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画面の分裂

初出:「iD JAPAN」

 スマホを捨てて5年以上が経った。
 インターネット依存症と言ってもいいほどのネット中毒だったぼくにとって、スマホは悪魔の道具だった。
 なにせ、起きている間は常にネットとつながっていられるのだ。
 朝から晩までゲーム、マンガ、アニメ、ニュース、SNS……あらゆる情報にアクセスして延々と情報をため込んでいると、自分が単なる情報処理マシンになったような非人間的な気持ちよさがあった。
 朝は睡眠管理アプリで自分の今日のコンディションを調査。TODOリストで仕事を整理。昼は食べログ高評価の店に行き、夕方はランニング管理アプリで汗をかいて、夜はヨガアプリでメンタルヘルスを調整……できない……気がつくと、ネットに逃避することで仕事がほとんどできなくなっていた。
 これはいけない。死ぬ。

 というわけで、ぼくは5年前にすっぱりとスマホを捨てたのだった(実際はスマホどころか携帯電話すら持たない時期が1年近くあったのだが、周りの不評によりキッズケータイに。そして今はガラケーになっている)。
 世間のみなさまはスマホを持ってよく正気でいられるものだ……いや、もう狂っているのかもしれない。

 電車のなかで賢そうな大人たちがどんな意識の高い記事を読んでいようとも、その見た目はうすっぺらいガラス板を指でこすったりたたいたりしているサルだ。こないだSF映画の古典的名作であるキューブリックの『2001年宇宙の旅』を見たのだが、冒頭でサルが黒い石版<モノリス>に触れて人へ進化するシーンがスマホを手に入れた人類のメタファーにしか見えなかった。
 初代iPhoneの発売が2007年。日本でiPhone 3Gが発売されたのが2008年。10年前、スマホがなかった時代から考えると人類は進化したような……してないような……。果たして人はスマホで賢くなっているのだろうか?

 そもそも人間の脳は便利な道具や環境を手に入れることで、どのくらい変化するのだろうか?
 この問題についてぼくが知っている有名な話は、『ネット・バカ』に書かれた、かの有名な哲学者フリードリヒ・ニーチェのものだ。
 もともと病弱だったうえに戦争で傷を負っていた彼は、30代半ばごろヨーロッパ各地を転々としながら体調不良と折り合いをつけていたが、その数年後ついに限界に達する。視力が落ちて、頭痛嘔吐の症状に苦しめられもう執筆できないのでは……というところまで追い詰められたのだ。
 そこで彼はとある機械を導入する。

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