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【掌編小説】もう少しだけ

 明け方の白い月を見ていた。まだ寒い時間。窓辺に座っていると何処までも行けそうな気がした。普段は飲まない果実のお酒を飲んでみた。おいしい。しかし、少しだけ熱を持った体はすぐに冷えた。イヤホンからはリピート再生にしてある歌が延々と壊れたように繰り返される。足元ではガラケーの青いランプが明滅していた。

 ぱかりとガラケーを開いて、届いた一通のメールを読むとふと笑いが洩れた。いつも私を気に掛けてくれる、ひと。大切な、ともだち。返信をすると、電話してもいいかなと返事が来た。私はイヤホンを抜き、いいよんと返す。すぐにガラケーがぽろろんと鳴った。メールでは鳴らない、音。私はその音を久しぶりに聴いた。

「はーい」

 私が出ると、やあ、と返される。

「こんな朝に起きてると思わなかったよー」と付け足されて。

「まあ、私もたまにはね?」

「なあに、それ」

「新しい、わたし」

「新種発見か」

「まあね」

 私たちは朝の五時になろうとしている時間帯にお喋りをした。辺りへ響かないように、少し声をひそめて。それは、まるでひそやかな待ち合わせから喫茶店への歩き道。

「最近、げんきなん?」

「まあね」

「リイコは、まあねばっかりじゃない」

「うん、まあまあ、そうかも」

「そうねぇ」

「ねぇ、そうよねぇ」

 私たちは小さく笑った。

「いま、白い月が出てる」

 私が言うと、

「ほんと?」

 と返されて、その言葉の後にカーテンを開ける音がした。

「ほんとだー。半月」

「ね」

 少しの間、お互いに言葉を発さずにガラケー通しで繋がって明け方の月を見た。きっと。その後の時間を縫うようにして、私の目の前に見える線路をがたがたと音を立てて電車が走って行く。何処か、生き急ぐように。

「もう、始発?」

「うん」

「まだ朝は寒いねえ」

「ユウカはむかしから冬が苦手だったね」

「良く覚えてるね」

「まあね」

 息を意識的に吐き出すと白かった。冬の空に、白い息が散って消えた。

「今日もいちにちが始まるね」

「そうだね」

 私がユウカの声に返すと、うんうん、と返される。

「今度、世界が起きている時間にお茶でも行こっか」

 私の申し出にユウカが、ぜひぜひ、と返す。

「じゃあ、私は寝るね」

「うん、おやすみ」

 私たちの機械越しの会話は其処で終わった。

 世界が起き始める時間。私は眠りに就いた。また訪れる、或いは迎える、私の眠りの後のいちにちに備えて。

 ――もう少しだけ、このままでいさせて。


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