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私の反抗期〜海トリねえさんの遅れてきた反抗期😊キャリコンサロン編集部

おはようございます。

サッカー好きの
純福岡県産キャリコンの海トリです。

ひょんなご縁の連続で
お仲間に入れてもらった
キャリコンサロン編集部


今週のお題は…私の反抗期。

徒然に書いとりましたら 長くなりました。

よかったら お付き合い下さい。

⚽️海トリねえちゃんと2人の弟

海トリは 長女で 2人の弟がおります。

弟が生まれたのは 3歳7ヶ月と10歳2ヶ月の時。

上の弟の時は、小さい時ながらも、お姉ちゃんだからいい子でいなくちゃという記憶が、ぼんやりと残ってます。

下の弟の時は、ミルクをあげたり、おむつをかえたりと、まるで小さなお母さんみたいに、お世話を任されてました。

まわりの大人からもしっかり者のお姉ちゃんと思われていたので、無意識のうちにも、そんな自分でいなくちゃと、ずっと思ってみたいです。
反抗しない…できない、甘えもできないそんな女の子でした。

⚽️海トリねえちゃんの両親

祖父の影響で、新聞配達しながら高校に通い、社会人になってからは、祖母やおばを生活を支えてきた苦労人の父親。

優秀で勤勉だったけど、家計の事情から、病弱な弟に進学を譲った母親。

いい意味でも、悪い意味でも、地域の人の目を気にしながら、勝ち気なしっかり者のお姉ちゃん(?)に育ちました。

米の兼業農家だったんですけど、弟二人もいるのに、なぜか農作業を手伝うのは、私だけ。
テスト期間とかもお構いなしでした。
当時は、なんで私だけと思いつつ、なぜだか不満を口に出すことは出来ませんでした。

それに加え、唯一の女の子である私に、母親は、自分の果たせなかった進学という夢を託し、かなり厳しく育てられもしました。

地元に根付いた仕事をしていた両親に迷惑かけられない。でも、自由に外の世界に飛び出したい。今振り返ると、読書に没頭することで、現実逃避していたのかも知れません。

今思えば、自分のやりたいことに、無理矢理蓋をしながら、矛盾を抱えた子供時代をすごしていました。

⚽️遅れてきた反抗期〜その1

そんな海トリねえさんが本格的に反抗したのは…反抗できたのは、30歳を少し過ぎた頃でした。

息子と娘の母親になり、実家の近くで子育てし、たくさん協力もしてもらいました。

なぜだか母親に嫌と言えない。
父親には、真っ向勝負の口げんかして、正論ふりかざす私に頭にきてビンタするくらいやのに。

自分の思うように選択しても、それをダメ出しされ、反論できずにうけいれる。
自由に生きようもしても、上手くいかず、親の判断に沿うようにしか生きられないのか?
こんなにも親との関係が息苦しいのか?

そんなモヤモヤする生活の中、図書館で借りた本の中に答えが見つかった気がしました。

自分がアダルトチルドレンじゃないかと気づいたんです。

それこそ清水の舞台から飛び降りるつもりで、その日から1ヶ月、実家へ行くことを辞めました。
ものすごく勇気が要りました。

母親は、電話口で泣いていました。

それでも、当時の海トリねえさんには、その時間が必要だったんです。
この離れた時間があったからこそ、母親にいやといえるようになったんですよ。

実は、反抗期はこれだけではありませんでした。

⚽️遅れてきた反抗期〜その2

子どもたちが思春期に入った頃、海トリねえさんの息子と娘にいろんな問題が起こりました。

当時をふりかえってみると、海トリねえさん、自分があれほどイヤだった母親と、そっくりの子育てしてたんです。

息子と娘は、エラかった。
しんどかったろうに、全力で心からのSOSを出してくれた。

とてもとてもショックな出来事やったけど、この問題から乗り越えるにあたって、海トリねえさん自身の幼少期の記憶と向き合わざる得なかったんです。

実は、海トリねえさん、小学生の頃の記憶、あまり記憶にないところあるんです。特に、お休みの日の昼間の記憶。

よくよく思い返せば、両親は、弟のソフトボールの試合や練習に行ってて、手のかからない私は1人でお留守番してたみたいです。
記憶がないので、たぶんですけど…とてもさびしかったんじゃないかな?

自分が親になってからは、お休みの日は、子どもたちと何して過ごそうって、いつもいつも考えてたから。

当時、息子と娘の父親は、両家の実家ではいい顔して、ホントはやる気もないのに、海トリねえさんが働けば主夫になる…なんてことまで言ってました。

実際、息子と娘が言うことを聞く小さいころはわかいがってましたが、家では海トリねえさんに全て丸投げ。

思春期にいろんな問題がおこるようになってからは、学校の先生からは、なぜお父さんは来ないのかと言われるくらい、学校へは足を向けなくなりました。その分、子どもたちのためにと、よけいに、海トリねえさんは、PTAやボランティアなどに励みました。

両親からは、あなたがしっかりしないから、夫を立てないからダメなのだといわれ、追い詰められた海トリねえさんは、ここまできて初めて、これだけ頑張ってきたのに、辛くてたまらないと大泣きました。

もっと前に、ちょっぴり弱音を吐いたんだけど、しっかり者だからそれほどでもないと、思ってたんでしょうね。

我慢に我慢を重ね、言葉に出来なかったたくさんの辛さが溜まりに溜まっていたから、それはそれは、ひどい言葉を投げつけてしまいました。ホントに申し訳なかった。

遠慮なんかせずに、子どもの頃から、もっと甘えられたら、愚痴を聞いてもらえたら、また違っていたのかもしれませんね。

⚽️今の親子関係

その時の教訓やキャリアカウンセリング、いろんな人たちやトリニータとの出会いなどから、海トリねえさん、いろんなことを学びました。

おかげで、海トリねえさんの子どもたちも、ようやく自立間近となりました。

両親とも、程よい距離感を保てるようになりました。

⚽️教訓

どうしてこんなふうになったのか?

これを書きながら、あらためて振り返ってみました。

たぶん、海トリねえさんは、母親に振り向いて欲しかったんやと思います。

いい子にしてるよ。
お姉ちゃんがんばってるよ。
だから、私の方、向いてよ。

遅れてきた反抗期での教訓は、その他にも、大切なことを教えてくれました。

辛い気持ちや甘えたい気持ちは、小出しにして、伝えた方がいい。

負の感情って言われるものも、受け止めてあげた方がいいということ。

当たり前といえば当たり前だけど、海トリねえさんは、こうなるまで、気づくことが出来なかったんですね。

ありのままの自分を、身近な存在にさえ見せられなかった。

いいところも、できないところも、まるごとの自分を認められるようになって、自分の行動の全てに、自分で責任を持つ覚悟ができて、ようやく一歩踏み出せるようになった気がします。

今、どこかで反抗期に苦しんでいる誰かに伝えたい。

ひとりじゃないよ。

頑張るあなたのサポーターの海トリねえさん、北九州から応援してます。

誰かに聞いて欲しくなったら、プロのサポーターとして、本気で話聴くからね。

海トリねえさんのながーい徒然に
おつきあいくださいまして
ありがとうございました。


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