枯葉

僕たちはいつも叶わないものから順番に愛してしまう

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    いろんな人の、わたしのすきなnoteを集めます。

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この世は地獄です。だから。

トナカイさんのこの記事が、僕は大好きで、何度も読んでいます。 生きることは地獄です。それはもうずっと、僕の変わらない感覚です。どうしてこんなにも、ただそこにいることが許されないような感覚を、僕たちは持ち続けなくてはならないのでしょうか。努力とは生命の必要最低条件なんでしょうか。そんなはずはない。草花がただそれだけで美しいように、僕たちは生きているだけで美しいということを、繰り返し伝えなければいけないと、僕は思っています。 僕は、いつからか、とても生きづらくなっていました

    • 東京の街に出てきました。相変わらず僕は

      東京に来て3年ほど経った。こんな私でも生活が続いている。 立ち退きにつき高円寺に引っ越した。 駅前のロータリー。毎夜人が集まって、ギターを弾いたりお酒を飲んだり煙草を吸ったりしている。なんでこんな混沌が許されているのか全くわからないけど、このまま規制なんてされずに、人の姿を見せ続けてほしい。あれは、人がそのまま好き勝手に生きる姿だ。愛しく思う。 ずっと喫茶店ではたらいている。続けられていることが何かの奇跡だと思う。私はコーヒーが好きだ。味も、淹れる所作も、その面倒臭さも。

      • 生き延びる糧となったいくつかの大好きな唄の歌詞たちの記録です。 まだ網羅できてない自信があるし、随時追加されると思います。 僕たちはいつも叶わないものから順番に愛してしまう ごめんね 「海と花束」きのこ帝国 どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか 「メリュー」n-buna 隙間からこぼれ落ちないようにするのは苦しいね 「光の方へ」カネコアヤノ 望んだように生きられないなら死んでんのと同じだ 「少年少女」amazarashi 飛べない君は歩いていこう 「stag

        • 満たされるな。死ね。

          苦しんでいる人を美しいと思うようになってしまった。 かつての俺はたしかに、毎夜死にたくて仕方なかった。あれは嘘ではない。いやもしかしたら嘘?日記のあらん限りの呪詛を見る限り嘘ではなさそうだけど、俺を信用するのはよくないと思います。 しかし今はどうだろうか。良い人たちに囲まれ、好きなことをして生きていて、忙しくはあるけれど休みの日には好きな街を一人でぶらぶら歩いて喫茶店に行ったり服を買ったり古本屋を覗いたりしている。ああ、なんだこれは。少しだけ寂しい。過去に縋ったり煙草に縋

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        この世は地獄です。だから。

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        記事

          日記かもしれないなにか

          最近は結構本を読んでいて、それで色々考えたので言葉にしてみたいと思いました。事実は小説より奇だったりそうじゃなかったりする。 以下にまとまりはないです。 嫌いな人。自分で考えていなそうな人。常識を第一にしてる人。声がでかい人。音楽を聴かなくても、本を読まなくても生きていける人。あとは自分。 いつか死ぬなということ。この人生全てに意味はないということ。そもそも「意味」なんて概念が要らなくない? 私の人生は小説と違って重病になったり誰かを愛したり愛されたり殺したり殺された

          日記かもしれないなにか

          期待についての散文

          思えば期待することに疲れただけであった。裏切られたくないだけだった。恋は宗教で、君は神様だったけど、ほんとは僕たちは人間だったから成り立たなかった。 期待してないわけでもしたくない訳でもできないわけでもなかった。 期待するのに、こうなってくれればという思いが叶わないことに疲れただけだった。 こうしてよって言いたかったし、俺を助けてよと言いたかったが、また叶わないくらいなら黙っている方が傷つかないだけだった。 「他人に期待するな」かなり前からインターネットに広がっている論な気が

          期待についての散文

          生活はできそう?

          仕事が終わり、帰り道の牛丼屋で一人牛丼を食べ、タバコを一本吸い、帰宅する。その時、僕は確実に満たされている。半年ほど前の心の大波はどこへやら、穏やかな気持ちで店を出てイヤホンをさす。 片道1時間の通勤。長いけど、まあ急ぐような人生じゃない。ゆっくり行こう。幸い、読みたい本は世界にごまんと溢れている。少しずつ読んで、音楽を聴いて、Twitterを見ていればすぐ最寄駅だ。駅から家までの時間、友達と通話する。そっちはどうだい。こっちはちょっとしんどいけど楽しいよ。自分で道を選んで

          生活はできそう?

          手記。あるいは遺書としての。

          いずれ訪れる死のために、いつかわたしが死を選んでしまった時のために、ここに何かを書き記しておきたいと思う。これを私が死んだ後、家族や友人が見つけても見つけなくてもいい。私の意思がここに文章として残っていることが大事なのである。どこかの誰かが読んでくれるだけで、私の何かが救われるかもしれない。さようなら世界。まだ死は選ばないけど。 ******* まず最初に言いたいのは「あなた方にできたことなど何一つもない」ということ。私が自死を選んだのは、私が1人で絶対的に決めたことであ

          手記。あるいは遺書としての。

          逃げた話

          少し前の話になる。アルバイトだが、仕事を辞めた。前にしていたアルバイトを辞めてから約半年間、私は大学4年生の終わりを学業もろくにせず自分のためだけに過ごしていた。それなりに楽しかった。やりたくないことはやらず、やらねばならない(やらないと卒業できない)ことを最低限して、後はたくさん寝て本を読んでYouTubeをみたり映画を見て音楽を聴いて過ごした。 今回のバイトは生きるためのリハビリのつもりだったけれど、自分を過信していたなと今は思う。私はまだそんなに強くなかった。 今ま

          逃げた話

          音楽が好きなのだ。

          朝起きたら最初に何をするか?音楽を聴く。外を歩く時も、一本のタバコを吸う時もイヤホンは欠かせない。一曲も聴かずに1日を終えることはここ10年余り、おそらく1日もない。もはやあって当然で、なくては生きていると思えない。自然に、あまりに自然に私は音楽を愛して生きている。 言葉である。詩である。メロディーである。私は音楽というより、歌が好きなんだ。言葉が好きなのかもしれない。耳元で誰かの言葉が鳴っている。視覚を失うより聴覚を失う方が怖い。 音楽が好きだ。脳内にいくつの歌がはいっ

          音楽が好きなのだ。

          あなたの世界の正しさについて

          おそらく、一般的な価値観についていけないあなた達なら生活の中で時折、「自分がおかしいのか?」と思うことがあるだろう。私もしょっちゅう思う。「俺はこう感じているのに、どうやら世間とやらではそれは通じないらしい」「私はこうだと思うのに、それはおかしいと言われた」 そして、自分が考えていることが認められなかったり批判されると、自分がなにかわからなくなる。俺の世界ってなんだ? 私はたとえばぐにゃっとした食感がイヤで、貝とかきのこが嫌いなのだが、それはそうじゃない人には理解ができな

          あなたの世界の正しさについて

          意思ってそんなに意味ないんですかね。

          例えば、誰かを助けたいと思いながらも傷つけてしまった人と、誰かを傷つけたいと思いながらも助けてしまった人がいたとして。 その時、どっちが正しいんだろう。善と呼べるのだろう。 私たちは見えてるものしか視えてないし聞いているものしか聴こえない。つまり自分の感じたことを感じてる。その人の行為は見えるけど、心なんて見えない。 だから誰かがあなたをとても嫌っていてもそれを感じさせなければ、あなたにとってその人はただの友人として感じられるんだ。 逆にあなたを愛している人がいても、

          意思ってそんなに意味ないんですかね。

          生きる

          生きる。目が覚めた。身体がカサついている。保湿クリームを塗る。 生きる。トイレに行き、水を飲みタバコを吸う。うまい。 生きる。服を着替える。黒い服ばかりだ。 生きる。冷凍していた肉を解凍して、キャベツと炒めてご飯を食べる。 生きる。洗い物が溜まっている。 生きる。コンロは昨晩掃除したから綺麗だ。 生きる。洗濯をしなきゃ。 生きる。大学を卒業しなきゃいけない。論文を書くのが億劫で仕方ない。 生きる。ティッシュペーパーがなくなったから買‪わないと。 生きる。なん

          生きる

          「僕はどうせ幸せになれない」

          いつからかそう思っていた。「幸せになってはいけない」にも近い。なにか楽しいことや嬉しいことがあると”揺れ戻しがくるぞ”と思う。 幸福の後には何か悪いことが起こる気がする。それは実際に今までそうだったから。そして、幸福は続かないと知ってしまったから。永遠なんてない。みんな知ってることのはずなのに、どうしてそれでも生きていけるのか僕にはわからない。どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか。そう。どうせ死ぬのだからできるだけ幸せに、穏やかに、やさしく、辛いことを少なく生きてい

          「僕はどうせ幸せになれない」

          依存先の分散について

          俗にいう鬱状態の改善には、依存先の分散が良いと聞く。一つ折れても大丈夫なように、自分を支える柱をいくつも用意することで倒れにくくするという訳だ。わかりやすい理論だ。 どれくらいからが「たくさんの依存先」になるんだろうか。私は、音楽、少しの友人、映画、美しい文章、煙草、ツイッター、温かい飲み物、おいしいご飯、いつか行きたい場所…などに依存していると思う。これらがなくなったら困るし、自分を支えてくれていると感じる。幾つからが十分な依存先かわからないけど、多いように思う。 しか

          依存先の分散について

          温泉卵の行方

          温泉卵はお好きですか。僕は大好きです。例えば、いつもの牛丼に乗ってるととても幸せな気持ちになれる。普段のあらゆる適当な食事にのせてみよう。それだけでなんか料理がグレードアップした気分になる。ただの卵一つで。 しかし思う。温泉卵は「おいしい」のか、と。彼は大抵すぐに割られて、黄身も白身もよくわからなくなり周りに溶けていく。正直、見た目ほどの影響をあいつは料理に与えない。黄身がかかった部分が一瞬トロッとするだけだ。彼は見た目の華やかさと裏腹に、舌への幸福を連れてこない。 彼は

          温泉卵の行方