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愛のカタチ-原体験振り返りPart1

本記事は、#ブランディングボヤージュ で行った原体験の深堀りをもとに構成されています。
原体験とは、主に生き方や考え方の基礎となるような幼少期の体験を指します。

今回、自分の過去の経験と過去の感情をこうして文章にして昇華することで、私が私らしく生きるための一つの供養としたいと思いました。
うまくまとめたいけどまとめきれないかもしれません。

誰かの目に留まって、一通り読んでくれたら、きっと幼いころの私が喜ぶと思う。幼い私を抱きしめてほしいというわがままも込めて書きました。


なお、ブランディングボヤージュについて詳しくは過去記事をご覧ください。

私の幼少期をひとことで表現するとしたら、迷うことなく「愛に飢えた表現者」というだろう。


「私たちにお金をください」

この言葉を言いなさいと言われたことがある。
受話器の先には父親がいる、らしい。
そしてその人は、私たち家族を育てるお金を払わないのだ、ということを母から聞いた。

顔も見たことがない人。
声も聞いたことがない人。
わかるのは、私たちと一緒には住んでなくて、家族にお金を出すことを渋る人。

父親であるその人が「私を愛していない」と認識するのはたやすいことだった。

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私には物心つく前からから父がいなかった。
その代わりと言ってはなんだが、父のような人はいた。

私は、彼が父ではないことを知っていたし、母がその彼をとても愛していることも知っていた。

彼は毎週末、300キロも離れた我が家にやってきては私たちをいろんな所へ連れて行ってくれた。
普段は食べられないものを食べさせてくれて、普段は買ってもらえないものを買ってくれた。

楽しくて、うれしくて、いつも少しだけ悲しかった。

母のうれしそうな横顔を見つめる。
その微笑みが、自分に向くことはないのだろうか。

お母さん、私をみて

気づけばいつもおちゃらけた私が出来上がっていた。
何もしなくても笑ってて楽しそうで、急に歌って踊りだしたかと思えば、トイレにこもって作り話を始める。
この一連の流れは、母のお気に入りの「私」だった。

自分を娯楽に仕立て上げることで母からの注目を浴びる選択を選んだけれど、いつだって一抹の悲しさを抱えていた。

母からの100%の愛情がもらえることはないことを感覚的に感じていたからだと今ならわかる。


愛ってなんだろうか。
今だって、愛がどんな形をしているかなんてわからないけれど、とにかく私は無償の愛が欲しくて、確かめようのない愛の形を知りたくてたまらなかった。

もちろん、母からの愛情がゼロだったとは思っていない。
私たち姉妹を育てるために働き通しだった母を私は尊敬しているし感謝している。それが母から私たちへの贈り物で、愛情だと大人になった頭では理解できる。

だけど大人が与えたいものと、子どもが受け取りたいものってすれ違ったりする。しょうがないんだ。

だから私は『いいよ』って言おう。
お母さんからの愛情が足りないって泣いてていいよ。
もっと私をみてほしいって泣いていいよ。
ぜーんぶ、いいよ。

幼い私に、そう声をかけたい。


今回の原体験で手に入れたもの

  • 不足の愛

  • 母親

  • 父親の不在

  • 表現者としての私

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