイラルの底辺。

 絶望して死のうとする立井だったが、たまたま出会った高木という作家に、あることを提案される。

「死ぬくらいなら――僕の分身にならない?」

 その言葉を聞き入れ、大学進学とともに立井は高木としての生活をはじめる。

 しかし、つかの間の平和は、高木の失踪と殺人事件によって破られる。果たして高木は何者なのか?

 一風変わった格差貧困小説かと思われた物語は、過去と殺人事件を探るミステリへと変わっていく。

 本作の特殊なところは、ツイストの効いた内容もさることながら、著者がライトノベルの名門、電撃文庫出身であり、これが中高生をターゲットとするメディアワークス文庫から刊行されている部分だ(※)。

 歴史を遡ると、ラノベレーベルにおける日常社会派ミステリは桜庭一樹などの数少ない例を除いて、カテゴリエラーとして不幸な結果に終わることが多かった。

 中高生にとって社会問題は縁遠い。だからこそ、それを無視したセカイ系と言われる作品が受ける土壌にもなっていた。

 ところが近年、格差と貧困は全世代に共有される問題となった。

 セカイ系と呼ばれた作品群における社会=個人の断絶が、根拠のないものだったのに対して、本作は社会=個人の断絶を、無戸籍問題や行政システムの機能不全など、形あるものとして描く。

 原因が違うにも関わらず、両者は世界と個人の中間を描けないという問題を共にしている。この点において、本作をセカイ系2.0としての「シャカイ系」と呼ぶこともできるだろう。

 能書きが多くなったが、ともかく、現代を生きる全世代に響く作品だ。



(※)メディアワークス文庫は電撃よりも上の世代、社会人をターゲットにしてはいるものの、中高生にもかなり読者がいる。

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