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書評『友は野末に』

・初出2015「宝島」
・色川武大も阿佐田哲也も同じ人だけどどっちも知らない人は知らない

 何年ぶりだろうか。こないだ神奈川のとある古い雀荘で麻雀を打った。最近つるんでいる男が博打でメシを食っている人間なので、すこしばかり勉強させてもらおうと技術指導してもらいつつ同じ卓を囲んだ。煙草で汚れた壁、ボロボロの雀卓。穴の空いた椅子。怪しげな客たち……十代の頃にしばらく働いていた場末のポーカー屋を思い出した。貧乏な友人、半グレの上司、ヤクザのおじさん。あれから二〇年以上経ってしまったのが嘘のようで、なんだかすべてがひどく懐かしく思えた。
 色川武大の小説からは、あの頃と同じ匂いがする。色川といえば阿佐田哲也名義の「麻雀放浪記」のイメージが強い。本人は、娯楽作品は阿佐田、色川名義では歴史に残る作品を書く、と決めていたそうだが、根底にあるなにかどうしようもない燻った感じはどちらにも通底している。この度、新潮から出た『友は野末に』は、色川の単行本未収録の短編を集めた一冊である。改めて読むと、無頼のヤカラが落ちぶれたり、過去の思い出を語ったり、雀荘でおっさんに聞かされる「昔の武勇伝」系の話にもかかわらず、そこには独特の品があって、イヤミがない。芸がある。実は、色川の墓が近所なので何度か参りに行ったことがあるが、未だにギャンブルがらみのお供え物が置いてあるのには呆れる。いい小説を書く人は、生きていても死んでいても、相変わらず魅力的ということか。
 その日の麻雀は、四暗刻を上がってまあまあの勝ちだった。色川の墓に麦酒を供えた御利益だったかも知れない。

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