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【エッセイ】等身大の私を目指して

 いまの自分に出来ること、出来ないことを簡単に書き出してみた。

出来る:執筆、ゲーム、電子書籍による読書、音楽鑑賞

出来るが少し疲れる:洗濯、料理、短時間の買い物、電車による移動、予定通りの行動

あまり出来ない:入浴、片付け、紙の本による読書、長時間の買い物

出来ないに近い:食器洗い

 数年前は気持ちが落ち込むことが多かったが、料理や片付けは割と出来ていた。いまは気持ちが落ち込むことは減ったが、料理や片付けがあまり出来なくなっている。理由は分からない。

 読書は漫画が多い。電子書籍だとすぐに読めるのだが、紙の本での読書が何故か出来なくなって来ている。先日、久し振りに少しだけ紙の本で読めた。嬉しい。もともとは紙の本での読書が好きなのに、どうしてこうなっているのか分からない。小説は、体調を崩した時から文章が頭の表面を滑って行くようになってほとんど読まなくなった。小説家志望なのにこれで良いのか分からないが、私は他の小説家の方の作品を読むと影響を受けやすくなることがあるので、いまはこれで良いかなとも思っている。

 入浴は、もっと出来るようになりたい。実家にいる頃は毎日、湯舟に浸かっていた。その次の家のアパートはプロパンガスだったのでガス代が高くて入浴はあまりしなかったが、シャワーは良く浴びていたように思う。いまの家のガス代は安くなったのだが、何故かシャワーすら浴びられない日が多い。ものすごく疲れてしまうからだと思う。入浴が出来るように、大好きな入浴剤のバブを沢山買ってあるのだが、なかなか減って行かない。

 食器洗いも、もっと出来るようになりたい。食洗機も考えたことはあるが、置くスペースがない。使っている食器用洗剤では手がちくちくすると気が付いたので、手に優しい洗剤を買ってみた。これでなんとか食器を洗えるようになりたい。食器を洗わなければと数十回は思っているのだが、何故か洗えない。理由は分からない。

 SNSで、風呂キャンセルという言葉が流れて来たことから、自分の出来ること、出来ないことについて考えてみた次第だ。簡単に調べてみた限りだと、どうも鬱という病気になっているとお風呂になかなか入れなかったりするらしい。私は、お風呂に入れないのは自分が疲れやすくて面倒がっている、だめな人間だからだとずっと思っていた。いまでも、そう思ってはいる。私は医師から鬱状態と言われて久しいが、病識というものに欠けるらしく、自分が病気であるという自覚がほとんどない。故に、自分が人間らしい生活を送れていない現状を自分自身のせいと思ってしまうのかもしれないと思っている。

 文章を書くことは大好きなので、小説やエッセイや日記を書くことは苦痛ではない。ゲームも習慣になっている。このように簡単に取り組めることがある一方で、紙の本による読書や入浴や食器洗いなど、簡単に出来そうなのに出来ないに近いことがある。そんな自分のことが私は良く分かっていない。

 去年の夏頃から今年の二月頃まで、自分の病気や障害について向き合って考えていたのだが、ものすごく疲れてしまったので私はその環境や思考から離れることにした。病識に欠けるからなのかどうかは分からないが、現状の自分は自分に出来ることを精一杯、おこなっている状態なので、その上で、中途覚醒の治し方や、障害の詳細などについて考え続けることにひどく疲れてしまったのだ。もしかしたら私が病識に欠けているのは、一種の自己防衛なのかもしれない。

 あまり自分の病気や病状について、これまでSNSなどでは書いて来なかった。それを読んだ方が負の気持ちを持ってしまうかもしれないことを恐れていたし、好まれる話題ではないであろうことを私は分かっていたのかもしれない。だが、言葉を選びつつ、私はいまの私やむかしの私の病気や病状、障害や性質といったものを書き残すことに決めた。なにもかも自分はうまく行っているという風に装うことをやめたのだ。もしかしたら、それによって落ち込むこともあるかもしれない。しかし、私は私であるということを綴って行こうと思っている。いわゆる、等身大の私というものかもしれない。等身大という表現の指すところは、むかしからまだ掴めないままだが。

 少しずつで良い。これからも私は歩いて行く。

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