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寅年だけど、縁起のよいお猿さんの話から…

2022年が明け、平成4年の寅年が始まりました。

今年初の頼まれごとは、猿田彦神社(早良区藤崎)の庚申の日に配られる猿面を授かってきてほしいというものでした。義母からです。年、6回の庚申かのえさるのうち初庚申の猿面はとくに福を授けられると市民に古くから親しまれているようです。

大塚の両親は、義母の育ての親の紹介で結婚をしてすぐ、藤崎に新居をかまえ最初の商いを始めています。いまの住居は藤崎からは離れていますが、義母にとっては猿田彦神社はなにかと縁の深い場所なのでしょう。

あなた、仏徒でしょうが! 

なあんてヤボなことはいいません。

オミクロンの猛威いまだけ忘れているでしょうが? 

なあんていうことも由緒ある猿面の前では老女の耳に入りません。また、わたしが断りでもしたら、べつの誰か(家族ならまだよいのですが、義父母フレンズ)に頼む恐れがありますからね。そういうわけで、花粉プロテクトメガネ、二重マスク、手袋装着、カイロ持参という厳戒態勢で並びましたよ並びました! 並ぶこと一時間半くらいでしたでしょうか。ふじに猿面をいただいて参りました。きっとわたしにもなにかご利益があるにちがいありません……

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職人さんにより一枚一枚手づくりのものです


さて、寅に猿(申)ときて、「ああっ」と思い出したことがあります。

以前の記事に、母が一年早く育てられている説を書きましたが、なぜ祖父母たちが母の生まれを昭和17年ではなく16年生まれにしたのか。これにはもう一説ありまして、母自身がずっと以前にぽろりと言ったことだとわたしのほうでは記憶しています。なんかの話のついでに聞いたことだったので忘れかけていました。母が言うには、祖父母が「同じ年の巳年生まれなので、わたしも巳年にさせられてしまった」というような内容でした。なんでも巳年が家に三人寄れば縁起がいいとか、そんな話です。皆さまもどこかで聞いたことありますか。若い世代は知らないかなあ。

母の話では、巳年にかぎらず、猿猿猿とか、寅寅寅とか……縁起がいいと信じられていたようなのです。

あ、そう書くと、年配の方なら歴史上の電信暗号のほうを思い出す方もいらっしゃるかもしれませんね。わたしくらいの世代なら、少年隊の前にデビューしたシブがき隊の歌を思い出したりなんかしたりして……? 

(トラトラトラ……サビでそんなフレーズ、歌詞をうたっていたんですが、彼らはだいたいちょっとやんちゃで過激な内容でしたねえ)

だったら4人以上はどうなのか? というのは知りませんよ。笑

大正6年は巳年ですから(こちらはしっかり調べ直しました)この説はかなり有力なのではないかと今さらながら感じています。猿面を前に令和のいまもたいそうに行列している方々をながめていたら、母の生まれ年についてはこの説がいちばん有力なものかもしれん、とあらためて思ったのでした。

そして、ハイ、それが真実なら、母は2月生まれですから、4月2日や3日~生まれの同学年とは2年近く実際の年は離れていたわけですから、身体ともにそれはそれは追いつくのが大変だっただろうなあと思っています。努力家というレベルではないでしょう。

義母とは異なり母は占いや宗教などにはいっさい関心を寄せません。というより、なるべく関わりを持たないようにしているというほうが正しい見方ですかね。ずっと前に風葬にしてほしいと言っていたこともあります。それには祖父が復員後に傾いていった宗教心と関係があるのではないかとわたしは思っています。

脱線すると、わたし個人はこの「復員」という言葉ひとつずいぶんお手軽な言葉だと、小さな憤りを含む違和感をずっと持ち続けています。その感情、感覚をわたしのものと大切にしていますのでそれはそれとして、母自身の物事に対する不信感のモト、火種はそこから始まっていて、今回のように本人の意図しない方向で感情がゆるむと真っ先に「思い込み」というカタチで出てきてしまうのではないかと思いました。


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さてさて。ありがたいことに、おかげさまで母は年末中に退院することができました。新しい年の初めを父と過ごすことができたのです。

最近のわたしこそ歳とともに感情がたるみ(ゆるんでいるでは済まされない)どんなイヤなことも忘れっぽく鈍感になりつつありますが、そんなわたしでも、迎えに行った日の母の生気ある表情はこの先しばらくは忘れないでしょう。入院前の、前かがみで陰鬱な面持ちとは明らかに変わっていました。本人によると、一番軽かった時の体重はおそろしいことに27キロだったそうですよ。わたしはそれを聞いて、9月よりもっと前から薬をちゃんと飲んでいなかったのかもしれないと思いました。いまは処方薬を正しく服用を続けていまして、食事も以前よりはすすむようで、10キロほど戻っています。

「わたし、なんで、薬を飲まないほうがいいと思ったのかしらね」

そんなことも冗談めかして口に出せるくらいになっています。やれやれです。

目下、母の心配ごとと頭のなかを占めている悩みは今後の検診で、「再入院」を言い渡されることみたいです。

それはもう、母の今後のこの病との向き合い方にかかっているということを母自身がわかっているものと今度ばかりは信じたいところです。


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